一緒の水
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する。
現日本国憲法の条文にあるな。そこに第三者の思惑や介入などを抜きにして、男と女の意思があれば婚姻は成立する。
もちろん、婚姻届けやもろもろの手続きは存在しているだろうが、合意した時点で成立となれば世には知られていないカップルも多数いておかしくないわけだ。
法によらないならば、世にはたくさんの約束が存在している。自分もまた知らないうちに、婚姻やそれに類することをしてしまっている恐れもあるだろうな。
――先ほど、合意といったじゃないか、て?
法によらないなら、ともいったが?
それにそのときだけはガチで応答し、後になって忘れているなんてケースもあるかもしれない。
少し前に祖母から聞いた昔話なのだけど、聞いてみないか?
むかしむかし。
あるところに寝小便たれの小僧さんがいました。
子供のうちに、寝小便をたれることは誰にでもあること。はじめのうちは誰もとがめずにいたようです。
しかし、その小僧さんはなかなかその癖が抜けません。身体が大きくなり、家の野良仕事を手伝うような歳になっても、まだ頻繁にまたを濡らしているのです。
なにより、その量がすさまじい。
布団に地図を描く程度ならばかわいいもので、しばしば彼の寝ているあたりは水たまりに沈んでしまったのだとか。図体が大きくなるにつれて、その量もまた爆発的に増えてしまい、とうとう一晩で家全体の床を濡らしてしまうほどに。
家具に被害が出るほどになってしまい、やがてその子は離れにひとりで寝ることになってしまいました。
その子自身、どうして自分がこれほどに寝小便を垂れてしまうのか、さっぱり心当たりがなかったそうなのです。
寝小便の自覚を持ったときから、用を足すのはこまめに行い、水を飲むのも控えるようにしている。なのに、どうして?
怖さよりもいらだちの先立つ、若い盛りということもあり、自分の尊厳をことごとく壊していく寝小便に対し、恨みにも似た念を持っていたとも伝わっています。
その彼が詳しく語った、ある晩のできごとは次のようなものでした。
その日は横になる二刻前から、水を一滴も取らないままでいたという彼。みじんも小用を足す気になどならない時間でした。
これまで彼は夜を徹し、起き続けようと試みたことが幾度かあります。しかし、昼間の疲れもあって、どうにもかなわず。どこかでグッと眠り込んでしまい、気づいたときには水浸しとなっていました。
しかし、彼は気づいています。
自分が寝ている間に流したと思しき、尿のように思えるもの。これからは特有の臭いがいっさい漂ってこないことに。もし、事情を知らないものが目にしたならば、ただの水をこぼしたと話しても疑わないだろうありさまであることを。
――自分は、本当は寝「小便」をしていないのではないか?
そのような疑いが首をもたげつつも、やはり昼間の疲れによる睡魔がどっと押し寄せ、彼はうとうと眼をつむってしまいます。
けれども、そこから先へなかなか向かわない。
不思議とその日は、意識が現実へとどめられたまま。寝苦しさを覚えて何度も寝返りを打っていたとのことでした。
どれくらい経ったでしょうか。何度めの寝返りでしょうか。
ふと、彼は自分のまわりに立つ「水」の気配に違和感を覚えました。
これまでに何度もあったような、自分の漏らした小便の池の中で身をよじるそれとは異なります。
まわりを包まれている感触。そこへ重さが加わってきます。
つい先ほどまでの抵抗のなさはどこへやら。いまや、指一本を動かすにも、体中のすべての力を込めてどうにかなるか危ういところ。
――いったい、なにが……?
様子を確かめようにも、まなこを開くのも容易ではなく。指をあきらめ、そちらへ力をかけようとしたところで。
「……いっしょに、なる」
はっきりと、彼の耳へ聞こえる言葉があり、驚いたそうです。
なにせ、その声は自分のものだったのですが、今よりもだいぶ若い。というより幼いといえる舌足らずな調子だったのです。
疑問に思う間もなく、今度は口を重たいものにふさがれました。
周囲と同じか、それ以上の圧力。跳ね返すことがかないません。その口の中へ一気に水が流し込まれてきたのです。
無味無臭。重さも相まって、井戸の桶どころか風呂桶に穴を開けて、顔の上からかぶせられたかのようです。そして中身を否が応でも飲まされ続けていく。
まさに拷問でした。意識も失えないまま、延々と飲まされ飲まされ……不意に周囲の圧が消え、目を開けるようになったときには自分は寝た時と同じ、離れの小屋に横たわっていました。
今回も小屋の床は水浸しになっていましたが、被害はこれまでの比ではありません。
村全体です。まるで大雨か大嵐の後かのごとく、いずれの家屋も足元から数寸が水の中へ沈んでしまっていたのです。
すでに起き出していた彼の家族も、水の処理に追われていました。彼が起きてきたのを認めると、ひとまずは水の処理を手伝うように言われたのだそうです。
どうにかひと段落がつくと、彼は昨夜に見た夢ともうつつともつかない、奇妙な体験を家族へ打ち明けます。
すると、母親が話してくれました。
その「いっしょに、なる」というつぶやきは、覚えている限りで彼がはじめて話した言葉だというのです。
ちょうど、お乳を与えているときだったので母親しか、このことを知りません。単語ではなく、まとまった文が紡がれたことには驚いたとのことです。
けれども、彼が同じことを発することはなく、母親もはじめての言葉として覚えてはいましたが、その意味までは追求しなかったといいます。
彼はそれから十数年後。ひっそりと世を去りました。
病でもけがでもなく、とある夜に眠るように静かに。
その彼が葬られた墓ですが、とむらいの終わった翌日に水がたっぷりとあふれ出てきました。
いつぞやのように村を覆いつくしてなお足らず、どんどんとかさを増していき、ついには大きい川が生まれてしまったとか。彼のお墓もまた、水底深くに埋まってしまっているとのこと。
それが今も存在する、ひとつの大きい川として流れ続けているのです……だとさ。
彼が結婚のようなやり取りをした相手。水にまつわる何かだったのかもな。




