静かな付き合いの終わりと始まり
現代恋愛です
ある晴れた日の午後、私は長年の友人の結婚式に参加していた。
よくあるチャペル形式の結婚式に、これまたよくある親戚、会社関係、そして友人を招いた披露宴。これまで何度も経験してきたそれに、素直に座って友人をお祝いする。
心から、めでたい、と思うのに、私の心の中には吐き出せないもやもやを抱えている。
おめでとう、そう思いながら、どこか鬱屈としていく。
私は、いつからこんな嫌な人間になってしまったのだろうか。
長い付き合いの恋人との久しぶりのデートだというのに、私の心は浮き足立つことはない。
車を慣らすためのドライブに付き合いながら、流れていく風景に視線を向ける。
会話があるわけではない、だからといって居心地が悪いという程ではない。
けど、長年連れ添った夫婦のような安心感があるかといえば、それもない。
やがて、彼のお気に入りのラーメン屋にたどりつき、食券を買って個人ブースとなっている席へとそれぞれ進む。二人並んで座って、間の衝立をはずすこともできるけれども、彼と私は一度もそうしたことはない。
その方が合理的だから、と、彼は言う。
個々勝手に食べて彼の車へと向かう。そこから生活に必要なものを買いにモールへとでも進むのだろう。
今更、イベントのような華やかなデートがしたいわけではない。
けれども、ついでのような、流れのような、それに慣れきってしまった自分に気がついてしまう。
車を走らせた彼に、私は不意に言葉をこぼす。
「ねえ、私、結婚したいんだけど」
友人間の中では遅い結婚だ、といわれる友人の結婚式で味わった鬱屈。
それは私のこの言葉に集積されている。
私は、独身主義者なんかじゃない。
仕事一筋、というわけでもない。
そして、子供がほしい。
子供が欲しいからといって、ただ欲しいだけじゃない。
私は、今のところは彼との子供を、彼と一緒に育てたい。
私の希望は、過ぎたるものなのだろうか。
期待と不安がぐるぐると私の中をめぐっていく。
今まで、何度か口にしたことはある。その度にまだ早い、もうちょっと、と、のらりくらりと先伸ばしされた。
三度目のこれは、今までとは違う。
どこか追いたてられるような、もう先に道なんかないんじゃないか。そんな不安定で暗い気持ちがひたひたとせりあがってくる。
ああ、私は本当にこの人と家庭を築きたいのだと気がついた。
そして、それは彼も同じ気持ちであって欲しい、と。
そんな私のぎりぎりとした希望は、彼のごまかしたような話の転換で、霧散していく。
「あ、ちょっと必要なものがあるからモールとか行っていい?」
それが、彼の答えなのかもしれない。
私はいつものトーンで承諾の返事をした。
私と彼の付き合いは長い。
同じ大学の他学部という、正直接点のない二人は、卒業後の合コンで出会った。
偶然同じ大学だということに意気投合し、なしくずし的に付き合ってきた。
彼氏だと確認すれば頷くだろうし、彼女だと言われれば私も首肯する。
けれども、私は彼のことを詳しくは知らない。うっすらと家族構成は知っていて、両親はいて兄がいる。隣県で暮らしていて、結婚している兄家族はその実家近くに居を構えている。
それぐらいだ。
三年、五年と将来のことを聞いた。私は「普通」に付き合えばその先に結婚があって、まあ実家のような家庭を築く。
そのことに疑問を思うことはない程度には恵まれていたのかもしれない。
それを身の丈にあっていないほどの贅沢だと思ったことはない。
けれども、彼はその度にこちらをさもかわいそうで意識が低いものだ、というような視線をよこし、ごまかしてきた。そして私はそれを許してきた。
彼にとってはとても都合のいい女。
そんなことに気がついて、それでも私は彼のことが好きなままここまできてしまった。
友達がちらほらと結婚していき、そして出産報告が舞い込んできて、最後の独身の友達も先週結婚してしまった。
そこまで考えてため息をつく。
ワンルームの部屋の、狭いユニットバスに体を沈める。
私は、彼が好き。
そのままでも良かったのかもしれない。
のらりくらりと付き合って、笑いあって。
でも。
思った以上にダメージを受けた私は、適当に髪を乾かして、なにもかもを放り投げるかのようにベッドに体を預けた。
彼に結婚を持ちかけて、無視されて一月経った。
スマホのどこを覗いても彼からの連絡はない。
もとから連絡無精な彼は、私から繋がりを持とうとしなければ、簡単に切れてしまうことを知っている。
以前私が入院したときに連絡をしなければ、彼は私が病院にいたことすら知ることはなかった。
私が、メッセージを投げて、彼が適当に返す。
どこかへ行きたい、と言えば、私が準備をすればそれが叶えられる。
思い出せば出すほど、私たちの関係は不均衡だった。
そんなことにも気がつかないほど、彼のことが好きだったのかと言えば、そうだったような気もするし、違うような気もする。
暗くなったスマホに、疲れた自分の顔が写る。
幸せそう、には到底見えないそれを消すように画面を立ち上げる。
メッセージを送ろうと、アプリに触れる。
彼からの連絡はあれから一度もないことを、改めて確認をする。
何か、送ろうか。
そう思って、私はアプリを閉じる。
適当にSNSで話題を拾って、私はベッドの上にそれを放り投げる。
エアコンのモーター音しかしない室内で大の字となる。
悲しいのか。
もうそれすらわからなくなっていった。
三ヶ月も経てば、彼への気持ちも大分薄れてきた。
好き、と言えば好きなのかもしれない。
そんな程度に。
それでも不意によぎるのは彼との思い出で、中身が薄くてもさすがに八年も付き合っただけはある。
淡々と仕事をこなす。もとより仕事は嫌いじゃない。一筋!というほどの熱量はないけれども、努力をして成果がでるのは気持ちがいい。
資格をとるのもいいのかもしれない。
ふいにそんな気持ちが沸き上がる。
何もかも受け身でこなしてきた自分にしては前向きな意見だ。
少しだけ気持ちが浮上して、一日を締め括る。
その頃には、私はスマホで彼から連絡がくるかもしれない、という希望を捨てきっていた。
「うわ、めちゃくちゃかわいい」
妹の子供のお食い初めに呼ばれ、ノコノコと参上した私は、妹が抱いていた赤子のかわいさにすっかりとやられてしまった。
妹に似ているような、旦那さんに似ているような。どちらにしても赤ちゃんはかわいい。
「お姉ちゃんも早く結婚していとこをつくってよー」
「あーーー、まだちょっと無理かな?」
今まで曖昧に答えてきた妹の問いに、私がはっきりと答えた。今までは、彼氏の有無すら曖昧に、そういえば私からも彼に情報を開示していなかったな、と。
「彼氏とかいないの?」
「今はいないかな」
身内なだけはあってずけずけと踏み込んでくる妹に、はっきりと返す。
ちゃんと話をしないと、とか、彼と繋がっていないと、とか。いろんなことをぐるぐると考えて、はっきりとは答えがでなくて。
きっと、私がしれっと連絡をとれば、デートにでも行けるのだろう。
彼は、曖昧な態度をとるけれども、浮気をしているわけではない、と思う。ただ本当に、他者との関係に責任を持ちたくないだけだ。
いない、と告げた言葉で私は自分の気持ちをしっかりと確認ができた。そして整理もできてしまった。
三ヶ月もお互い連絡をしないのならば、それは自然消滅だと言ってもいい。はっきりとしなければ、なんて思っていた自分を納得させる。
「まあ、ぼちぼち見守ってて」
そういいながら、私はご機嫌にこちらを見上げている姪っ子に笑いかけた。
仕事をがんばる。
そう内心で意気込んでから、職場での居心地が上昇した。
周囲が優しい、気がする。
もちろん、それは私の気の持ち方の変化のせいだろう。それでも少しでも居心地がいいのはいいことだ。
帰宅して、なんとなく、ほんとうになんとなく電話番号以外の彼の痕跡を削除する。
すっきりとして、ほんのりと寂しい。
でも、ほんのり程度。
満足してスマホをテーブルにおけば、着信音が鳴る。
画面を確認すればこの前結婚した友人の旧姓が記されていた。そろそろ、これも変更しないとな、と思いながら通話ボタンを押す。
「どうしたのー?」
彼女はまだ新婚と言えるはずだ。
うだうだ過ごしている独身の私に用事などあるはずはない。
「えっと、うーん、なんて言っていいかな」
いつもはぽんぽんと言葉を放つ彼女にしては歯切れが悪く口ごもる。
「夫婦喧嘩の仲裁なら私じゃあ力不足だよ?」
もちろん、そんなことはないだろうけど冗談めかす。
「あ、いや、そんなんじゃもちろんないけどさ。んー。あのさ、彼氏、いたよね?」
「へ?いないけど?」
さらりと答える。
そう、いない。
私は今フリーだ。
「まじで?まじで?やった、タイミングいいじゃん」
「タイミング?」
「そうそう、なんかさー、夫の友達がさー、あんたのこと気に入って紹介してってせがまれててさ」
「はい?」
私は、まあそこそこかわいい、そこそこ身綺麗。そうそこそこ。
とてもじゃないけど、一目で気に入られる、ってほどじゃない。
「もちろん、もちろん独身だし!それは安心して。そんな変なの近づけるわけないし」
「それは、疑ってないけど」
以前、まだ独身勢が多数派だったころ、独身と偽って私たちの友人に粉をかけた新郎友人がいた。それは、友人である新婦の咄嗟のブロックによって防ぐことはできたのだけれど、そのあとその事を知っていた新郎との仲がぎくしゃくして、結局籍を入れる前に破局した。ということがあった。今ではその友人も誠実な男性と出会って結婚しているし、笑い話程度にはなっているのだけれど。
「でね、彼氏がいるかもー、って言ったんだけど、確認ぐらいはお願い、って言われてさ」
「ああ、そういう」
展開が早くてついていけてない、曖昧で無難な相づちしか打てていない。
「だからさ、一回だけでもいいからさ、会ってみない?」
「え?あ、あーーーーーーーー、うん」
勢いで返事をした。
結局、あれからほんのりと意気投合して、するっと付き合い始めた。
これが、彼氏彼女の最初なのかと、こんな年になって感動した。
私が意見を言って、彼が聞いて、彼が意見を言って、私が聞く。
本来なら当たり前のような関係性にすら感動をする。
別に、派手なお出掛けをしているわけじゃない。
お互い時間を作ってお茶をしたり、たまには話題になった映画を見に行ったり。
そんな、普通の、本当に普通の付き合い。
それが居心地がよくてとても楽しい。
そうすると私の何かが穏やかになったのか、職場での居心地すらさらによくなっていった。本当に不思議なものである。彼はひょっとしたら福の神なのかもしれない。
自然に彼は、私の実家へと挨拶に行く段取りをつけ、来年には結婚しよう、と、とんとん拍子に進んでいく。
うまくいくときはそんなもんだよー、という経験の先輩である友人たちに励まされ、イベントをこなしていく。
彼の家に行くときにはちょっと緊張したけれども、耳年増になってしまった私の心配は杞憂であった。
あれから、一度だけ「前」彼から連絡があった。
めずらしく通話で。
元気?と聞かれて元気、と答えた。
ぐだぐだ近況報告に適当に返事をした記憶はある。私はそのときには引っ越し先の情報を知ることが優先で、まあ正直おざなりに答えていたのだろう。
要領を得ない会話は、ただの愚痴の電話となった。
あまり充電も残っていないので、「あ、私結婚するから、もう連絡してこなくていいよ」、そんな言葉を最後に通話を終了させた。
面倒くさいけど、とついでに拒否指定をして。
ひょっとすると、彼はまだ私と付き合っているつもりだったのかもしれない。
一年近く連絡をしなくて、付き合っている、だなんて随分と感覚がおかしな人だったんだな、と、そんな人にこれまた長いこと付き合っていた自分にも落ち込んだ。
前彼とは共通の友人もいないので、本当にただそれだけ。
彼のその後は知らない。
別に、知りたくもない。
私の中の記憶は、きれいにきれいに、そしてきれいに補正され、ただの思い出となった。
要らないものじゃないから、それも抱えていく、そして私は恋人と生きていく。




