第五頁 ランブリッジ図書館
いよいよ物語がメインの舞台に移ります。
鉄路を蹴り、列車が大地を駆け抜ける。地平線の果てまで広がる草原の中を、魔法機関独特の風が泣くような唸りを上げながら猛進していく。ヒュウという轟音とけたたましい鉄輪の音が、まだ朝陽も昇らぬ早朝の草原に響き渡っていた。
ユーパ地方の東方からアーシア地方にかけて広がる無限草原。その入口の辺りにランブリッジの街はある。レイルの持っている資料によれば、つい五十年ほど前に出来た比較的新しい街なのだそうだが、盛んになりつつある東方交易と街の中心にある図書館の影響でかなり栄えているらしい。
長旅の疲れに少しうつらうつらしながら、レイルは窓から流れ込む風で頭を冷やしていた。朝の草原の風は実に冷えていて、寝ぼけた頭に心地よい。
「ぱっと見はとてもそんなところには見えないのにな……」
レイルは車窓から見える一見して穏やかな草原の様子に、拍子抜けしたように呟いた。ここ無限草原は緑の砂漠などと揶揄されるほど過酷な自然条件で有名である。世界の果てなどと評する者さえいる。しかし、レイルの眼に飛び込んでくるのは一見穏やかな風景ばかりだった。涼やかな風の吹く牧歌的な草原が、延々と地の果てまで続いているようにしか見えない。
そんな草原の様子に興味を惹かれたのか、レイルはしばらく窓の外を覗き続けた。するとここで、遠くに街らしきものが見えてくる。間違いない、この街こそがレイルがこれから暮らすランブリッジの街だ。
「へえ、結構都会じゃないか」
列車から見えるだけでも、数え切れないほどの建物を見ることができた。いずれも街が新しいことを反映してか近代的な煉瓦造りの建物ばかりで、その間を広い通りが走っている。列車は瞬く間に街並みの中へ吸い込まれていき、レイルの視界を都会の街並みが占領した。
彼はそんな街の一角に、巨大な円形の建築物を見つけた。街の中心部を占拠するそれは、途方もない大きさだ。周囲に立ち並ぶ高層建築が子供のおもちゃのように見えてしまう。十階にも及ぼうかというビルディングが、その半球形の建物の高さの三分の一にも満たない。幅に至っては大きさが違いすぎて比較にすらならなかった。城と犬小屋を比較するようなものなのだ。
レイルはその巨大建築の正体がすぐに分かった。思い当たる節があった。しかし、彼はすぐにその事実を飲み込めず、思わず窓に張り付くような姿勢を取った。そして思わず叫んでしまう。
「こ、これが……図書館なのか!?」
数分後。レイルの乗った列車は無事に終点であるランブリッジ駅にたどり着いた。彼は荷物をまとめると人並みに飲まれるようにして駅のプラットフォームに降り立つ。朝の駅はかなりゴミゴミとしていて、レイルは人込みをかき分けるようにして改札の方へと移動した。
ランブリッジ駅の改札の先に立っている金の女神像。朝陽を反射して眩いばかりの光を放つそれは、待ち合わせには格好の場所であった。レイルは懐中時計を取り出すと、現在の時刻を確認する。
時刻は午前六時二十分を過ぎたころ。図書館の職員が彼を迎えに来ることになっていたが、それまで後十分ほど時間があった。彼は荷物を手に抱えると、女神像の台座にもたれかかる。かれこれ五日にも及ぶ長旅は、彼を疲れさせていた。
うつらうつら……。気がつくと、レイルは薄眼を開けて船を漕いでいた。台座に持たれているというかなり不安定な姿勢にも関わらず、彼の口からは微かに寝息すら聞こえる。意地なのか眼こそ完全に閉じていなかったが、身体はほとんど完全に寝ているようだ。
六時三十分になる少し前。半分、いや三分の二ほど寝ているレイルに少女が近づいて来た。白っぽいどこかの制服のような服を着た、気の強そうな少女だ。彼女は金髪を揺らしながらドカドカとレイルに近寄ると、彼の肩を掴む。
「えっと、あんたがレイルかしら?」
「……」
レイルは少女の呼びかけに全くの無反応だった。全く耳に入っていないようだ。少女は呆れたようにため息をつくと、レイルの肩に手を掛ける。
「こんなところで寝るとか、どんだけ図太い神経してるのよ……。ほら、起きなさい!」
「……」
レイルは揺さぶられても無反応だった。少女は仕方ないとばかりに耳元に甘い声で囁きかける。
「ねえ、起きてってば」
「……」
無反応。何となく傷ついた少女は額に皺を刻むと、手に血管が浮かぶほど力を込める。
「起きろ!」
「イッタァ!!」
レイルは頬を抑えると、思わず飛び上がった。彼は紅くなった頬を手で押さえると、眼の前で会心の笑みを浮かべている少女を涙目で睨みつける。
「何するんだよ、酷いじゃないか!」
「あんたがこんなとこで爆睡してるからでしょ! ったく、恥ずかしいじゃない」
「良いだろ、別に。あ、そんなことより時間が!」
時計を取り出してみると、時刻はすでに約束の六時半を過ぎていた。レイルは慌てて辺りを見まわし始める。すると、少女がやれやれとばかりに肩をすくめた。
「……あんたの待ち合わせ相手は私よ」
「え?」
「ほら、これ見て。間違いなく図書館のマークでしょ」
少女はそういうと自らの左胸を手で示した。たゆんと揺れる胸には、本と杖が交錯したような意匠のマークが金糸で刺繍されている。封筒などに描かれていた、ランブリッジ図書館のマークそのものだった。
レイルはそれをしげしげと眺める。
そして数秒後。何故か少女は顔を真っ赤にしていた。
「あんたさあ……女の子の胸をそんなじっくり見るもんじゃないわよ?」
「あ、ごめん!」
「謝ってくれればいいわ。私はラスク、これからよろしく」
「僕はレイル、こちらこそよろしく頼むよ」
二人は互いに手を差し出すと、固く握った。しかし、ラスクはすぐさま握るのをやめると、駅の入口の方へと歩いて行ってしまう。レイルは慌てて荷物を手にすると、ラスクの後を追いかけ始めた。
「ほら、さっさと行くわよ。あんたには今日やることがたくさんあるんだから」
「だからって、ちょっと待ってよ!」
「ダーメ。私は待つのが苦手なの」
「そんなぁ……」
レイルは大声でなぎごとを言いつつも、ラスクの後を追いかけていった。なんだかんだ言って、彼女も大荷物のレイルに合わせているようではある。心なしか歩く速度がゆっくりだった。彼は何とか彼女について、広い駅の中から抜け出す。
「おおッ!」
駅を出るとそこはバスなどが止まるための広場となっていた。実にさまざまな格好をした数え切れぬほどの人々が、次々と広場に乗り入れてくるバスや車に乗り込んでいった。中には最近流行している路面列車の姿も見える。沸き立つような活気があり、レイルは都会の風を感じた。
そんな広場の奥にある建物の切れ目から、ランブリッジ図書館の威容がレイルの眼に飛び込んできた。空を半球形に切り取る、白亜の大建築。それは城や丘といった次元を通り越して、巨大な山だった。本を中にぎっしりと詰め込んだ、レイルにとって夢いっぱいの山だ。彼はその陽光を反射して煌く姿に、思わず言葉を失ってしまう。神々しささえ感じることができる建物だった。
「ふふ、凄いでしょ。ランブリッジ図書館はね、大陸最大の城って言われてるシュタインバッハ城の十倍は大きいんだから!」
「へえ……凄いな……」
「ま、そんなところでこれからあんたも働くんだからね。覚悟しときなさいよ」
ラスクは先ほどまでとは違う真剣な顔だった。レイルもまたそれに、真剣な顔でしっかりと頷いて応える。
「もちろん。覚悟ならできてるよ!」
「良い返事ね。じゃ、その調子で行きましょうか」
ラスクは勢いよく駆けだした。レイルもまた、それを後ろから追いかけていく。いよいよ彼の新生活が、ここランブリッジを舞台にして始まろうとしていた――!