21. 恋せよ乙女
「で、食事して別れたんだ。もう少し、積極的にでればいいのに」
久子が帰宅すると、首を長くして待っていた幸枝と直子が現れた。そして、久子の報告を聞くと、幸枝がため息混じりに言ったのだった。
「積極的って、どっちが?」
久子はさっきまでの安らいだ時間から、現実へと戻された気分で聞き返した。
「どっちでもいいけどさ。結局、彼はマグロが目当てじゃなくて、マグロをダシにデートに誘ったんでしょ?だったら、ねぇ」
ねぇと言われても、相手がそれ以上積極的に出てこないのだ。とはいえ、積極的に出られたら、公平への清清しいイメージも一挙にかき消されたことだろう。
「それで、次のデートの約束ってしたんですか?」
直子はそこのところが気になるようだ。
「デートっていうか・・・一応、ね」
別れ際に『また一緒に散歩しましょう』と言われただけなのだ。
「なぁんだ、それだけ?」
幸枝も直子も少々がっかりムードだ。
「それに、付き合うつもりはないから」
「付き合うつもりがない割には、意気揚々と出かけて行ったわよね」
幸枝の目が意地悪く光った。
「そうそう、昨日もルンルンしてましたね」
直子もかなり楽しんでいる。
久子はため息を吐きながら、テーブルの上のお茶に手を伸ばした。小さな湯飲みは、程よく温かく、公平の笑顔を思い出させた。つい、久子の顔がほころぶ。
「いやねぇ、思い出し笑い?」
「いやらしいー」
こうなると、完全に年齢を忘れて少女に戻ってしまう。
「いやらしいって・・・そんなこと言われてもねぇ」
「で?付き合うの?」
幸枝がお茶請けのせんべいをかじりながら聞いてきた。なかなか、美味しいせんべいらしい。
「そのせんべい、塾の近くの特売品なんですよ」
直子が胸を張って言っているが、特売品であることまで教えてもらいたくはない。
「付き合うって・・・どんな人かも分からないのに」
「だから、付き合うんじゃない」
幸枝がバカねぇと言いたげに言い放った。
「そうだけど・・・そうは言ってもね。また、失敗するかも知れないと思うと」
「そんなの、付き合ってみないと分からないでしょ。三ヶ月も付き合ってみれば、自分に合うかどうかわかるわよ」
さすがは、悪女だ。言うことが堂に入っている。
「さすが、遊び人の意見は妙に説得力がありますね」
直子も同意権のようだ。
「遊び人ってねぇ。私は、遊び人じゃないわよ」
「今は」
すかさず久子が茶化してきた。
「いつも真剣に恋を楽しんできただけよ。それに今は、彼一筋ですからね」
「幸枝さんも凄いですよね。一週間で、この人って見抜いたんだから」
直子が羨ましそうに言ってきた。
「私は直子みたいに、失敗はしないわよ」
「幸枝さん、それ痛いです」
詐欺の一件から、事あるごとに直子の悲しい恋が話題にのぼるのだ。
「痛みを忘れないために、愛のムチよ」
幸枝の言うとおり、喉元を過ぎてしまえば痛みも忘れてしまう。直子に二度と失敗して欲しくないからこそ、忘れないで欲しいと願う・・・と言うのは、仮の姿だ。
「もうしませんって。私は仕事に生きるんですから」
「寂しい女がよく言うセリフよね」
更に追い討ちを掛ける幸枝だ。直子がため息を吐きながら、テーブルに伏した。その姿が面白くて、久子も大笑いだ。
「結婚するわけじゃないんだから、いいじゃないの。付き合ってごらんよ。いいヤツだよ、仕事も真面目だし。何よりも、笑顔がいいじゃない彼」
さすがに、同じ敷地で仕事をしているだけに、その辺の事も分かっているようだ。
「確かに笑顔はいいんだけど・・・」
「煮え切らないわね。とって食われるわけじゃないでしょ。どうせ、マグロと一緒なんだから」
「そうだけど」
「二回も×がついて、臆病になるのもわかるけど、ここで臆病になって寂しい人生で終わらせるつもりなの?直子みたいに」
「私は、寂しくなんてありません!仕事が・・・」
「はいはい、仕事があるからね。寂しい女じゃないって、寂しい女が言ってるよ」
「ひどいー、幸枝さん」
再度テーブルに伏す直子だった。
お茶とせんべいの井戸端会議がお開きになったのは、直子の子供たちのお腹が空腹を訴える頃だった。
三人が各自の部屋に消えた後、久子は自室でぼんやりと今日の時間を思いだしていた。
それは、公平の優しい笑顔と楽しい語らい。そして、幸枝の言う『付き合ってみる』という言葉の意味。
久子は、堂々巡りする思考を打ち消すように、テレビのスイッチを入れた。




