プロローグ
場面の追加、描写の増加、世界観説明の追加、人称の変更を行った全面改訂版です。
「巨人……!」
レイルは深い闇の中に聳える異形の巨人を見て、驚愕の声を漏らした。黒紫色の甲冑に身を包み、壁に十字に磔にされ、周囲を虚ろなる眼で見下ろしているその姿はさながら神に反逆したという古の巨人か。 その途方もない威圧感、存在感、そして鋼の身体に渦巻く膨大な力。そのすべてが少年の心を芯より震わせる。魔獣、聖獣……レイルがであった強大な存在は数あれど、これほどまでの力を誇っていた者は初めてだ。自然と背筋が硬直し、額から冷たい汗が滴り落ちる。
「それはナイトスレイブ。魂無き騎士人形よ」
レイルの後ろの陰より、ふっと少女が現れた。彼女は驚愕に顔をゆがめるレイルに近づいて行くと、そっと微笑む。
「ナイトスレイブ? 騎士人形?」
「そう。これからあんたはこいつの魂になる。つまりこいつに乗るってこと」
「乗る? 僕がこれに?」
「なに不思議そうな顔してんのよ、あんたそのために来たんでしょ」
少女はニヤリと蟲惑的な笑みを浮かべる。夜空に浮かぶ月のように、その笑みは魅力的だった。されど、それを見たはずのレイルは困惑したような顔をする。
「違うよ、僕は――」
言葉に若干の間が空く。少女は首をかしげた。レイルの唇はさらに膨れたようになり、力が込められる。
「司書になりに来たはずだよ!?」
世は魔法全盛期。
アルテシア大陸の遥か西端にて発掘された古代技術『魔法』は世界を席巻し、たった百年のうちに世界の様相を一変させていた。
かつては神秘に包まれていた大地を魔導車の鉄路が駆け巡り、竜の住処と恐れられた天を魔空船が縦横無尽に飛び回る。都市には煉瓦造りの魔天楼が立ち並んで、夜も煌々と無尽灯が点るようになり、人は闇を畏れないようになった。
魔力こそが絶対の力である――いつの間にか人々にそんな価値観が芽生えていたのも、無理からぬことであろう。強大な魔力を持つ者はそれだけで人生が約束されているに等しかった。富、名声、権力……そのすべてが魔力次第で手に入る。それがこの時代だ。
しかしそんな時代において、魔力があるにも関わらず平穏で派手さのない生活を望む者もいた。彼の名はレイル、無類の本好きである――。
「ねえ、この進路希望表はなんなの?」
レイルの在籍する、大陸でも有数の名門魔法学園グリモワール。その西塔にある職員室で、レイルは担任のルーナに睨みつけられていた。
彼女のいささか散らかった机の上には、進路希望票と書かれた少々厚ぼったい書類が置かれていた。
時期は寒さもいよいよ厳しさを増してきた十二月。学園卒業を三カ月後に控えたレイルは進路相談の真っただ中なのである。
「どこかおかしいですか?」
「別におかしくはないけどさ……。王立アカデミーに王立図書館。さらにはこの学園の教師。みーんな魔力の低い子が希望する職業じゃない!」
この時代、研究職というのはイマイチ流行らなかった。決して悪いわけではないのだが、圧倒的な魔力を武器に戦う魔導騎士団や各地で魔獣と転戦する職業魔導師に比べればどうしても待遇やステータスなどで劣る。特に魔法騎士になれば功績次第で、国から位を賜ることとて夢ではない。魔法騎士はこのグリモワール魔法学園に在籍する生徒のほとんど誰もが夢見る、絶対的な花形職業なのだ。
「でも僕、騎士とかよりそういう仕事が好きですから。本に囲まれた生活をするのが僕の夢ですし」
「先生だってね、君が本とか勉強が好きだってのはもちろん知ってるよ。だけどあなたには三万三千もの魔力があるの。それを活かそうとは思わないの!?」
三万三千。これは一般的な人間の五十倍近い値だ。名門魔法学園とされるグリモワールでも、生徒の平均はせいぜい千前後。一万もあれば誰にでも自慢できるような値なのだ。三万三千ともなれば、魔法騎士になることでさえ造作もない。
しかしこの『物好きな少年』は――ルーナは語気を強める。
「もし騎士になって国から位をもらえたりすれば、一生安泰だよ? 本に埋もれるのはそれからでも間に合うんじゃないの?」
「ですから、僕はそういうのが苦手なんです」
「だって三万三千よ? 二千とか三千じゃないのよ? それだけ魔力値があれば騎士や職業魔術師として大成功できるわ! 女の子にだってきっとモテモテよ?」
「とにかく僕はそういう進路に就くつもりはありません!」
「本当にいいの? 研究職とかって地味よ? この学園の教師だって給料は安いし嫌みな教師や生意気な生徒は居るし学園長は胸揉んでくるし……」
ルーナの声はだんだんと大きさを増していった。ペラペラと軽快に言葉を吐き出し続ける様子は、もはや愚痴の洪水だ。その音はやがてほかの職員たちの耳にも届き、彼らの顔が少しずつ歪んでいく。
「ルーナ先生?」
強く咎めるような口調だった。機嫌良く喋り続けていたルーナは思わず肩をびくつかせると、声がした方に振り向く。するとそこには不機嫌そうな顔をしたインテリ風の男――教頭が立っていた。彼は苛立たしげに眉を吊り上げ、手にしたペンで膝を叩きチッチとリズムを刻んでいる。ヒステリーを絵にかいたような状態だ。
「な、なんでもありません!」
「君はいつも無駄口を……これからは口を慎みたまえ」
「了解です!」
ルーナは勢いよく立ちあがると、バシッと敬礼を決めた。彼女はそのまま直立不動で立ち去っていく教頭の背中を見送る。そして彼が元の席に戻ったところで、ようやく腰を下ろした。
「……とりあえず今日の面談はここまでにします。来週また面談をするので、その時までに進路についてしっかりと考えておくように」
「はい。わかりました」
「それじゃまた明日――」
レイルは憂鬱な顔で職員室から出た。来週までに考えておけということは、来週までに魔法騎士になる決心をつけろということに等しい。ルーナは基本的に生徒のことを考える教師だったが、こういう考えにおいてはことのほか保守的な人物だ。
レイルは若干だが重い足取りで図書館のある東塔へと歩く。こういう憂鬱な時になると、彼は大好きな図書館で過ごすのが常だった。聖堂のような天井の高い長い通路を、彼は図書館方面へとゆっくり歩いて行く。
寮へと向かう生徒たちの流れから少し外れ、人通りもやや少なくなった一角を抜けると、レイルの目の前に大きな扉が現れた。上部がアーチ型を描く木製の扉で、その中央よりやや上辺りに『学園魔法図書館』と書かれている。彼がそれを開けると、すぐに本棚の列とカウンターが飛び込んできた。紙独特の落ちつくにおいと、静かな雰囲気が漂ってくる。
「あらいらっしゃい。珍しいわね、こんな時間に」
ちょうどカウンターに腰かけていた顔見知りの司書セフィナが、早速レイルに声を掛けてきた。レイルは軽く会釈をする。毎日のように顔を合わせているうちに、セフィナとレイルは親しい友人のような間柄になっている。
「今日は面談だから授業がちょっと早く終わったんだよ」
「ああ、そういうこと。レイル君が授業をサボるわけないもんね」
「もちろん。入学以来ずっと皆勤だよ」
「さすが、私のレイル君は一味違うわね」
「私のって……僕はいつからセフィナさんのものになったのさ」
「前からずーっと。だってレイル君は可愛いんだもん!」
セフィナはそう言って笑うと、レイルを上から下までしっかりと見渡した。今年で十八歳になる割に幼く、十四歳ほどに見える顔立ちと男にしてはやや小柄で筋肉のあまり付いていない細身の体。頬を赤らめ、少し潤みがちの瞳でセフィナを見返すレイルの容姿は、確かに『可愛い』と形容されてもおかしくはない。
しかし、可愛いといわれて喜ぶ男はほとんどいないわけで――レイルは変わりものだったがそう言った感覚は一般的だった。
「……もう、可愛いなんて言わないでください! 僕も気にしてるんですから! ……行きますね」
そういうとレイルは本棚の奥へと歩き去っていった。しかし、すぐに彼の足は止まる。本棚の奥に何やら見慣れない人影をいくつか見つけたのだ。しかも彼らは全身黒づくめで、何やら本棚を相手にいろいろと作業をしているように見える。
レイルはそっと来た道を戻っていった。そしてまだ受付にいたセフィナに小声で話しかける。
「ねえ、あっちに何か怪しい人たちがいるんだけど」
「あれね。なんでもどっかの図書館から来た人たちだそうよ。私も詳しいことは知らないけど、この図書館の本についていろいろ調査をしてるんだとか」
「へえ……」
「少なくとも素姓の怪しい人たちではないから、安心して」
「わかった、ありがと」
レイルはゆっくりと黒づくめの集団の方へと戻っていった。彼が読みたい本があるのは、彼らの奥にある棚なのだ。彼は少し緊張したような顔をしながら、男たちの合間を潜り抜けていく。
そうして彼は何事もなく黒づくめの集団がいた場所を通り過ぎ、目的の本へとたどり着いた。そのままレイルは立ち読みを始め、物語の世界へと没頭していく。一方そのころ、レイルに通り抜けをされた集団はザワザワと落ちつかない様子にあった。
「一瞬だが、魔力計が大きく振れたな」
「ああ間違いない。強力な魔力だ」
「これは……思わぬ収穫に巡り合えたかも知れん」
彼らは小声でささやき合うと、そのまま影のように図書館を抜け出していった――。