第一章 恋の始まり
その日は小雨だった。
ホームの屋根を叩く雨粒が、静かなリズムで耳に届く。薄く漂う雨の匂いが、どこか懐かしい。
美容学校に通い始めたばかりのサチは、いつものように街外れの小さな駅で電車を待っていた。視線は習慣のようにホームのあちこちを行き来する。
ふと、反対側のホームに立つ青年に目に留まった。
背中には黒いギターケース。長い指が、何度も無造作に髪をかき乱している。細身の体にすらりとした脚。時おり遠くを見やるその横顔は、少年のように無邪気で、どこか儚い。
――あの人、誰だろう。
気づけばサチは、彼から目を離せなくなっていた。胸の奥がざわめき、知らぬ間に心が釘付けになっていく。それは後に「一目惚れ」と気づくことになる感情だった。
どうしようもない衝動に駆られ、サチは反対ホームへ向かって走り出した。階段を一段飛ばしで駆け上がる。
しかし――。
タイミングが悪かった。
階段を上がりきった瞬間、ちょうど電車のドアが閉まり、青年を乗せた車両がゆっくりと動き出してしまった。
サチはその場に立ち尽くし、遠ざかっていく車両をただ見送った。
雨の向こうに小さくなっていく車両を見て、やけに胸に残った。
――また会えますように。
小さな願いが、静かに胸の奥に落ちていった。