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13章  詐欺

 直子の苦しみが始まったのは、半年以上前だった。

 直子の日常を楽しくつづったブログに、明るくコメントを残してくれる男性が現れたのだ。そのコメントは、直子の心を温めてくれた。通りすがりにコメントを残してくれた彼は、ブロ友になり、彼の家が直子の経営する塾の近くであることを知ると、余計に親近感を覚えた。

 優しい言葉を掛けてくれる彼の名前は、川俣直行といい、年下だった。直子は弟ができたくらいに考えて付き合いだした。しかし、直行の明るさと優しさ、思いやりの深さに心は乱され、いつの間にか直行のとりこになっていたのだ。

 二人は急速に親密になっていった。そして、今まで他人に明かせなかった家の事情や塾経営の苦しさや辛さを、全部直行に話した。直行は、ニコニコと笑い、時には曇った顔を見せながら、真剣に話を聞いてくれた。

 ある時、直行が真っ直ぐに直子を見て言った。


「結婚しよう」


 どんなに親密な関係になっても、弟のような存在なのだと自分に言い聞かせていた。決して、異性としてみてはいけない人なのだと、自分を戒めてきたのだ。そうすることで、自分が傷つかずに済むと思っていた。ところが、直行の方からはっきりと言ってくれた。

 直子は、一人で抱えてきた重荷を、下ろせる相手を見つけたことに、喜びを感じた。


「もう、一人で苦しまなくていいのね」

「これからは、一緒に生きていこう。よく、頑張ってくれたね」


 直子の苦しさの全てを受け止めてくれたように、直行は直子の肩を抱いた。


「でもね、結婚は子供たちが大きくなってからにしよう。そうでないと、多感な年頃なんだから、可哀想だろう」


 どこまでも、直子たち親子のことを考えてくれる、その優しさがいたいほど嬉しい。


(この人の為に、私ができることを何でもしてあげよう)


 直子は、直行の優しさに答えるべく、自分にできることの全てを直行の為にと考えるようになった。それが、地獄の入り口とも気がつかず・・・。





「小説のようだわね」


 久子が手にしていた、焼き鳥を一口食べた。スーパーで買ってきたものだが、みんなで食べれば、結構美味しく食べることができる。しかも、今夜は直子のスキャンダル付きなのだから。


「そうねぇ、事実は小説よりも奇なりっていいますけど、こんなことが起こるなんて思いませんでしたよ」


 直子がため息混じりに、発泡酒を煽った。


「人生いろいろあるから、面白いって言うけど、そんな経験はいらないってこと、多いよね」


 経験豊富な幸枝だけに、言葉に重みがある。


「それにしても、半年前ねぇ・・・ちょうど、塾の仕事が忙しくてぇとかいって、帰宅が朝だったりしてたときだね」


 さすが幸枝、鋭い。


「あー、そんな時期でしたかしらねぇ・・・あはは」


 白々しく、直子が笑って見せた。


「私はいなかったから、分からないわよ」


 久子が肩をすくめた。


「分からないほうがいいかもね、あの頃の直子は、そりゃぁもう、物凄い不良だったんだから」

「幸枝さんには言われたくないですよぉ」


 哀しい恋の結末を話そうとしている割には、元気に新しい缶を開けている。


「それで、その幸せな恋がどうなったの?」


 幸枝が先を促した。




 見た目チンピラの直行だが、内面はきちんとしていると信じていた。


「オレの仕事はITなんだ。パソコン一台あれば、どこでも仕事ができる。まだ、社員はいないけどね。今度大きな契

約が取れるから、そうしたら、徐々に社員を雇うつもりだよ」


 直行がそんな話を楽しそうにしてくれた。直行の腕枕で、寝物語のように聞いていたのだ。

 ある時、直行が切り出した。


「パソコンが一台壊れちゃってさ。参ったよ。最新機種を入れたばかりだったのに」

「保障があるでしょ?」

「それがさぁ、おおっぴらには言えないルートから、安く入れてもらったから、保障はないんだよね。困ったなぁ。本当に困ったよ。あれがないと、仕事にならないのに、どうしたらいいんだ・・・このままじゃ、せっかくの大口の仕事がパアだよ」


ベッドの中で切り出されたそれは、今直ぐにでもパソコンを手にしないとならないことを強調していた。

 直行は、ホテルの天井を見つめながら、困ったと連発しているのだ。


「そのパソコンがあれば、仕事はうまくいくのね」

「ああ、もちろんだよ。でもなぁ、パソコンだけじゃダメなんだよ。ソフトが特殊でさぁ、そいつも一緒にパアになってるから、そのソフトも入れないとならないんだ」

「ソフト・・・」

「そのソフトに対応した機種だから、特殊なのさ。困ったなぁ」

「・・・どのくらいの金額なの?」

「前回は百万だったけど・・・あれから、ソフトもバージョンアップしてるから、百万で買えるかどうか・・・」

「そんなにするんだ・・・普通のパソコンなら、何台も買えるわね」

「直子が使ってるようなのは、おもちゃも同然なんだよ。オレのは、それで飯を食ってるわけだからね。オレはプロだからさ」

「そうよね」


 直子の体をまさぐりながら、参ったなと連発する。それでいながら、体をまさぐる手は確実に直子の秘めた部分へと近づいているのだ。


「あれがないと、オレの仕事は終わりだよ。これで、直子との結婚もできなくなる」

「どうして?」

「当たり前じゃないか、オレの仕事が回らなくて、直子と結婚したらどうなる?オレは直子に食わせてもらうのか?冗談じゃないよ、オレにだってプライドがあるんだよ」

「そうね・・・ごめんなさい。直行の気持ちも考えないで、酷いことを言ったわ」


 多少声を荒げて見せたのが良かったのか、直子が意を決したように直行に言った。


「百万で買えるのね」


 直行の目が光った。


「多分ね」

「そのお金、私が用意するわ」


 直行が体を起こして、直子を見た。じっと見つめて、感謝に耐えないと言いたげに、直子を抱きしめた。


「ありがとう、必ず返すからね。いや、結婚したらオレの収入で、必ず直子を幸せにするよ」


 力強く抱きしめられ、息ができなくなるほどだった。

 直行の喜びが、直子の喜びにかわった。

 




「あー、それって良くあるよねー」


 久子がきゅうりのスティックに味噌をつけながら言った。


「良くある話かなぁ?これって、詐欺でしょう」


 幸枝がグラスに氷を入れている。水割りに変えるらしい。


「ちゃんぽんすると、酔うよ」

「分かってるけど、この話は発泡酒より、ウィスキーでしょう」


 何をもって、そのような定義がなされるのか分からないが、今夜の話はウィスキーでないとだめなようだ。


「人の哀しみを酒の肴にしないで欲しいんですけど」


 さすがに、直子が異論を唱えた。


「大丈夫よ。私の時だって、酒の肴にしてくれたでしょ」


 幸枝がかつての自分の話を出してきた。


「あぁ、あのやけぼっくり」


 久子が面白そうに、ちゃちゃを入れる。


「そうそう、だからお互いさまだから」


 直子が、確かに自分も笑ったからなぁっとぼやきながら、話の続きをはじめた。




 幸せな時期などあっという間に吹き飛んでしまった。

 数日後。


「あのソフト、やっぱりバージョンアップしててさ、後五十万必要なんだよ」


 そんなには出せないと言う直子に、ここまで来て後五十万を出さなかったら、せっかく用意した百万が無駄になると言い張った。

 そして、直子と結婚したいから、オレは今頑張りたいのだと続けるのだ。

 結局、直行の真剣な瞳に負けた形で、五十万を出すことにした。

 すると、それから一ヶ月もしたころ、会社の資金繰りが悪いからと、二百万。事務所の契約にお金が必要だからと、二百万。社員を雇うけど支度金を出したいんだ、とまた要求してきたのだ。

 さすがに、もうこれ以上は無理だと突っぱねた。貯金も無くなって、借りるところも無くなり、もうどうしようも無いと、直子が言い張ると


「あるさ」


 と、直行が苦笑を浮かべた。


「あるはずないじゃない、もう借りられるところは全部借りたわ」

「町金があるじゃないか」

「・・・」


 直子は振るえ上がった。そんなところから借りたら、全てが終わってしまう。


「大丈夫だよ。オレの仕事が回れば、直ぐに返せるんだから」


 直行の言葉が魔法のように聞こえてきた。心が揺らぐ。

 直行となら、返済も可能なような気がしてくる。ちょうどその時、携帯が鳴り、見れば子供の名前が表示されている。急いで、メールを開き内容を確認すると、たわいなくも『今夜も遅いの?ご飯作ってあるよ』の文字が飛び込んできた。今まで、母が帰るまで決して夕飯を作って待つなどということは無かっただけに、まるで全てを見透かされているようで、直子は涙した。


「直行・・・ダメよ。それは、私にはできないわ。私には、子供がいるの。だから、絶対に町金では借りられない」


 直子の強い意志が感じられる言葉に、直行は冷ややかに笑った。


「なんだよ、もうギブアップかよ。残念だな。まだ、絞れると思ったのにな」


 それが最後だった。もう二度と、直行に会うことも、肌を合わせることもなくなったのだった。直子の手元には、残金数円の貯金通帳と多角の借金が残っただけだった。




「と言うことなんです。本気で結婚を考えていたんですけどね・・・」

「あらぁ、まさに小説だわね」


 幸枝がため息をつきながら言った。


「でも、町金に行かなくて良かったねぇ。それで、どうするの?貯金なくなったんでしょ」


 久子が直子を見て言った。


「だから、パトロンでも割り切りでも構わないから。このままじゃ、返済できないで大変なことになるわ」


 いつもの敬語が出てこないほど、うろたえているのか、およそ直子らしくない。


「割り切りねぇ。なんにしても、売春であることは事実だから、これで私が紹介したら、斡旋したことになるじゃない。私も息子がいるから、それはできないわね。ゼロからのつもりで、頑張るしかないんじゃない?高い授業料だったと思ってさ」

「そうですよね・・・」


 直子ががっくりと肩を落とした。


「ひとつだけ手があるわよ」


 久子が真面目な顔で、言い出した。


「何ですか?!」

「それはね・・・」


 夏の夜風が、心地良いくらいに三人の髪を踊らせ、流れ出た汗を冷やしてくれる。




 久子が続けた。


「それはね・・・金持ちと結婚することよ!」


 思わず幸枝と直子が『久子―!』と同時に叫んでいた。

 どうやら、久子の発言は大変まずかったらしい。



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