第一頁 来訪者
グリモワール魔法学園は深い山々と森に囲まれ、近くに町が全くないというかなり辺鄙な場所に存在している。平穏な学園環境を保つというのがその理由であり、実際に勉強するうえで良い環境が保たれているのだが、交通の便が悪いのは確かな事実だ。
そんな学園へと続く一本道を、黒い車が走っていた。マッチ箱のような四角く無骨な車体の中には初老の男が一人とそれに寄り添うようにして若い女が一人、さらにハンドルを握る青年が一人乗りこんでいる。主人と秘書と運転手、といった組み合わせだろうか。
女はおもむろに懐をまさぐると、金の懐中時計を取り出した。彼女はそれを覗き込むと、隣に座っている男にそっと告げる。
「館長、学園まであと五分ほどです」
「うむ。後五分でまたあいつと顔を合わせねばならんと考えると憂鬱だな」
「仕方ありませんわ、今回の件についてはきちんと学園長の方から説明を頂かないと」
「まったくだ。ある程度魔力値の高い者は全てリストアップして送ってくれと連絡したはずなのに、この体たらくなのだからな。転校してきたのか何なのかはわからんが、いずれにせよ説明は必要だ」
館長と呼ばれた男はそういうと、手元の書類に眼を落した。その書類には何故かレイルの写真と詳細な経歴、さらには魔力値まで書き込まれている。
「……しかし、これほどの魔力値を持つ人間がまだ残っていたとは。世の中広いものです」
「戦えるかどうかは別問題だ。あれを動かすには魔力値以外にも独特の資質がいる。それがあるかどうかを確かめるのも、今回の我々の仕事だぞ」
「わかっております、館長」
やがて車の前方が開けてきた。森を切り取るやや色褪せた煉瓦の壁と、空へと伸びやかな直線を描く五つの塔が彼らの視界を占拠する。グリモワール魔法学園はよく古城に例えられるが、そのどっしりと重厚感のある佇まいはまさに数百もの歳月を経た城と同じだ。高々と大地から生えたような壁も、水晶の空を貫く五つの塔も雄々しい威圧感と優美さを兼ね備えている。
車はいつの間にか石畳になった道を走り抜け、学園の堅牢な門を潜った――。
グリモワール魔法学園の中央塔。東西南北に一つづつ配された塔の中央にそびえるこの大建築は、おもに教室として使われている。
その五階の最も東側でレイルは授業を受けていた。卒業を間近に控え、生徒も教師も落ち着きがなく、時間ばかり取って内容が薄い授業。この時期の授業というのは得てしてそうだが、新しいことはやらずにもっぱら復習ばかりの授業。それをレイルは聞き流すことなくノートに取っていた。頭の中ではさほど重要ではないとわかっていつつも、ノートを取ってしまうあたりが彼の真面目な性質の表れか。
「魔法学の歴史というのは、以前にも話した通り、大陸歴1760年に我がレンゲル王国でマギク遺跡が発見されたことより始まる……」
延々と黒板に文字を羅列していくだけの老教師。彼がほとんど眼を向けてこないことをいいことに、生徒たちはそのほとんどが雑談などに興じていた。レイルの隣に座っている少女もその例外ではなく、彼の机の方にどこかから回ってきたらしい紙切れを寄越してくる。
『あなた、どこに行くことになりましたの? 聞かせてほしいですわ』
流麗でどこか気取ったような文字。それを書いた人間がレイルにはすぐわかった。彼はとっさに後ろを振り向く。すると胸元を大胆にはだけた少女が、豊かな紅髪を揺らして嫌みな笑みを浮かべていた。
少女の名はアメリア・ラインレット。魔力値一万という能力を誇る少女で、ラインレット男爵家の長女である。そして、レイルに時たま喧嘩をふっかけてくる相手であった。
『まだ決まってない。希望としては王立図書館かアカデミー』
そう書かれた僕の手紙はすぐにアメリアの元まで回った。アメリアは口元を押さえ、愉快そうに眉をゆがめる。
『流石に腰ぬけですわね。あれだけ魔力値があるのにそんなとこに行く予定なんて』
また回されてきた紙に書かれていたのは、人を小馬鹿にしたような文字であった。アメリアの感情がありありと伝わってくる。レイルはそれを読んだ途端、また手紙を書きなぐった。そこから延々と二人のやり取りは続く。
『どこに行くかなんて僕の自由だろ? 馬鹿にしないでほしいな』
『あら、それだけ魔力値があるのに騎士にならないなんて腰抜けでしてよ? あなたそれでも男なんですの?』
『僕は純粋に本が好きなだけなんだ。べつに戦うのが恐いとかそういうわけじゃない』
『本当に? それだったら私と戦って証明してくれます?』
『それは……』
レイルの羽根ペンが止まった。彼は後ろを振り向く。アメリアは嫌みな嘲笑を浮かべていた。不敵に吊りあげられた眼が実に挑戦的だ。
レイルはそのままほとんど何も書かない状態で紙を後ろに回した。アメリアはそれを見るなりわざとらしく驚いたように眼を見開き、口を押さえる。
ちょうどその時、遠くから澄んだ鐘の音が響き、授業が終わった。今日の授業はこれで最後である。レイルは挨拶もそこそこにカバンを持って、放課後の教室を抜け出し、いつものように図書館へと向かおうとした。すると、彼の肩が不意に誰かに掴まれる。
「お待ちなさい!」
「なんだよ、僕は図書館に行かなきゃいけないんだ」
「そうやってまた私から逃げるんですの? いいですわね、あなたはそうやって逃げてれば自然と最優秀生徒の座が転がり込んでくるのですから!」
最優秀生徒。それは文字通り、グリモワール魔法学園の生徒のトップであることを示す。現在では卒業の際につけられるほとんど名誉称号のような物であるが、これに憧れる生徒は多い。ただし、この称号は学業成績などによって与えられるものではなく、たいてい魔力値の最も多い生徒に与えられる。
今年の生徒で最も魔力が多いのがレイル、そして二番目がアメリアだ。アメリアは戦いでレイルを倒すことで自分がレイルより優秀であることを示し、どうにか最優秀生徒になりたいのである。
「別にそういうわけじゃないさ」
「いいえ、あなたはきっとそう考えていますわ。ですが、今日こそは逃がしませんわよ」
アメリアは腰から杖を抜き放った。彼女は杖を突き出したままレイルに近寄っていくと、彼のカバンから飛び出していた本をひったくる。
「あ、ちょっと!」
「五時にぺルル広場にて待っていますわ。もし来なかったときは、あなたの大切なこの本を燃やしてしまいますからそのつもりで」
「そんな!」
「いいですか、燃やされたくなかったら必ず来るんですのよ!」
そういうとアメリアは取り巻きをひきつれて教室から出ていった。教室には茫然と立ちつくすレイルが残される――。
午後五時、ぺルル広場。黄昏に染まる西塔の影が長く伸び、学園の周囲を囲う山々より冷たい風が吹き下ろしている。
ぺルル広場は数十年前まで魔法を競う実技場があった場所である。今でもその名残で中心部が低く、周辺部が高いというすり鉢状の構造をしていて、傾斜面が階段のようになっているという闘技場のような場所だ。まさに戦うにはうってつけの場所だ。
「さあ来たよ。本を返して」
「戦いが終わったら返しますわ」
中央で睨み合うレイルとアメリア。彼らの周りにはすでに見物人が集まり、ぺルル広場の雰囲気は嫌が上にも高まっている。見物人たちはみな階段部分に腰かけて、二人の状況を見守っていた。
西塔の最上階、学園長室。そこにも二人の様子を見物している者たちがいた。先ほど学園にやってきた館長と呼ばれた男と女、そして学園長と札の掲げられた椅子に腰かけている中年の男だ。彼らは大きな窓からぺルル広場を見下ろしている
「……いま下で戦おうとしてるのが問題のレイル君なのだな?」
「ああ。あいつが戦おうなんて珍しいこともあったもんだぜ」
「我々にとっては好都合だ」
訝しげな顔で葉巻を吹かす学園長に対して、館長は不敵に笑った。彼は窓際に近づいて行くと懐から小さな杖を取り出す。紅いクリスタルを先端にあしらった杖は、黒く濡れたような艶があり、それを取り巻くように紫霧が漂っていた。
「さて、お手並み拝見と行こうか――」