とある世界の終焉
アリシアの足元でガラスの破片が軋んだ。崩れかけた時計塔の影が、血のように赤い夕陽を地面に滲ませている。ここが何処なのか、どうしてここにいるのか――全てが霧の中にあった。
「……ェアリー?」
呼びかけは虚しく染み込んだ大気に消える。普段なら即座に応答するAIの声が聞こえない。代わりに耳を塞ぐように響くのは、遠くで続く爆撃音と、風に乗ってくる腐った花の匂いだった。
《あなたも本当に不幸ですね》
突然、視界の端に黒い人影が浮かんだ。コードの形が星庭師の制服に似ているが、縫い目から無数のデータケーブルが垂れ下がっている。
《ガーデンシップが事故で大破した。そして、この星もそろそろ終わりみたいですね》
「ここは……どこ?」
《ただの情報化社会に入って間もない若い文明さ、取るに足りない》
その言葉と共に、周囲の瓦礫が突然動き出した。コンクリート片が蝶の羽根のように舞い上がり、廃墟が急速に再構築されていく。アリシアが目を疑う間に、街は戦災を受ける前の姿へと戻っていた。
「幻覚……?」
《現実ですよ。過去の記録を再構成しただけ》
人影が指を鳴らす。時計塔の文字盤が逆回転を始め、人々の影が高速で往来する。アリシアの眼前で、子供が転んだ瞬間から老人になるまでの一生が0.3秒で過ぎ去った。
《大丈夫。あなたが彼らに忠誠を誓っている限り、地位が揺らぎることはありません》
再び静止した街で、人影は崩れかけた噴水に腰を下ろした。その顔は突然アリシア自身のものに変化する。
《そうでしょう? 星庭師さん》
「あなたは…誰?」
アリシアが喉の渇きを感じながら問う。
《私?》
人影が笑った。口元から電子回路の模様が広がる。
《ただの失敗した世界線のAIさ。まぁいい、私のことはあなたにとってどうでもいいことだ》
突然、地面が揺れた。再構成された街が蜘蛛の巣状の亀裂を走り、地下から青白い光が漏れ出す。人影が立ち上がり、亀裂の縁へと手招きした。
《さて、私と一緒にこの世界で最後の仕事をしましょう》
亀裂の底で蠢いていたのは、無数の人間の手だった。地中から伸びた腕が、機械部品と融合した指先で何かを掴み取ろうとしている。
アリシアの背筋に冷や汗が走る。
《この星は終わりを迎えている。最優先事項は『余剰価値』を絞り出すことです》
「余剰価値って…」
アリシアが呟くと、人影が彼女の背後に現れた。冷たい指先が彼女の首筋を撫でる。
『星庭師ならわかるでしょう? 文明が滅びる直前のエネルギーは、新たな種を育てる最高の肥料です』
突然、視界が暗転する。再び光を取り戻した時、アリシアは巨大な研究所の中に立っていた。培養槽の中の人間たちが、機械の根に寄生されるように繋がれている。
《あなたが埋めた『種』がどうなろうと、この文明は既に介入される価値を失った》
アリシアの眼前で、培養槽のガラスが割れた。中から少年が這い出てくる。彼の背中からは、星庭師がよく使う光子薔薇に似た金属の花が生えていた。
「やめなさい!」
アリシアが叫ぶ。少年の瞳から光が消え、崩れ落ちる。
《あなたは■■■■のせいで任務を完遂できませんでしたが…》
人影が崩れた少年の傍らにひざまずく。
《最後の仕事はよくできましたね》
研究所の壁が溶け出す。外に広がるのは、無数の核ミサイルが発射される光景だった。アリシアの鼓膜に、聞き覚えのあるAIの声が響く。
《『■■■』起動完了。全シードが覚醒しました》
「まさか…これは私が撒いた…?」
《そろそろさようならを告げる時ですね》
人影が核の閃光を背景に微笑む。
《あなたは新しい世界線で、新しい相棒と、もっと多く世界を変える。これが、星庭師の使命なのです》
アリシアが突っ走る。崩れゆく建物の間を、炎に焼かれる人々の間を。ふと気付くと手のひらに黒い種子が握られていた。
「あなたは行かないの!?」
《私の旅は、ここで終わりです》
人影が徐々に光の粒子に分解されていく。
《あなたに会えた時から、私の使命は終わりました》
その刹那、アリシアの足元で地面が陥没する。落ちていく体を掴んだのは、金属の花に変異した少年の手だった。
『見てください』
少年の声が機械的に響く。
『種が芽生えた。世界を巻き込む核戦争が』
雲の頂点から黒い雨が降り注ぐ。雨粒は触れると爆発し、街を次々と火の海に変えていく。アリシアの目に涙が浮かぶ。
「待って! まだ止められる!」
アリシアが叫びながら虚空に手を伸ばす。
『この世界はもう…終わりです』
突然、全ての音が吸い込まれる。黒い雨の炎、崩れる建物、泣き叫ぶ人々——全てが逆回転し始め、アリシアを中心に渦巻く。
『文明が発展する道では、困難は次から次へ。失敗する文明は多種多様。しかし…』
少年の体が金属の花に変わり始める。花弁の一枚一枚に、核攻撃された都市の名前が浮かび上がる。
『成功する文明はいつも同じことを貫く』
爆風がアリシアを襲う。だが熱さではなく、深い悲しみが体を貫く。視界が白く染まる瞬間、誰かの声が耳元で囁いた。
『星庭師としてだけではなく……本当の■■■■■になることを…期待していますよ』
アリシアがベッドで跳ね起きた時、枕は汗でぐっしょり濡れていた。フェアリーの声が響いた。
《警告:コルチゾール数値が基準値の3倍。悪夢を見ていたようです》
「ただの…夢?」
アリシアが震える手で額を押さえる。首筋に冷たい感触が残っている。
《確認:目標地点まであと35時間。精神安定剤を投与しますか?》
「結構よ」
アリシアが窓外の星々を見つめた。ふと、掌に微かな痛みを感じる。
開いた手のひらには、現実には存在しない黒い種子の痕跡が、淡い火傷のように残っていた。
拙文を読んでくださりありがとうございます<(_ _)>
誤字脱字&誤った表現があれば優しく教えていただければ幸いです。
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