第二三章 それぞれの道のはじまり
冬の澄んだ空気の中、東京タワーがオレンジ色に輝いていた。
その灯りを窓いっぱいに映す高層マンションの一室。そこは事務所がヒロジのために用意した、音楽制作も可能な特別な空間だった。壁には防音設備が整い、最新の機材が揃うスタジオルームもある。
ソファに腰掛けたサチは、グラスに注がれたスパークリングワインを両手で抱えながら、きらめく夜景を見つめていた。
「……本当に、ここが貴方の新しい部屋なんだね」
「信じられない」と呟くと、ヒロジは少し照れくさそうに笑った。
「事務所が用意してくれたんだ。ここなら制作にも集中できるし、業界の人ともすぐに打ち合わせができる。…ありがたいよ」
その横顔には、かつてライブハウスの小さなステージで見せていたあどけなさよりも、大人びた影が差していた。
グラスを合わせると、かすかな音が夜景に溶けて消える。
「おめでとう。メジャーデビュー、本当におめでとう」
サチが笑顔を作ると、ヒロジは真剣な瞳で見つめ返してきた。
「ありがとう。ここまで来られたのは…サチのおかげだよ」
――でも。
サチの胸の奥では、別の思いが静かにざわめいていた。
美容学校の卒業が近づく中、周囲の友人たちは就職先や進路を次々と決めていく。ミカもすでに有名サロンに内定して、夢へ向けて動き出していた。
一方で自分は、彼の眩しい世界を横目に、立ち止まっているような気がしてしまう。
東京の夜景は美しいのに、どこか胸が締めつけられる。
ヒロジは気づかぬまま、夢に向かって進んでいる。
そして自分も、進まなければならない――。
サチはグラスを置き、夜景から目を逸らした。
「ねぇ……もし、私が進む道に迷っても……貴方は、待っていてくれる?」
震える声に、ヒロジは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、やがて静かに頷いた。
「もちろん。サチがどんな道を選んでも、俺は応援する。…だから、自分の心に正直になって」
ヒロジの声にはあたたかさと確信が混じっており、窓の向こうの東京タワーの光と同じくらい輝いていた。
サチはその声に胸を熱くした。
やがて、ヒロジはそっとサチの肩に手を回し、体をゆっくりと寄せてきた。
サチは一瞬息を呑むが、安心感に包まれて自然と体を預ける。胸と胸がぴたりと重なる距離で、互いの温もりと鼓動が静かに伝わる。
ヒロジは額をそっとサチの髪に寄せ、優しい力で抱きしめる。サチも小さく身を傾けて応え、腕を回す。柔らかなぬくもりの中、互いの呼吸を感じながら、言葉にせずとも確かな安心と絆を確かめ合った。
窓の外の夜景が輝くように、二人の胸にも、新しい道への希望と穏やかな安心が静かに灯っていた。




