第四六章 旅立ちの空港で
出発ロビーには、スタジオZの仲間たちとサチの母・正子の姿があった。
明るい声で「頑張ってこいよ!」と声をかける須賀、緊張を隠そうと冗談を飛ばす仲間たち。サチは笑顔で一人一人に応えながらも、胸の奥には言葉にできない寂しさを抱えていた。
母・正子はそんな娘を見守りながら、「身体に気をつけて、食事はしっかりね」と何度も繰り返す。その声音は穏やかであったが、目には光るものが滲んでいた。
その頃、空港へ向かう道を一台の車が急いでいた。ハンドルを握るのはヒロジ。ライブリハーサルの合間を縫い、彼は必死に時間を追いかけていた。
「間に合え……!」
息を詰めるように呟き、駐車場へ車を滑り込ませると、キャップとマスクを整えて人混みを駆け抜けていく。
ちょうどその時、サチは搭乗口へと足を踏み出そうとしていた。仲間や母へ手を振り、少しだけ振り返ったその瞬間――
「サチっ!!!」
空港のざわめきの中に、確かに届いた声。
サチははっとして振り向いた。そこには息を切らせたヒロジの姿があった。変装していても、彼だとすぐに分かる。
「……ヒロくんっ!」
サチは思わず駆け出した。二人の距離が縮まり、強く抱きしめ合う。
「行ってしまう前に……どうしても、もう一度だけ伝えたかった」
ヒロジの声は震えていた。
「私だって……会いたかったよ」
サチの目から涙がこぼれる。
周囲の視線も気にせず、二人は唇を重ねた。空港のざわめきが一瞬遠のき、互いの存在だけが鮮やかに浮かび上がる。
重ねた指には、カルティエのペアリングが確かに輝いていた。
「週に一度は必ずZoomで顔を見ながら話そう」
ヒロジが真剣に告げる。
サチは頷き、涙を拭いながら笑った。
「うん……じゃあ二日に一度は写真を交換しよう。お互いの目に映ったもの、ちゃんと伝えたいから」
未来を約束する二人の瞳には、不安よりも希望が強く映っていた。
搭乗直前、サチは小さな封筒をヒロジの手に握らせる。
「……これ、向こうにいる間に寂しくなったら読んでね」
驚いて彼が見下ろすと、封筒には「ヒロくんへ」とだけ書かれていた。
手紙の内容
ヒロくんへ
私が夢を追いかけて遠い国へ行けるのは、あなたがいてくれるからです。
あなたの音楽を聴いていると、どんな時も勇気がわいてきます。
たとえ海を越えて離れていても、心はいつも隣にあると信じています。
フランスでの毎日を、一つ一つあなたに届けたい。
だから私を忘れないでね。
戻ってきた時、もっと強くなった私を、また抱きしめてください。
サチより
サチが去った後、ヒロジはその場にしばらく立ち尽くしていた。
暫くして正子に声を掛けられ、二人は屋上デッキへ向かう。
滑走路を走り出した飛行機を見上げながら、正子が静かに言った。
「……娘を、頼みますね」
ヒロジは真っ直ぐに前を見据え、力強く答える。
「必ず。どんなに遠くても、支え続けます」
白い機体が空へと舞い上がり、やがて一点となって消えていった。夕暮れの光が、残された二人の姿を優しく包む。
正子の頬を伝う涙を横目に、ヒロジは胸ポケットに入れた手紙へそっと触れる。
――飛行機雲が長く伸びていた。
彼は未来を信じるように、ただ空を見上げ続けた。




