15. 夜景
「フレンチの美味しい店を見つけたんだよ」
山内は車に乗り込むと、嬉しそうに話し出した。
「仲間に聞いてきたんだけどね。そこは、夜景も楽しめるそうだよ」
「・・・」
「きっと、気に入ると思うよ。フレンチは好きかい?」
「さぁ・・・」
「そうだね、オレも『さぁ』って感じだな」
そういうと、大きな体を揺らして笑った。
(何も面白いことなんてないわ。どうして、そんなことで笑えるのかしら)
「久子さんは、無口だね。最初に会ったときは、よくしゃべる人なんだと思ったけど」
(あれは、営業用だからよ)
「でも、無口でも好きだよ」
(私は嫌いよ)
「それにしても暑いね。いつも、家にいるとクーラーばかりだよ」
(なんて贅沢なの)
久子はその贅沢さに、ため息が出た。
「今年の夏は特に暑かったよ」
「そうかしら・・・私は一度もクーラーなんてつけなかったわ」
「そりゃ、すごいねぇ」
「もっとも、クーラー自体ありませんけど」
そういうと、山内は久子を見て驚いた顔をした。
(そりゃぁ、驚くわよね。誰だって驚くわ。でも、無くても過ごせるものよ)
「よく、生きてたねぇ。最初に聞いていたら、プレゼントしたのに」
(電気代もプレゼントしてくれるのかしら?)
久子は、価値観の違いに気分が悪くなってきていた。
車は駅から大分離れたようで、都心に近づいていた。
街のネオンサインが、きらびやかに見えてくるほど、夜の帳が落ち始めているのだろう。
「大分暗くなってきたね。そんなに、時間が経ってはいないのに」
(そうね、私には何時間にも思えるわ)
「もう少しだよ。その先の角を曲がったところにあるビルだからね」
車の通りも激しくなり、人の流れも多くなった頃、山内が笑顔でそう言った。
山内の言葉通り、角を曲がると大きなビルがそびえ立っていた。とはいえ、どこもかしこもビルばかりなのだが。
ビルの中に、吸い込まれるように車が滑り込んでいく。地下の駐車場に車を止めると、二人は車から降りた。久子はこわばる体を、両手いっぱい伸ばして、大きく背伸びをして見せた。こんなことは、本当に好きな相手の前では決してやらない。
「疲れたかな、ごめんね。どうも、美味しいものっていうと都心に来てしまって」
(あの町でも、美味しいものはあるのに)
久子は、自分が住んでいる町をバカにされたようで、不愉快さを感じた。
エレベーターに乗り込むと、静かに動き出す。ノンストップで最上階へと、上っていく。
ドアが開くと、そこは別世界だ。結婚以来、一度だって足を踏み入れたことが無い場所なのだ。結婚前は、どの夫も一度はこうした場所に案内してくれた。そして、優しくエスコートしてくれたものだ。しかし、結婚が現実となり、こうした世界が確実に夢であったことを知るのだ。
(どうせ、今だけの夢)
久子はふっと笑った。
「何か面白いものでも見つけたの?」
どこまで久子の動向を見つめているのだろうか、逐一見られているようで、気持ちが悪い。
「いいえ、何でもありません。ちょっと、思い出しただけです」
「前にもここに来たことがあるの?そりゃぁ、まずったなぁ」
「そうじゃないけど・・・」
ホールスタッフがやってきて、二人を夜景の見える窓際に案内してくれた。その席は予約されていたらしく、《予約席》の札が置かれていた。
「予約していたんですか?」
席に着くと、久子は静かに聞いた。
「ああ、せっかくの夜だからね。一番キレイに夜景が見える席がいいと思ってね」
「ありがとうございます」
久子は素直に、礼を言うと窓に映る夜景に目をやった。
その景色は、確かに美しく、特別の夜を演出するには最高な夜景だ。
会話のほとんどが、山内によって進められ、久子は頷きながら、聞き流していた。最高のタイミングで並べられる食事と、冷えたワイン。
これだけのシュチエーションに酔わない女性はいないだろう。
「素敵なお食事と、最高の夜景だわ」
「気に入ってもらえてよかった。久子さんに、気に入ってもらえるなら、どんな努力もしますよ」
山内の顔がくしゃくしゃと崩れた。その笑顔は、幼子の様だ。
(この人・・・子供みたいに笑うのね。でも、どうせ最高のシチュエーションなんて、女をものにするためのアイテム
でしかないわね)
「久子さん、オレは本気であなたを愛してる。結婚を前提に付き合って欲しい」
静かに流れる音楽が、一瞬消えたかのように感じた。このタイミングで言われたら、どんな女も喚起するだろう。しかし、二度の離婚が久子の心を凍らせていた。
「ごめんなさい。私は、二回も離婚を繰り返しているの。もう、結婚はこりごりなの」
「どんな理由で離婚に至ったのか、教えてはもらえないだろうか。二度と同じ鉄を踏まないためにも、オレにチャンスをくれないかな」
「・・・無理だわ。誰も信じられない・・・」
久子は悲しそうに、俯いた。
山内は、それ以上何も言えず、久子をじっと見つめていた。
店を出ると、山内が『近くに綺麗な公園があるんだよ。遊歩道もあるし、少し散歩をしないかい』と久子を促した。
さっきの話で、多少雰囲気を悪くしてしまったという、負い目のある久子は、帰りたい気持ちを抑えて着いていった。
夜の公園は、しんと静まり返っていた。ところどころに置かれたベンチには、肩を寄せ合う男女が座っているが、久子はできるだけ、それらの人を視野に入れないようにしていた。ただただ無心に歩き、この散歩が早く終わることだけを考えていた。
山内は、相変わらず良くしゃべっていた。久子が隣で聞き流していても、山内にとってはどうでも良いことのように、次から次へと話を繰り広げていく。ただし、その話も何度も同じことを繰り返すという、最悪な流れなのだが、山内は分かっていないようだ。
(この間もこの話だったわね。同じ話を何度も繰り返されたら、嫌になってくるわ)
二人で歩く夜の公園も、山内とでは楽しさが半減してしまう。
(マグロと散歩したほうが、楽しいのに)
そんなことを考えていたとき、山内の言葉が止んだ。やんだと思ったら、急に久子の体を抱きしめてきたのだ。それは、加減を知らない怪獣のように、力いっぱい羽交い絞めにするというような抱きしめ方だった。おかげで、驚きはしたが、笑いがこみ上げてきて怖さが吹き飛んだ。
「苦・・・しいわ・・・」
「え?あ、ごめん。力が強すぎたか・・・」
そう言いながら、離れる山内に、久子は小さく睨みながら、笑っていた。
「そんなにおかしいですか?かなり久しぶりに女性を抱きしめたので、加減が分からなくて。でも、骨が折れなくて良かった」
「そうね、かなり苦しかったけど、何とか折れずに済みましたね」
相変わらず、久子の笑いが止まらない。失礼だとは思うのだが、山内の真剣さが伝わってくればくるほど、笑いがこみ上げてくるのだ。そんな久子を困った顔をしながらも、楽しそうに見続ける山内だった。




