第二頁 決闘
黄昏に染まる煉瓦の塔。その燃えるような光に眼を細めながら、レイルはアメリアを睨んだ。彼女の後ろに置かれているカバンには彼の愛読書が入っていて、カバンの蓋の隙間からわずかにその赤い表紙を覗かせていた。
ぺルル広場の空気はしんと静まり返っている。物悲しげにそよぐ西風が、広場に溜まっていた土ぼこりを少しずつ巻き上げていく。二人、そして二人の周りに集まった見物人たちも誰一人として物音一つ立てなかった。
「さて、始めましょうか」
「……やるしかないみたいだね」
二人は互いに杖を手にした。そして互いに距離を詰め、杖の先端を軽くぶつけ合う。決闘をする際の正式なマナーだ。これをすることによって、戦いは喧嘩から決闘となり学園にその正当性を認められる。
グリモワール魔法学園は今でこそ魔法学園であるが、その昔、魔法発見以前は剣で戦う騎士を育成するための騎士学校であったとされている。その時から続く伝統が、この決闘だ。今ではほとんど形骸化して行う者などまれだったが、学園の制度として「喧嘩」は処罰されるが「決闘」は処罰されないという事柄が残されているのだ。
「まずは私から……ファイアバレット!」
アメリアは杖を指先でクルクルと回し、無数の炎の弾を繰り出した。その数、ざっと見て数十。一つ一つの大きさは小石ほどしかないが、数え切れないほどの数と嵐のような勢いを持った炎の弾が、レイルの方へと乱れ飛ぶ。
「ウォータシールド!」
レイルの前に厚い水の壁が現れた。円形に展開されたそれは、その厚さからもはや水塊のような状態だ。炎の弾は残らずその壁に吸い込まれ、シュウシュウと表面を蒸発させるだけに留まる。
「ちッ、ファイアランス!」
アメリアはすぐに手を変えた。身体よりあふれる魔力、口より紡がれる長き詠唱。紛れもない大魔法だ。彼女の身体の前に熱が収束していき、長大な槍となる。炎を超越しもはや純然たる熱の塊であるそれは、あまりのエネルギーのため強烈な風を帯びるほどだった。槍を中心に空気が対流しているのだ。その輝きはさながら、全てを焼き尽くす灼熱の太陽か。
「さあ、これが当たれば流石のあなたでも死にますわよ! 降参なさい!」
「嫌だ。それに僕にはそれは当たらないよ」
「きィーー!! 憎たらしいですわね!」
アメリアは唇をかんだ。瞬間、半ば癇癪を起した彼女の手から、直撃すればすべてが灰となる槍が放たれる。槍は紅の軌跡を描き出して、死神の鎌の如き精度でレイルの元へと飛ぶ。
当たる――! レイルは避けなかった。誰もが炎の槍が水の壁を貫き、レイルを灰にしてしまうのだと直感した。あちこちで小さな悲鳴が上がる。レイルが灰になるのはもはや必定か――。
刹那、レイルの身体が飛んだ。彼の上半身は炎の槍を見下ろし、足もかろうじて槍の直撃を免れる。高く、塔を追い越すような高みまで彼の身体は飛び上がった。卓越した魔力による身体強化のなせる技だ。
「空へ逃げても無駄ですわ! ファイアバレット!」
アメリアは一瞬戸惑ったが、すぐさま臨戦態勢へと回帰した。自由落下の状態ではウォータシールドは飛び散ってしまい使い物にならない。瞬間的に彼女はそれを見抜いたのだ。唇がそこだけ別の生き物のように素早くうごめき、炎の弾が乱れ飛び始める。
「ウォータ!」
レイルの杖の先から水があふれ出した。濁流のように際限なく吐き出される水は、またたく間に炎の弾膜を蹴散らした。レイルはそのまま水に呑まれるようにして着地する。
「なッ! ウォータでそんな水を!」
通常のウォータでは桶一杯分も水が出せれば上々だ。それをレイルは、膨大な魔力を注ぎ込むことによって出せる水の量を青天井式に増やしたのだ。アメリアは思わず眼を丸くしてしまう。
「次はこっちの番だ! ウォータバレット!」
「私だって……ファイアシールド!」
レイルが繰り出した水弾を炎の壁で防ぐアメリア。しかし、レイルの放つ水弾は膨大な魔力が注がれているのか一つ一つが拳大ほどの大きさがある。
徐々に押されていくアメリア。彼女は少しずつ後退していき、やがて広場の端近くにまでたどり着いてしまった。そこから先は階段で、その階段にはすでに見物客たちが陣取っている。事実上、もう後がない。
「まずいですわ……」
「そろそろ大人しく降参したら?」
「絶対に嫌ですわ! ……ラインレットの長女として私は一番でなければなりませんの!」
汗を流しながら、必死の形相のアメリア。その顔には壮絶なまでの執着や焦りが表れている。彼女は両手で杖を押さえ、炎の壁を維持しつつ、別の呪文を唱え始めた。彼女の身体より膨大な魔力が溢れだし、周囲に不穏な気配が漂い始め、広場の土や砂埃が上へと巻き上げられていく。
西塔の最上階に位置する学園長室では、学園長たちがそんな二人の戦いを見守っていた。彼らは膨大な魔力を集め始めたアメリアの様子に、なにやら頷く。
「ありゃあ、召喚呪文じゃねえか?」
「魔力の質からするとおそらくサラマンダーだろうな。だが、それではレイル君には勝てまい」
「ああ、あいつの実力は俺の予想以上だった。戦えねえとばかり思ってたが、そうじゃねえようだ」
学園長は改めて机の上に置かれたレイルの資料へと視線をやった。彼自身、レイルのことは生徒の一人としてそれなりに把握している。魔力が多いが本好きであまり戦いを好まないこと、アメリアから決闘の申し込みを受けているがそれを今まで退けてきたことなど、彼に関して大抵のことは知っている。
それゆえに眼の前のいけ好かない男――館長から魔力値の多い生徒をリストアップして送れと言われたときに彼の資料を送らなかったのだが、どうやらそれは見当違いのことだったらしい。
「しかし、このままでは実力がわからんな」
アメリアがサラマンダーを召喚しようとしているのを見守っていた館長が、ふとそんなことを呟いた。彼は手にした杖に向かって、長い呪文を詠唱し始める。
「おい、何するつもりだ」
「何、誰も死にはしないだろう――」
そうして学園長室で館長と学園長が言い争っている頃。ぺルル広場ではいよいよアメリアの呪文が完成しようとしていた。彼女の周りに集まった膨大な魔力が光の靄のようになり、足元には幾何学的で複雑怪奇な魔法陣が浮かびあがっている。すでに渦巻く魔力が水弾を弾くため、レイルは先ほどから彼女の様子を見守ることしかできなかった。
「――来なさい! サラマンダー!」
咆哮が聞こえた。大地が隆起して捲れあがり、巨大な穴が口を開ける。
穴より黒鉄の巨体が現れた。夜のような翼を黄昏の空に広げて、それは雄々しく大地に立つ。
濃密な死の香りを振りまき、ぎらつく牙を裂け広がった口に並べ立てるそれはまさしく悪魔だった。黒き巨体は陽光を吸い込み、禍々しい光へと変えている。紅き竜とされるサラマンダーの姿と今ここにいるおぞましい怪物とでは姿が全く異なっていた。
「なんなんですの……?」
茫然とつぶやくアメリア。彼女の頭上に、黒き尾が振り落とされる――!