第3話 警哭 03
☆
それから3日後。
柚真人は、その場所へ一人で赴いた。
気になったので、あらためて過去にあったという事件のことは調べてみた。けれども先日あったことで自分が受け取ったものを頼りにするだけでも、その場所にはたどり着くことができた。
小さな丘の上にあるという表現が確かにぴったりくる公園だ。
そこは、近隣の住宅街とそう離れているわけではないものの、高台に少しせり出すような具合になっていた。そして、この季節はとくに、葉の生い茂った木々に囲まれてもいる――ともなると、なるほどわりと死角も多そうではあった。
もちろん、公園自体は小綺麗で、中にはベンチや遊具も少しある。だから、これが昼間の時間帯であれば、もう少し利用者はいるのだろう。
今、時刻は夕方から夜へとさしかかっており、すでに薄暗くなりつつある公園内に、人影はない。
先日の一件については、ここで会社から帰宅途中だった若い女性が襲われていて、通りすがりの第三者からのものと思われる通報から、助かった、といようなことが報道されていた。同時に、現場に居合わせたという動画配信者がおり、その配信者が公開した映像から、犯人も特定されそうだとか、なんだとか。
柚真人の目の前に、ふっと。
女性の姿があったのはその時のことである。
赤い、服を着た女性。
それは赤いワンピースで、女性が殺害されたときに身に着けていたものであると、ここのところ急にひろまったとされているネットの中での幽霊話には言われていた。
しかし、こうして対峙してみると、柚真人にはわかった。それは服の色ではなく、血の色だ。
彼女は、この場で襲われたのだが、その際、刺された。その血が、彼女の着ていた服を汚して、服は赤く見えていたのだ。犯人が凶器を持っていたとすると、先日ここで襲われた女性も状況的にはかなり危険であったと言える。が、彼女は辛くも助かったので、まあ、それも含めて、運が良かった。
昏い瞳をしている、と。
柚真人は彼女の姿をまっすぐ受け止めながら思った。
これが、あの、『助けて』という悲鳴の主。
彼女自身は、おそらく自身が殺害されたときからずっとここに囚われていた。ずっとここにいたはずだ。なのになぜ、最近になって急に『幽霊』などとして人の噂にのぼるようになったのかというと。
彼女は、犯人がふたたびこの場所で獲物を物色しはじめたことに気づいたのだ。それで、なんとか警告を発しようとした。
柚真人は、彼女のような存在を『幽霊』とはふだん言わない。だが、死後の道を迷わされてしまった御霊の姿が、強く何かを発しようとして、ただ人の目にまで映ることがあるとするなら、一般的には『幽霊』というほかないだろう。
「――あなたが警告しようとしてくれたおかげで、あなたと同じ目に遭うかもしれなかった女性がひとり、助かりました。あなたをそんな目に遭わせた犯人についても、どうやら早晩解決しそうです。それに免じて……俺なら、いまここで、その怨嗟からも、あなたを自由にすることもできますが――どうしますか」
柚真人は、彼女にそう向けた。
とはいえ、別に彼女からそういう意味での『助け』を求められたわけではない。いつものように仕事として祓いの依頼を受けたわけでもない。それは柚真人もわかっていた。
本来であれば、そのように直接の縁が結ばれない限り、柚真人が動くことはない。でも今回は――たまたま、とあの男はいった。その、たまたま、もまた縁ではあろうと柚真人自身が思ったのだ。
彼女の顔は、暗がりに沈んでいくあたりの景色とあいまって、なお、昏くなったように見えた。
同時に、それが答えであろう、と柚真人は理解した。
柚真人は日々、こうして様々な御霊と向き合うが、今の彼女はあまり感情のようなものをこちらに伝えてこない。凄惨な今際の際の出来事が、まだ彼女を囚えて離さないものと見えた。
これは、もう少し時間が必要なのかもしれないな。
柚真人はそう感じた。
やろうと思えば強制的に彼女をここから引きはがす術も柚真人にはある。しかし、今、この時点でそうする必要があるとも思えない。未だここに留まり続ける彼女に、悪意や害意のようなものはない。
明確な、答えのようなものも、彼女は感じさせてくれなかったが。
「――そうか」
柚真人は、ふ、と、ほほ笑んだ。
相棒の弁護士は、そういう時の柚真人の表情を、いちばん優しい顔をする、と評する。
「では、もし気が向いたら――社まで来ると良い。そうしたら、俺が――あなたのために、祝詞を送ろう」
柚真人は『社』とだけとだけ伝え、それが何であるか、そして自分が何者であるか、ということは彼女に対して一切述べなかった。
でも。
死者である彼女には、伝わっている。
そのままゆるりと踵を返し、皇柚真人は公園を出る。
公園を出ると、そこから下の街へと続く階段を降りた。階段からは東側の空が見え、夜の色が迫りつつある。空気はわずかに湿気を含み、梅雨の近さを思わせた。
階段を降りきると、その場でいったん足を止め、携帯を取り出す。電源を入れると、登録されている数少ない連絡先から一番多く使用している連絡先を選び、
――このあいだの店
――しばらく居る
と、メッセージを送った。
店というのはもちろん、今回の出来事、いわば縁の起点となったあの店だ。
近くまできているからついでに、もう一度寄ろう、と思ったということもあった。けれども、店の料理の味もよかったし、気に入った、といえる部類に入るのも確かだ。
そのことを伝えてやれば、この連絡先の向こうにいる相手が、多少なり喜ぶことも――柚真人は知っていた。
さらにいえば、柚真人がなぜ、今、ここにいるのかということも、相手はちゃんと察するだろう。顛末を説明してやれば、それはそれで、相手の本業の面において役に立つことにもなるはずだ。
わざわざ来いと言わなくても、相手は来る。
それは、わかっている。
長い――長い長い、それこそ倦むほどの長さの、付き合いだ。
あの男相手だからこそ、倦む、ことはないけれど。
到着まで一時間ほどかな、と見当をつけると、携帯をしまい、ふたたび柚真人は歩き出した。
東の空とは反対の、まだわずかに夕方の明るさと赤さの残る空が広がる西の方角へ向かって。