雨音
高校生活のすべてを懸けて駅伝を目指した、一陸上部員の物語です。
努力と、責任感と、そして不条理な現実。綺麗事だけでは終わらない、部活動のリアルな光と影を描きました。最後までお付き合いいただけますと幸いです。
11月1日金曜日
雲一つない快晴だった空は10時頃を境に一転し土砂降りの雨に変わった。
外でのテニスは中止になり、薄暗い体育館へと押し込められる。入り口の向こうで激しく叩きつける雨と、肌にまとわりつくじめっとした空気。その特有の気配に強烈な寒気が走った。
中学を卒業するときに心に固く誓ったはずだった。高校では陸上部長距離なんて絶対にやめて何か新しい部活に入ろうと。実際に高校の門をくぐり、色々な部活を見学すると、そこには中学から経験していて自分よりも遥かに上手い人たちで溢れていた。今から未経験の競技を始めても、きっとレギュラーには入れない。そんな言い訳が頭をよぎり、結局陸上部に入部していた。思い返すと、中学でも同じような理由で陸上を選んだ気がする。
そんな後ろ向きな理由で始めた陸上部だったが、待っていたのは容赦のない現実だった。夏合宿は、階段もまともに上がれないほど過酷だった。二度と行きたくないと何度呪ったのか。
10月
高校駅伝では、10人の登録メンバーに選ばれても、実際にを繋いで走れるのは7人だけだ。私は、なんとかその10人の枠には滑り込むことができたが、実際に走る7人に選ばれることはなかった。先輩たちや同級生のエースたちの走力は圧倒的で、力の差は誰の目にも歴然だったからだ。走れないと分かった瞬間、もちろん悔しさはあった。だけど、不思議と後悔はなかった。それ以上に、自分よりも強いメンバーたちに「絶対に勝ってほしい」という純粋な願いの方が、私の胸を大きく占めていたからだ。
11月1日、県駅伝前々日。その日は雨だったが、校舎周りを走り準備を済ませて当日を迎えた。当日、私はサポートに回り、同じメンバーが走る姿をただ見つめていた。遠ざかっていく仲間の背中を見送る私の心には、あの春に部活を選んだときのような自分はもうなかった。それと同時に、来年は絶対に、襷をかけて走ると心に決めた。
11月1日金曜日あれからちょうど1年。入り口の外からは、去年よりもずっと重く、容赦のない雨の音が聞こえた。不意に強烈な寒気が襲い、たまらず額に手を当てる。熱い、気がした。いや、気がしたのではない。実際、熱かったのだ。ただ、その決定的な事実を、私はどうしても認めたくなかった。
無情にも5限のチャイムが鳴り響き、部活の時間がやってくる。部活に行かなければという焦る心が身体を突き動かそうとする一方で、理性がブレーキをかける。本番を控えた駅伝メンバーに、風邪をうつすわけにはいかない。絶対に、それだけはあってはならないことだ。
澱しい葛藤の末、重い足取りで職員室へ向かい顧問の先生に「体調がすぐれないので帰らしてください」と告げた。それは、自分の手でずっと夢見てきた駅伝の出走メンバーから「自分を外してください」と懇願しているのと同じだった。
11月3日。駅伝、当日。朝目を覚ますと、視界に飛び込んできたのは見慣れた自室の天井だった。今、私は辛い練習を共に乗り切った仲間たちのいる会場ではなく家の布団の中にいる。体温計を脇に挟む。表示された数字は37・3°C。前日、40℃を超えていた熱に比べればこんなもの平熱のようなものだった。その数字を見た瞬間、耐えがたい悔しさと悲しみが一気に押し寄せてきた。
午前10時、レースがスタートした。私はただひとり、布団の中でラジオに耳を傾ける。スマートフォンの画面には現地にいる部員からラインのグループに次々と動画や写真が送られてくる。そこには熱い声援の中、懸命に走る仲間の姿があった。メンバーのことは信頼できるのに、自然と涙が溢れてきた。
最高学年の3年になり、引退の日が刻一刻と近づく中でも、あの駅伝のあの日から消えてしまった心の火は、二度と戻ることはなかった。どうしてもやる気が起きないまま、ずるずると最後のレースを終え、私の陸上生活は幕を閉じた。自分の中で、高校生活のすべてを懸けた一番の目標は、あの駅伝だったのだ。そのたった一度の機会を、走ることさえ許されずに失ってしまった。胸の奥に澱のように溜まったやるせない気持ちは、どれだけ時間が経っても消えてはくれない。
駅伝の前、私は誰よりも感染対策を徹底していたはずだった。常にマスクをつけ、手洗いもうがいも、できる限りの風邪対策はすべて尽くしていたのだ。もし、あの頃に戻れたとしたら、私はどうすればよかったのだろう。
「今から風邪をひく」と分かっていたとして、過去の私に何が変えられたというのか。学校に行かなければよかったのか?いや、学校を休めば部活の練習にも出られず、どのみちメンバーからは外されていただろう。
自分の努力に裏切られたわけではない。感染対策を怠った自堕落な自分がいたわけでもない。
誰も悪くない。一体私は、この行き場のない悔しさを、何を恨めばいいのだろうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この物語は、作者である私自身の高校時代の体験をもとにした「実話」です。(この物語を書いているのは高校生の作者です)
誰よりも感染対策を徹底し、誰よりも努力を重ねてきたのに、本番直前に高熱を出して駅伝のメンバーから外れてしまった、あの日のぶつけようのない悔しさをそのまま描きました。
綺麗なハッピーエンドではありません。何を恨めばいいのかも分からない、救いのない結末です。
それでも私がこの物語を書いたのは、将来、自分が大人になったときに、あの日の涙を、あの時感じた痛みのすべてを、絶対に忘れたくなかったからです。
自分の弱さと向き合って、それでもチームのために身を引いたあの時の私の誠実さを、どうか未来の私が覚えていてくれますように。このお話が、いつか大人になった私を支える、小さなお守りになることを願っています。




