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22/22

22. もう一度

 数日後、公平から連絡があり、休日の午後マグロの散歩を一緒にすることになった。

 その日を境に、頻繁に公平が姿を現すようになり、二人の仲は次第に打ち解け、久子の心の枷をはずしていった。

 いつでもマグロを交えて散歩をし、ベンチに座っては話しに興じ、時々食事をすることもあったが、いつでもマグロが可哀想だからと先に席を立つのは公平だった。

 どんな時でも、マグロの事を真っ先に考えてくれる公平の優しさに、久子は知らぬ間に惹かれ、公平のことを考えない日が無いほどに幸せを感じ始めていた。

 しかしその感情の裏側にある、男性への不信感は、どうしても拭い去れるものではなかった。

 久子は思っていた。


(どんなに優しくて、楽しい人だって、時間とともに化けの皮が剥がれていくわ。所詮は男と女だもの・・・)


 久子の脳内に繰り返えされる幸枝の言葉がある。


「三ヶ月もすれば、男女の関係になるわよ。それが、自然の流れでしょ」


 しかし、どうしても受け入れることができない時は?

 久子が幸枝に問うた言葉だ。


「それは、久子が相手を好きじゃないって事じゃない。自分に素直になればいいんじゃない?二度の敗因は、自分をごまかして結婚したことにあると思うよ」


 鋭い幸枝の言葉。『二度の敗因は、自分をごまかして結婚したこと』確かにその通りかもしれない。好きだと言われ、自分も好きなのかもしれないと思い込み、愛していると言われれば、自分も愛しているのだと思い込む。常に相手に同調するように、流れに身を任せてきた。その方が楽だったからかもしれない。


(でも、今度は違う。三回も同じ鉄は踏まないわ。もし、言い寄ってきたら、その時が終わりのときよ)


 苦痛でしかなかった夜の生活が蘇る。夫の性欲を満足させるためだけに体を開く日々。それが妻の務めと、自分を抑えてきた。その反対に、幸枝は『セックスは楽しむものよ。本当のセックスを知らないから、臆病になるのよ』と笑うのだ。そう言われれば、興味が湧かないわけではないが、どうしても一歩が踏み込めない。幸枝のように、おおらかに愛の無い関係を楽しめたら、どんなに楽だろうと思ったこともあったが。やはり、愛することなく行為を楽しむことは、久子には無理な話なのだった。


(男の人は、結局同じなのよ。きっと、彼も同じ・・・)


 誘われたらきっぱりと断るのだと、心に硬く誓っていながらも、公平を思う気持ちが強くなる。時には、手をつないで歩きたいと思うときもある。しかし、自分から手をつなげば、『その先もいいですよ』と言っているようなものだ。

 久子の心が、右へ左へと揺れ動く。

 そんな久子の思いを知ってか知らずか、公平は時として突拍子も無いことを言い出す。


「春になったら、公園の芝生にシートを敷いて、一緒にマグロの気持ちになってみない?」


 あまりに唐突過ぎる申し出に、一体何をどう答えたらいいのか、久子は困惑してしまう。よく話しを聞いてみれば、腹ばいになって、マグロの目線と同じ高さで、マグロの世界を見てみたいという、子供っぽい発想なのだ。しかし、そんな子供のようなことも本気で言い出すのだ。

 またある時は、マグロと転がりまわって遊ぶ。その姿はまるで、二匹の犬がじゃれあっているかのようだ。久子は、そんな公平の姿を見ていて、軽い嫉妬を覚えるのだった。その嫉妬がマグロに対してなのか、公平に対してなのかは自分でも分からないのだが。

 そうして二人の距離が近づくに従い、季節も変わって行った。ジャケットがコートになり、マフラーや手袋が必需品となる季節がやってきた。それでも、二人の関係がそれ以上に深まることはなく、程よい距離を保ち、マグロを交えてのデートは変わることが無かった。寒さが骨の髄までしみこむ季節が終わると、梅に桜が人々を楽しませてくれる。

 公平との時間が重なるのと同じ様に、季節も移り変わっていった。




「久子さん・・・」


 それは、デートと言うわけでもなく、公平がふらりとアパートへ足を向けた日だった。

 いつものように、玄関に寝そべり道行く人を眺め、舞い落ちる桜の花びらを楽しそうに眺めていたマグロの隣に公平がやってきた。最近では珍しい光景でもなく、こうして公平は気が向くとマグロの隣に座って、時間を費やすのだった。そして、一時間でも二時間でも、飽きることなくマグロに話しかけたり、あるいは黙ってマグロに寄り添うのだった。

 そして、その日も同じ様に公平はそこにいた。


「どうしたの?」


 道行く人も、最初は訝しがったが、今となっては番犬が増えたというくらいの感覚で公平をみていた。久子と約束があってきているわけではないのだから、久子との時間が取れるわけではないのだが、公平はそれでよかった。たまたま、暮れ行く空をマグロと眺めていたところに、久子が帰ってきただけのことだったのだ。

 それでも、久子にとっても公平にとっても、嬉しい瞬間であることは間違いないようだ。


「ストーカーじゃないよ」

「そうね、ストーカーにしては、おおっぴら過ぎるわね」


 久子が笑って言った。


「風邪引くわよ、風が冷たい」


 仕事から帰ったばかりの久子の頬は、冷たくこわばっている。桜咲く春とはいえ、まだ寒さは残っている。


「そうだね。久子さんを待ってたわけじゃないけど」

「それは、分かってるわ」


 相変わらず、公平の言い回しには、笑いがこみ上げてくる。果たして、言い回しのせいなのか、あるいは単に公平に好意を寄せているせいなのか。


「オレは、久子さんが好きみたいだ」


 そろそろ、出会って半年になろうとしている今、おんぼろの今にもつぶれそうなアパートの玄関で、愛の告白を受けるとは思わなかった。しかし、逆に甘く飾られた舞台で台本どおりの告白より、誠意を感じるから不思議だ。


「ありがとう」


 久子は嬉しい気持ちを押し隠すように平成を保って答えた。きっと、以前の久子なら『私も好きよ』と小躍りしたことだろう。しかし、今の久子は次に繰り出される公平の言葉をじっと待っていた。それが、この出会いの幕を下ろす結果になるのか、あるいは平行線的付き合いが続くのか。


「いつまでも一緒にいたいなって思うんだけど、久子さんはどう思っているのかなって」


 公平がマグロに独り言を言っているように、呟いた。


「・・・」

「久子さんといると、心が落ち着くんだ。若い頃みたいに、燃えるような激情はないけど、くすぶるような感情があるんだ」


 くすぶるような感情と言われても、あまりにもロマンチックという言葉から遠く及ばない。久子は、笑いがこみ上げてきたが、ぐっとこらえた。


「きっと、久子さんと暮らせたら、楽しいだろうな・・・マグロも一緒にね」


 マグロが珍しく、低い声で唸った。一体何を言いたいのか、マグロの言葉が分からないのが残念だ。


「私、×2です」

「オレは結婚したことすらない」

「私は離婚したのよ」

「それも経験でしょ。お互い、いろんな事情があるよ」

「もう、オバサンだわ」

「それを言うなら、オレもオジサンだ」

「一緒にって言われても・・・」

「待ってるよ。返事はいつでもいい。ただし、マグロが生きてるうちに返事をくれないかな。じゃないと、マグロと暮らす夢がひとつ消えてしまう」

「・・・マグロがメインですか」

「いや、そうじゃないけど。マグロがいないと、つまのない刺身というか、福神漬けのないカレーというか・・・いや、そうじゃなくて・・・幸せが半分になりそうな・・・」


 どうやら、嘘がつけないようだ。マグロがメインとは言わないまでも、マグロ抜きの生活は有り得ないらしい。

 とうとう、久子の笑いの紐がぷつんと切れ、笑い出してしまった。あまりの面白さと楽しさに、盆と正月がいっぺんに来たようだ。


「久子さん」


 公平が困ったように、久子を見ている。

 久子は困った顔の公平を、身をよじりながら見ては笑った。申し訳ないとは思うのだが、笑いが止まらないのだ。そして、思っていた。


(この人なら、信じられるかも知れない。だって、未だに手もつなごうって言わない人なんだもの。きっと、世界最後の異人種なんだわ)


 しかし、その気持ちはしばらく公平には秘密にしておこうと思った。なぜなら、久子の中の恋の女神はいたずら好きらしいからだ。

 桜の花びらが、マグロの鼻の上に落ちてきた。そして、恋の花びらが久子の心に落ちてきたのだった。




END

 


最後までお読みいただきありがとうございました。


少しでも笑ってもらえたら嬉しいです^^


終わりなんですけど。。。

最終話の投稿方法が分からない(TT)

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