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【BL】紡がれる外套を濡らす雨雫【完結】  作者: 暮田呉子


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3/3

風の残る場所

 砂と風が、戦場を洗っていた。

 昼の陽光は白く、血の跡すら乾きかけている。

 アランは荒い呼吸を整え、剣を握り直した。

 遠く――矢を番えた盗賊の影が見える。


 ――その瞬間。


「先輩っ!」


 振り向くより早く、鋭い音が走った。

 視界いっぱいにレオンの体が映った。鈍い衝撃に、赤い飛沫。矢じりが腹部を貫く湿った音が、時間を止めた。


「……レオン!!」


 地面に膝をつき、彼を抱きかかえる。

 温かな血が指の間からこぼれ落ちた。


「だ、大丈夫です……ほら、当たりが浅い……」


 無理に浮かべた笑みが、みるみる蒼褪めていく。


「なんで俺を庇ったんだっ!」

「先輩が無事なら、それで……」


 その言葉が胸を抉る。

 死を恐れぬ声音が、かつて憧れた誰かの姿と重なった。


「ふざけるなッ! お前が死んでいいわけあるか!」

「俺は……あなたが死ぬ方が嫌なんです!」

「そんなこと、誰も望んでねぇ!」


 怒鳴り合う声が、焼けた空気を震わせた。

 砂埃が舞い、風がふたりの間をすり抜ける。


「……悪い」


 怒りで我を忘れていた。アランはレオンの怪我を思い出して、肩の力を抜いた。

 どこか諦めを含んだ様子に、後輩騎士はようやく慌てた。


「先輩、ごめんなさい……ごめんなさい、俺っ……」

「もういい。盗賊は他の騎士たちで足りる。お前は手当てをしに行くぞ」

「でも、本当に俺……!」

「無駄口叩くな! まだ任務中だろーが!」


 まだ安全とは言えない敵陣の只中。

 アランは聞き分けのない後輩を叱咤し、戦闘を離脱して後衛の救護班へと急いだ。


 ★


 夕暮れ。蝋燭の灯が布を淡く染めていた。

 レオンの腹部には幾重もの包帯が巻かれ、息をするたびに痛みがかすかに滲む。

 寝台の脇で、アランは黙って座り続けていた。

 沈黙が、夜の底のように落ちている。


「アランさん……俺、やっぱり……怖かったんです」

「……何が」

「あなたを失ってしまうんじゃないかって……。また俺だけ、一人ぼっちになるんじゃないかって……」


 アランは視線を落とした。

 揺れる灯が手の甲を照らし、影が縫い目のように刻まれる。


「俺はな……」


 言葉を探す。

 だが喉が焼けるようで、声が出ない。

 ようやく絞り出したその声は、風に触れれば消えてしまうほど弱かった。


「お前の先輩だぞ……。なんで後輩のお前に庇われなきゃいけないんだよ」

「それは……」

「後輩なら、後輩らしくしろ。……先輩面させろよ」


 レオンは唇を噛んだ。

 伝えたい気持ちが言葉にならず、胸の奥で軋んでいる。

 そのとき、外でラッパ音が鳴った。

 乾いた空気を揺らしながら、任務の終わりを告げる音だった。


 ★


 数日が過ぎた。

 アランは石畳の上で、報せの紙を握りしめていた。

 インクのにじみが掌に広がり、熱のはけ口を失っていく。


「……俺の先輩が、死んだ」


 隣でレオンが静かに頷く。

 街路樹の影が風に揺れ、遠くでまた鐘が鳴った。


「行きましょう、アランさん。……会いに」


 アランは言葉を返さず、ふたりで葬地へ向かった。

 丘を越えた先には緑の風が流れ、影が長く伸びていた。

 歩きながら、アランはぽつりと口を開いた。


「お前にやった外套は、あの人がくれたものだったんだ」

「雨の日の話……ですよね」

「ああ。あの人がいなければ、俺はここにいない」


 アランの声は風と混じって揺れる。


「優しい人だったんですね」

「優しすぎたよ。真っ先に戦陣を切るような人だった」


 レオンは俯いた。

 その横顔を見て、アランはわずかに笑う。


「お前も、あの人と同じだ。……よく似てる」

「俺が、ですか?」

「ああ。仲間のために命を投げ出すところなんか、とくにな」

「俺は、アランさんだから──! ……すみません」

「……もういい。分かってる」


 それだけ言い、アランは歩みを進めた。


 朝霧がまだ石畳の目地に残っていた。白い花が供えられ、風が墓碑を静かになぞる。

 鐘が一度だけ鳴り、鳥の鳴き声が遠のいた。


 墓域の一角で、鎧の肩当ても乾かぬまま、ひとりの騎士が墓碑にしがみついていた。額を石に押しつけ、唇を冷たい岩肌に寄せている。

 深い喪失に沈み込む姿だった。

 その人こそ――あの日、先輩が口づけを交わしていた相手だった。

 周囲に漂う囁きが霧に溶けていく。


「……あの人をかばって、盾になったって」

「最期は、眠るように息を引き取ったらしい」


 アランはゆっくりと歩き、距離を詰めた。

 泣き崩れる騎士の肩越しに、先輩の名を呼ぶ震えた唇が見えた。


 胸の底で古い記憶が軋む。

 雨の匂い、外套の縫い目、肩に掛けられた温もり。

 すべてが一つの像となって甦る。

 外套を胸に抱き、縫い目を指でなぞった日の記憶。アランは声を失ったまま立ち尽くした。嗚咽が、風より静かに墓石を震わせる。

 ――彼も本気で、あの人を愛していたのだ。


「……俺に剣を教えてくれた先輩だ。いつかお前も、誰かを守れるようになれるって言ってくれた」

「アランさん……」

「俺は……何ひとつ返せなかった……」


 嗚咽まじりの声が風にほどけた。

 その瞬間、背に温もりが触れる。

 レオンだった。

 何も言わず、ただ強く抱きしめてくる。その腕の震えは、謝罪そのもののようだった。


「……ごめんなさい」

「……もう、いい」


 声が掠れ、外套の裾が風に揺れた。

 白い花びらが舞い、墓碑の影へ落ちる。

 アランはレオンの胸に額を預け、低く呟いた。


「──お前は……死んでくれるなよ」


 レオンは返事をしなかった。

 ただ、深く頷いた。

 それだけで、十分だった。


 風が追い越し、外套の裾がひるがえる。

 透けた布地の向こうに淡い青が広がる。

 頬を撫でる風は、誰かの手のようにやさしかった。


 ――あの日の雨も、今の風も、同じ空の下にある。


 風は静かにふたりの髪を揺らし、失われたものと、受け継がれたものの境をやわらげていく。

 優しさは、かたちを変えて吹き渡る。

 誰かを守ろうとした痛みは、次の誰かを生かす光になる。


 そして、風は残る。

 その残響の中に、確かに人の生があった。




【END】



読んでくださってありがとうございます。

今後もBL小説を投稿していきますので、よろしくお願いします。

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