第六頁 扉の向こう
少し短めですが、キリが良いので
レイルとラスクは街中を走る路面列車に乗っていた。列車の車窓からは朝の混雑する街中の様子が良く見える。レイルはあまりこう言った都会には来たことがなかった。お上りさんよろしく、彼は街の様子や人々の姿をじっくりと観察する。
そうしてレイルが外や車内を観察していると、学生と魔術師の姿がずいぶんと目立っていた。他の街ではあまり見かけない彼らが、路上列車の乗客の半数近くを占めていて、街の通りも彼らの歩いている割合が高い。
「学生と魔術師がずいぶん多いんだね」
「このあたりじゃ普通よ。なにせ、大学とギルドがこのあたりの主要産業だから」
「へえ……変わってるなぁ」
ギルドというのは職業魔術師が所属する組織のことである。有害モンスターの討伐から近所の草むしりまであらゆる仕事を網羅する、巨大な斡旋業者のようなものだ。さまざまな思惑から各国の支援を受けていて、ユーパ各地に支部があり、どんな田舎にも大体一つは拠点がある。
どうやらこのランブリッジの街はかなり大きなギルドの拠点があるようだった。無理もない、街から一歩出れば無限草原である。無限草原は強力な魔物の生息地としても知られていて、その対抗上、多くの魔術師が集められているのだろう。大学とギルドの取り合わせはいささか奇妙に思えるが、このような事情があると考えれば不思議ではない。
『次はランブリッジ図書館前。次は、ランブリッジ図書館前』
だみ声の車内アナウンス。レイルたちは荷物をまとめると、運賃を払い、列車を降りた。彼らの目の前に広がる人の海と、その向こうに聳える巨大な図書館。レイルは思わず息を漏らす。図書館の中にぎっしりと詰まっているであろう蔵書を思い、彼はすでに感動的な気分にすらなっていた。
図書館前の広場はごった返していた。学者然とした人々や、本を手にした学生と思しき人影が忙しく行きかっている。彼らは図書館へと続く間口の広い階段を、勢いよく上り下りしていた。白く輝く大理石と思しき階段を、カツカツと無数の足音が響いている
「ここが図書館の正面玄関よ」
「……いつもこんなに込んでるのか?」
「ええ、よっぽど『天気』の悪い日じゃない限りはね。今日はこれでも少ない方よ」
「……うわァ」
レイルは思わず息をのんだ。これほどの利用者を捌くとなると、どれほど忙しいのだろうか。レイルの顔が少しだけひきつったようになる。しかし、それをみたラスクはふふふと笑った。
「大丈夫よ、利用者の管理は一般図書の連中がやってくれるから。私たちは大して忙しくないわ。それに……」
「それに?」
ラスクは胸元から小さな本を取り出した。彼女はそれを空高く放り投げる。紅い本はまたたく間に紅い点となって、どこかの屋根めがけて落ちていった。遠くでドサッという音がする。レイルはあまりの事に、ニヤッと笑っているラスクを睨んだ。
「何するのさ!」
「すぐわかるわよ。ほら、戻ってきたわ」
「えッ?」
どこかに落ちてしまったはずの本が、時を反転させたように、元の軌道をたどってこちらへ戻ってきた。ラスクはそれを見事にキャッチすると、再び胸元へと戻す。そして、眼の前で茫然としているレイルに笑いかけた。
「うちの図書館の本はね、全部特殊な魔法が掛けられてるのよ。だから期日がくると自動的に図書館まで帰ってくるってわけ。あと、耐熱耐水耐魔とかさまざまな防御が掛かってるから、そっとやそっとのことじゃ破損しないしね」
「なるほど! それじゃ、特に管理なんてしなくても大丈夫なんだ」
「ええ。ただ『もしもの時』のために私たちが必要なんだけど」
ラスクはそういうと階段の端を上がっていった。レイルもその後に続き、図書館の入口へと至る。
図書館の入口は途方もなく巨大な扉であった。雲を衝くような巨人でも持て余してしまいそうなほどだ。とても人間が使うために作ったようなものではない。レイルは上を見上げて、その大きさに思わず圧倒されてしまった。加えて内側から、何か得体のしれない力を感じる。飴色の分厚い木の向こうに、間違いなく何かがある。
「この扉……」
「ふふ、大きいでしょ? でも、これぐらいで驚いてるようじゃランブリッジの司書は務まらないわ」
ラスクはそう言いながら、レイルを扉の左側へと誘導した。そこには扉をくりぬくようにして小さな――人が普通に使えるサイズの扉がある。さすがにこの巨大な扉を開けることはできなかったようで、扉に穴を開けて普段使うための扉を造ったようだ。もっとも、普通に使えるサイズといってもレイルの背丈の倍ほどの高さと幅のある扉なのだが。
ラスクとレイルは利用者の列に混じって、その図書館の扉をくぐった。すると――。
「ああ……! なんだこれは……!」
レイルは言葉を喪失した。彼の頭の中を驚愕と歓喜が満たしていく。
彼が足を踏み入れた図書館の中は一面、白に包まれていた。見渡す限りどこまでも、白い霧の海が広がっている。信じがたいことに、建物の中なのに壁というものが全く見えない。まるで異世界のようだった。世界が全て白で構成されていて、空間に果てというものがない異世界だ。
本棚はその白い霧の海の中に埋もれるようにして立っていた。棚はいずれも六角形をしていて、森の木々のように密に立ち並んでいる。霧に隠れてしまっていてよくわからないが、その大きさはさながら塔のようだった。それぞれが途方もない量の本を詰め込んだ塔が、無数にレイルたちを見下ろしている。その隙間を酷くちっぽけに見える利用者たちがあれこれと行き来していた。彼らは飛行魔法などを駆使しながら、縦横無尽に本の海を巡っている。
まったく、途方もない光景だった。言葉を失ったレイルは改めて横に居るラスクの方を見る。すると彼女は急に姿勢を正して、彼の正面へとやってきた。そしていつになく優雅な礼をすると彼に告げる、
「ようこそランブリッジ図書館へ――!」