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第2話 警哭 02


 連れ立って店を出たのは、午後10時を過ぎたあたりだった。


 そんな時間になっても、上着もそろそろいらなくなる季節で、空気はややぬるい。酒も少し入っているので、そんな状態では、ちょうど気持ちがいい気温ともいえた。


「しかしお前、ほんとに次から次へと新しいこの手の店を仕入れてくるよな」


 とは、柚真人の、半ばは感心も込めた評価だ。


 店の入っていた雑居ビルは、規模はそう大きくはないものの繁華街と商店街が相半ばするような雰囲気の街の中にあった。ビルが面する通りには、行きかう人影もまだ多い。その中へと、二人して肩を並べて歩き出しながら。


 対する優麻はというと、満足げな表情を柚真人に向けていた。優麻にしてみれば、こういう時は、柚真人が食事に満足してくれれば、他に望むことはない。


「まあ、仕事柄ですね。それに、たまたま最近、この近くの同業事務所の方と知り合いまして」

「へえ」

「おススメされたんです。お酒も肴も美味しい、いいお店があると。それでまあ、柚真人さんもどうかと思いまして」


 弁護士は、仕事柄、と言った。弁護士と言えば、日夜、裁判やその準備、事務所での面談や調査ごとに忙しいイメージがあるが、飲食店や飲み屋を利用しての商談や打ち合わせも多いという。

 しかし優麻は、それからほんのわずかの間をとって付け足すことに、


「実は、その、たまたまというのがですね」


 このあたりで、すでに柚真人の中にぴくっと慣れた反応が起こるのは――互いの、付き合いの長さゆえだろう。

 さらりとした口調で、優麻は続ける。


「最近、このあたりで噂になってしまっているという、ある、幽霊話がきっかけでして」

「――幽霊話」


 だろうな、という感慨が、柚真人の胸には先にすとんと来る。


 そのうえで、 いちおうわざとらしく強調して繰り返してやる柚真人である。だとしても、むろん、優麻が意に介することはない。これも、互いの間ではすでに慣れたやりとりなのだ。

 というか、ここまでがもはや様式美というようなものですらある。


「ええ、幽霊話、です」


 と、優麻は頭をひとつ縦の動かした。


「ただ、問題は、その幽霊話そのものが云々というより、その噂がネットの中で急に拡散されはじめたことのようでして」

「……そいつはまあ、よくある話だな、最近は」

「その、拡散状況を気にした、事務所近くの不動産屋からの問い合わせがあったという話でして」

「不動産屋?」

「ほら、今はいろいろあるでしょう。不用意にそういった話が拡散されると、話をネタに、写真や動画を撮ろうとしたりして……私有地に立ち入ったりする迷惑行為が増えたり、深夜に人が集まったり騒いだり、賃貸物件まわりとか……。それで、まあ、もろもろトラブルがあって、巡り巡って私のところにその話がまわってきたというわけなんですが」

「ほう? ……しかし巡り巡って結局お前のとこに話が持ち込まれて来たってことは、その幽霊話自体が、ただの与太ってわけでもないってこったろ」


 柚真人がそう言うのは、相手の男が、柚真人と組んで、正式にその手の話を請け負ってくることもあるからだ。

 また、おかげで優麻自身も、弁護士という業界の中でうちうちに、そういったトラブルの解決に長けているという看板を背負っていることを、柚真人も知っている。


 優麻は頷き、


「ネットの中に、件の幽霊のものだという画像や動画が出回ってしまってまして。もちろんこのご時世ですから作り物がほとんどなのでしょうが、悪いことに、その話の元となる殺人事件もありましたからね。話を受け取る側にとっては真偽のほどなどはとうでもいい単なる娯楽です。それでまあ……どうにかならないかと」


 どうにかならないかと言われてもなあ、と柚真人も軽く唸った。


「たとえば近隣物件への不法侵入や迷惑行為、賃貸物件に関するトラブルなんかはそれこそそっちの専売特許だろ。たとえその『幽霊』が本当だったとして、『幽霊』そのものをどうにかしたとしても、ネット経由でおもしろおかしくあっちこっち拡散されちまった話は、子供に与えた玩具みたいなもんだ。ある程度消費されるだけ消費されて飽きられて、下火になるのを待つしかない。……最近は、どんな案件でもそんな感じでやりにくいって、お前もふだんから愚痴ってるじゃないか」

「私も相談には、同じように返しましたよ。それでも、もし本物なら――」




 その、瞬間だ。




「――!」


 先に、足を止めたのは柚真人だ。

 それから柚真人に従うタイミングで、優麻の足も止まる。


 二人が同時に、とある『異変』をとらえたからだ。


「こいつは……」


 ともに歩いていた道は、賑やかだった人の多い繁華街の通りを抜け、そこから少し暗く細い道へとさしかかりかけていた。その道を抜けた先にはコインパーキングがあり、優麻が柚真人をここまで乗せてきた車が止めてある。帰りは馴染の運転代行を頼む、というのが優麻が柚真人を連れ出すときのいつもの行動だった。


「お前、たまたまって、言ったよな。……『これ』も、本当にたまたまなんだな?」


 足を止めた柚真人は、軽くうさんくさそうに相手を見る目を優麻に向ける。

 受けて答える優麻は、至極真率に、


「……はい。もちろん、正真正銘、たまたまです」

「……」


 柚真人はまだやや疑いを含んだ目を向けたものの。


 す、っと目を細めると、


「お前、いま、――俺と同じものが『霊視』えているか?」


 柚真人からの問いに、優麻は端的に頷いた。


「はい」


 かつて――この笄優麻という弁護士は、柚真人のような異能はなく、柚真人と同じものを見たり感じたりすることは出来ないままに、柚真人の生業とかかわりを持っていた。

 けれども、そのかかわりを決して短くはない間ともにしたのち、己の生涯を賭して柚真人の隣に立つと決め、以来、柚真人とともに、人の此岸に在るとはいえない存在となっている。今なお、人として生きながらではあるものの。


 ゆえに、現在は、感じ取るだけであれば柚真人と同じ感受性を持っていると言ってよかった。人の此岸から、そちらがわへと二人の感覚が振れる時、互いの関係は、スイッチを切り替えるように――一対の主従となるのである。


「さっき、殺人事件があったと言ったな。その、詳細はわかるか? 俺はそれについちゃ知らないが、――『これ』は、『殺され』た『女性』、だ。若い。二十代半ばだな。それから、服の……赤い色――」


 柚真人の目は、虚空を見ながら何かに焦点を合わせていた。

 優麻も同じものを、脳裏、としかいいようのないところにうつしている。


「事件の記録や記事にも、赤い服、とありました。噂になっているくだんの『幽霊』も、赤い服の女性だとか。……おそらく件の事件の被害者で間違いないでしょう。このあたりでは、他にめぼしい事件の話はありませんし」


 優麻の方は、それこそ職業柄、件の幽霊話についての相談を同業者から受けた時に、該当事件の詳細まで調べてみたから柚真人にそう返すことができた。


「この感じだと、ずっと、囚われた場所から動けていないんだな。――優麻。その、事件のあった場所はわかるか?」

「ああ――少々お待ちください」


 優麻は自身の身に着けた衣服の内ポケットからスマホを取り出した。便利なもので、最近は、有名な事件のあった場所などであればこれひとつで簡単に調べることができる。


「なるほど、事件現場はここからもすぐ近くのようですね。この先に丘ひとつ上るほどの階段があって、そのうえにある公園が事件現場だったようです」

「そうか。じゃ、――――とりあえず、通報しとくか」

「――通報、ですか?」


 優麻は思わず軽く目を瞠って訊き返してしまった。

 だが、思えば当たり前といえば当たり前の柚真人の答えではあったろう。


「あたりまえだろ。これは、俺の仕事じゃない」


 柚真人の答えは躊躇いなく、すとんと振り下ろす刃物のようである。――だが、柚真人はこうも付け足した。


「なに。俺がどうこうしなくとも、この件は――運がよけりゃ、『助かる』さ」


「運が、良ければ?」

「そう。それに、弁護士んとこに同業者から相談が持ち込まれる程度に世間に動画が出回ってるってことは、それを撮影している人間がそこそこいるってことだろ。それだけ人気の心霊スポットにでもなりゃ、このご時世、どこかにひと目はある。そのうえで――これが、お前の言うように本当にたまたまなのであったとすれば、すでに充分『運がいい』に値すると、俺は思うね」


 優麻は、柚真人のなにか確信めいたものを含む言葉を聞きながら、緊急通報をするためスマホの回線を開いた。


 同時に足を止めた時、柚真人と優麻は、近くどこかからか、明らかに人のものではない、かつ悲鳴のような『声』が上がるのを捉えていた。

 その『声』は、『助けて』『助けて』『助けて』と、繰り返す。すでにこの世のものでなく、しかしこの世から離れるための道を失って迷ってしまったものの『声』だ。


 しかも、必死で、かつたまらなく悲痛であった。

 こちら側に受け取る能力があるがゆえにではあるものの、その『声』の主の姿までもが眼裏に捩じ込まれてくるほどに。


『声』にそれだけの強さがあれば、なぜ『助けて』なのかという断片的な情報も、そこから拾い上げることができる。だからこそ、柚真人と優麻にはそれを捉えることが出来たとも言えよう。

 彼らは、他でもない――その『声』を聴き、遺る悔いや願いを拾いあげることをこそ生業としている、死者のための巫なのだから。



      ☆



 これ、まずい、と。

 頭の奥の一部がひどく冷静だった。


 背中――というか、自分の背面全部のいたるところに冷たくあたる固い地面の感触を感じ取りながら、ハルカは自分の思考をどこかまるで他人事のように受け止めていた。


 同時に、パニック状態のように、思う。

 これは、いったいなに。

 なんで。なんで。

 なんなの。いったい、どういうこと。


 あれから、いつもの帰り道に選んでいる薄暗い階段をのぼりきって、本当に幽霊が出たりしたらイヤだなと思いながら歩いていた。速足で、とにかく、はやくこの公園の脇を通りすぎなきゃ、と。

 そこで、後ろから衝撃を感じたのを覚えている。


 まったくの不意打ちだった。


 今、頭と首の付け根のあたりがひどく痛むから、たぶん道を歩いているところで後ろからそのあたりを強く殴られたかなにかしたんだと思う。それで、どれぐらいか、気も失っていた。

 

 は、と気が付いたらこの状態だったというわけだ。


 この状態とは、土のうえおぼしき感触のところに寝転がらされていて、口はガムテープみたいなものでしっかり塞がれ、両手もなにか、ドラマとかでよくみるプラスチックの拘束具のようなもので縛られている、という状態。そして、自分の身体の上になにかある。何かというか、誰か、いる。


 つまり、ハルカは帰宅途中で何者かに襲われて捕まったわけで、相手は、生きた、人間だ。


 幽霊が出るらしいという話は聞いていた。

 でも、これは幽霊なんかじゃ断じてない。

 そしてもちろん女性でもない。相手の顔は暗くて見えないし、視界もパニックを焦りと恐怖とで湧いてくる涙で滲んでいたけど、相手が自分よりかなり力のある異性だということは、わかる。


 それで、やっと、意識したのだ。そういえば、ここで、今の自分が置かれている状況によく似た事件があったのではなかったか。


 幽霊の噂は、その事件がもとになっていたはずだ。そして、その事件の犯人は、捕まっていない。


 バカじゃないの、あたし、とようやく思った。現実にはいるわけもない幽霊なんかに怯えている場合じゃなかった。実在するのは、まちがいなく現実に存在しているのは、幽霊なんかじゃなくて、事件と犯人だ。ここで女性が殺されたという事実だ。


 バカすぎる。


 ネットの不確かな噂や幽霊なんていう非現実的なものを怖がるくせに、なぜ実際に起きた事件と自分とはこれっぽっちも関連付けて考えなかったのか。

 自分とそういう事件とは、まったく無関係だと思い込めたのか。襲われたのは自分と同じ年頃の女性で、たしか犯行時刻も今頃の時間だってニュースで読んだ記憶があって、捕まっていない犯人の目的や素性は一切わかっていないのに。


 て、いうか。


 まって。


 だとすると、わたし。

 ここで、こいつに、殺される、ってことに……なる……。


 うそ……。


 思い至ると、いっそう恐怖が込み上げた。焦りに、心臓の鼓動が跳ねあがった。どくどく、どくどく、と耳の奥で音がする。でも、声は口を塞がれて上げることができないし、身動きもろくにできない。抵抗しなくちゃ。思うけれども、どうにもならない。

 自分が襲われているということの理不尽さに対する怒りだって湧きあがる。でも。


 いやだ。

 だれか……たすけ……。


「――……」 


 その時だ。

 ふと、何か気配が変わった。ような気がした。

 それから何か、声か、音か、聴こえたような気がしたとハルカは思った。


 なに。


 思うが、わからない。

 人の声? 何の音? 

 誰かいるの?


「ん――――っ! ん――――!」


 塞がれた口の奥から呻きを発すると、どん、と口元を押さえられた。

 その瞬間後頭部が衝撃を感じた。

 それでもハルカはもがいた。本能的に状況の変化を感じたからだ。


 ――やべっ。

 ――こっちみた。


 人の、声だ。これはまったく自分とは別の、どこか遠いところから聞こえた。


 ――撮れてるか?

 ――わかんねえよ!

 ――おい、逃げるぞ! 

 ――あっ、待てよ!


 やっぱり、人の声。

 誰かいたんだ。


 でも。


 逃げるって。

 なによ。

 たすけてくれたっていいじゃない。お願い。


 たすけて。たすけて。たすけて。だれか。


 ハルカが絶望感を覚えながらそう思ったとき。


 遠くから――サイレンの音が聴こえてきたような気がした。

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