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「私」の物語

 私には家族がいる。

それはもう心から愛しいし、当然大切に思っている。

なにがあっても守ってみせるよと妻に言い切ったことも覚えているし、

その時の嬉しそうで恥ずかしさが混ざったような表情を忘れることは無いだろう。

そしてそれは二人の子供が生まれたときに、より強くなったことは間違いない。

父となれることの喜びと、現代において子を育てることの大変さを感じていた。

難産を経て双子として生まれ、性別はそれぞれ異なるが健康そのもので生きている。

まんべんなく愛情を等しく与え続けてきたつもりではある。

今は妻子に何不自由のない生活をさせてあげるために必死に働き続けている。

その中で、もちろん身体が悲鳴を上げることもあるが私はどうなってもいいのだ。


 「あなた、最近けっこう顔色悪そうよ?」と妻に言われた。

「ほんとだ!」と子どもたちにまで言われてしまったし、その通りなのだろう。

慢性的な疲れも相まって、体調に変化があっても中々分からなくなっている。

「そろそろ病院に行って色々診てもらうか!もう年も年だしな!」と軽口をたたく。

今まで大きな病気になったこともなかったし、それに今は子どもの受験期でもある。

進学塾にも通わせていることもあり意外と費用は馬鹿にならない。

国公立や私立、自分のやりたいことができる大学ならどっちでも構わないと大層なことも言った。

実際は少しでも学費の安い国公立のほうが経済的にうれしい。

ただ子どもが金銭面を考えて本音を言ってくれない方が嫌だ。

だからこそ今が稼ぎ時でもあるし頑張らなければいけない時でもある。

会社全体の健康診断でも特に悪いところはないという結果が、私を後押ししてくれた。

もしかしたらここで病院に行っておけば、

少しは未来が変わったのではないかと思うところもあるがもう遅いのだ。

結局、私はさらに働く道を選び続けた。


家族から顔色の悪さを言われてから一か月ぐらい経った日。

会社で作業をしているとき、急に視界がぼんやりしてきて立っていることができなくなった。

今までこんなことはなかった。脱水かとも思った。とてつもないしんどさがあった。

それから倒れている私を会社の人が見つけて救急車を呼んでくれた。

人生初の救急車が意識をなくしているうちに経験してしまったのは少し残念だ。

病院に運ばれ、集中治療室で治療も受けた。

ただ意識が完全に戻ったのは全ての処置が終わって普通の病室だった。

「ここは…どこだ......?」

まさか映画のテンプレみたいなことを言えるとは......。

死ぬ前にしたいこと百選の一つを達成したことになる。

そんな冗談を目覚めた瞬間思ったわけはなく、当然大焦りしていた。

四十をとっくの昔に越している四十路の男性が病室で大焦りをかましてしまった。

しかも個室ではなかったから他の患者がいる中であったから恥ずかしいにもほどがある。

隣では妻が口を覆って笑いを押し殺していた。

この体験は今でも忘れられないものになった。


正式に自分の病名を聞いた。

癌と言われてしまった。しかもかなり進行して転移も見られるらしい。

余命宣告については一旦保留にさせてもらった。

今頑張らねば間違いなく後悔してしまう。ただ治療しないと死ぬことも分かっていた。

死は当分先の出来事だと思っていたし、妻と同じタイミングで死ねたらなんて幻想も抱いていた。

私が癌患者になるなんて思いもしなかった。

死が身近に迫っていることの恐怖は当然あるけれど、

この世に妻と子どもたちを残して死んでいくことの寂しさのほうが断然大きい。

家族みんなで机を囲んで夕飯を食べる光景を思い出す。

そこから私の存在が消えてしまうのだと思うと胸が痛んでくる。

実感が湧いてきてしまう。いやでも考えてしまう。

余命は聞いていないから分からないが、今は子どもたちの受験があるんだ。

彼らの合否が分かる前に死んでしまうのか?

それに心配かけまいと頑張ってきたのに、結局私が一番迷惑をかけてしまっている......。

ただただそれがつらい。

後々、家族で話し合う必要がある。

癌だってもう治らない病気ではないはずだし、なんとかなるはずだ。

今日は妻を帰らせた。そして子どもたちには明日に報告するから伝えるなとも。

明日はまた忙しくなるだろう。それも心をすり減らしながら。

仕事先には療養期間をもらったことだし、久しぶりにゆっくり寝るとするか。

一日が消化されていくことに手が震えてしまう。

この手もいつかやせ細ってしまうんだろう。

この恐怖には慣れることなんてできっこないな。

徐々に重くなっていく瞼を、明日がくればいいなと思いながら閉じた。

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