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10.  酒の肴

「そんなに純真だった幸枝さんがねぇ、人生って面白いですよねぇ」


 直子も言いたい放題だ。


「それで、昔の恋人が今更どうして?」


 さすがの久子も黙っていられずに言葉が口をついて出た。そこが一番興味のわくところだ。

 休日の昼下がりに、話すようなことでもないだろうが、三人は完全に井戸端会議状態である。女性と言うものは、恋愛ゴシップが好きなものだ。まして、幸枝の昔の恋人が現れたとなっては、その後の展開を無視することはできないだろう。


「それがさぁ・・・」


 幸枝が大きなため息を吐きながら、話し始めた。


「この間ね、息子が恋人を連れてきたのよ」




 半年ほど前になるだろうか。息子の高貴が彼女の木梨乙女を連れてきた。まるで、お人形の様に可愛らしい女性で、幸枝は息子に恋人ができたことを喜んだ。

 幸枝は、乙女を可愛がり、ぜひ息子の嫁になって欲しいと切望した。

乙女の趣味も気に入った。自分の性格とは真逆で、おとなしく趣味は料理ときている。料理学校へ通い、華道をたしなみ、語学に長けていた。あまりにできの良い娘であるため、工場務めの息子には、高嶺の花ではないかとの心配もあるが、気立てのよさがにじみ出る立ち居振る舞いに、幸枝こそ魅了されていったのだ。

しかし、どこと無く気になる部分も隠せなかった。

それは、昔の恋人に面影が似ていることだった。だが、よりにもよって、そんなことがあろうはずもない。それは、幸枝の取り越し苦労だろうと、気にしないようにしていた。

二人の意識が、結婚へと固まった頃、高貴が相手の両親と会って欲しいと言ってきた。幸枝は勿論、文句のつけようも無く。喜んで、顔合わせの席へと赴いた。




「その親が、元彼だったと言うわけね」


 久子が面白そうに、言葉を挟んだ。それは、まるで小説の世界だ。


「すごーい!感動の再会じゃないですか!」


 直子が両手を口に持って行き、大仰に驚いて見せた。驚いている風を装いながら、かなり楽しんでいるのは分かりきっているのだが。


「なにが、感動の再会よ。相手は、私を踏みにじって結婚した相手と一緒なのよ。こんなピエロな再会がある?だいたい、相手は重役。こっちは、工場勤務よ」

「差がありすぎるわねぇ」


 久子もその差が気になってはいた。いくら、他人の息子とはいえ、何年も同じ屋根の下で暮らしてきているのだ。出たり入ったりはしたものの、このアパートの住人であることには間違いは無く、他人とは思えないのも事実だ。


「相手だって、大事な娘を工場勤務の息子にくれてやる気は無いでしょうよ」

「でも、顔合わせにまで及んだわけだから、その気はあるわけでしょ?」

「そうねぇ」


 幸枝が深いため息を吐いた。


「この結婚には条件があったのよ」





 親同士の顔合わせと言うのは表向きの話で、その席で切り口上的に話されたのは、息子の仕事のことだった。

 父親である木梨喜一は、幸枝が自分の愛した女性であることに気がついていた。しかし、その場で驚きを態度に表すことはできない。喜一は、苦虫を噛み潰したような表情を崩さず、息子の職業について不本意であることを明らかにした。

 幾度か両親には会っていたようだが、そのようなことを言われたのは初めてのようで、高貴自身度肝を抜かれたように、俯いて何も言えなくなっていた。

 喜一の妻も、娘がどうしても高貴と一緒になりたいと、泣いて懇願するから許すが、本来なら当家にはふさわしくないと言い放った。





「可哀想に・・・高貴君。あんないい子を・・・」


 久子が、高貴の胸中を思い言葉を詰まらせた。


「だから、金持ちってイヤですよね!」


 直子が、憎々し気に吐き出した。





「そこで、高貴君には私の会社に来てもらいたい」


 喜一は、『高貴が自分の勤める会社で働くこと』それが条件だと言い出したのだ。確かに小さな工場に勤めているよりは、将来安泰かも知れない。しかしそれは、かつて自分が喜一から受けた仕打ちとなんら変わらないように思えた。


「仕事で人を判断されるんですか!」


 昔のことが蘇り、怒りから言葉が飛び出そうになったとき、高貴が静かに言った。


「分かりました。お嬢さんとの結婚を許してくださるなら、仕事を変えること位たいしたことではありません」


 幸枝の怒りが、拳を振るわせた。しかし、高貴の愛が決断させたのなら、黙るしかなかった。

 目じりが熱くなる。悔しさで、気分が悪くなる。

 工場勤めのどこに文句があると言うのだろう。

 だが、息子の為にうなだれながら、小さく『よろしくお願いします』と言うしかなかった。

 うなだれる幸枝。その逆に、胸を張る木梨家。





「酷い!あんまりだわ!」


 直子が怒りをあらわにした。そこには、先ほどまでの幸枝の恋の行方を楽しみにしているという感情は全くなくなっていた。


「それにしても、それだけ言っておきながら、何でまた今日?」

「そこよ!アイツ!どんな住まいなのか、あれから私が、どんな暮らしをしてきたのか心配だったと言っていたわ」

「でも、いい男であることは、事実ですよね」


 さっきまで、悔しそうに怒りをあらわにしていた直子だが、急に矛先を変えてきた。


「まぁ、確かにねぇ。私が好きになる男だもの。そりゃー、ねぇ」


 幸枝も、直子にそう言われたらまんざらでもなさそうだ。


「結構、焼けぼっくりに火・・・なんてことも、ねぇ」


 最後の『ねぇ』は、久子に向けて言われたのだ。久子は久子で、含むように笑っている。

 高貴のことは悔しいが、幸枝の恋の行方はまた別問題なのだ。


「あんなサイテーなヤツとは、付き合いません!」


 幸枝が言明すると、久子と直子が同時に


「気がついたんだー」


 と、大笑いだ。


「それにしても、娘の結婚相手の親が、元カノだったなんて、相手もビックリだったろうねぇ」

「再会して、会いに来るくらいだから、ずっと探していたのかもしれませんねぇ」


 神妙に聞いていた二人だが、徐々に話がゴシップ化してきている。テーブルの上には、発泡酒の空き缶が軽く五~六本は並んでいるのだ。

 この話のおかげで、昼の暑さも苦にならない。扇風機がうなりながら、部屋の温度を下げていることすら忘れているのだ。

 暑さを忘れられないのは、ぐったりと伸びているマグロだけのようだ。


「結構、テレビなんかで、この人を探してください見たいなのにでてたかもしれませんね」

「まさか、金持ちなんだから、どうせなら探偵に頼むとかするでしょ」

「そうですねぇ、じゃぁ、探偵がうろうろしてたかもしれませんよね。すごいー!サスペンス劇場みたい!」

「このままいったら、妻の方が気がついて、幸枝に嫉妬して」

「幸枝さんを殺しにくる!」


 完全に楽しんでいる。


「あんたたちねぇ、勝手に人を殺さないでくれる?」





 さっきまでの感情の嵐はどこへやら、久子と直子は爆笑しながら、アルコールを楽しんでいる。

 久子と直子にとって、最高の酒の肴となった。




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