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第9話

「ギルダス……」


 ナディアは思わずレナータの言葉を反復した。わずかに目を見開き、彼女をじっと見つめる。


 視界の端でムゥトが手を額に当てているが、気にはならなかった。


 ナディアの驚いた顔を見て心底満足したのか、レナータの口角が今日一番高く上がった。両腕を腰に当て、胸を張って高らかに宣言する。


「あたしにはね、隣国ヤーブラルド帝国の優れた戦闘民族であるギルダス族の血が入っているんだよ! あんたも知ってるだろ? 祖国を守ってくれてる奴らなんだからさ」

「よく存じております」


 ギルダス族は、ヤーブラルド帝国の国境に発生する凶暴な猛獣を狩ることを生業としている民族だ。

 

 この世界にはまだまだ未開の地が多く、人間たちが束になってようやく退治できるような猛獣も数多く生息している。


 アルバートたちが討伐に行ったグリュプスも、そのうちの一種だ。


 人間たちが生活範囲を広げれば広がるほど、猛獣たちに襲われることも増える。


 それらを狩るのを生業としているのが、ギルダス族なのだ。


 彼らの戦闘能力は高く、討伐するために複数の部隊で立ち向かったグリュプスすら、少人数、猛者ともなると単独で屠ることが出来ると言われている。


 独自の文化をもち、干渉を許さない代わりに、国境を越えてくる猛獣たちの退治をしてくれているのだ。


 噂によると、戦神の血族であるとも言われているが、嘘か本当かは分からない。


 皆、ギルダス族の名を聞くと畏怖する。ヤーブラルド帝国皇帝すら、年に一度は自らギルダス族の元に向かい、族長に頭を垂れる。


 そんな存在の血がレナータに流れているのか。


 だがナディアの脳裏に、以前食事を共にした時のバラバラに食べ散らかされた料理が過った。


 黙り込んでしまったナディアを、レナータが嘲笑う。


「ほーら、あんたも黙っちゃった。あたしがギルダス族の血を引いているって知って怖くなったんだろ? まあアルの奥さんだから、怖がらせないようにって思って黙ってやってたんだけどさー」

「そ、そのへんにしておきましょう、隊長……」


 ようやくムゥトの言葉が耳に入ったのか、ナディアの反応に満足したからか、レナータの話が止まった。


 その時、テーブルの端に座っているレナータの部下が、口元に手をやった。頬が上気しているレナータたちとは違い、彼は顔色は青白い。唇からも血色が失われているように見え、額からは汗が流れていた。


 ナディアはすぐさま立ち上がって周囲を見回すと、転がっていた桶の元に急いで走り寄った。桶を手に戻ってくると、顔色が悪い騎士の傍に寄り、目線を同じにするためにかがむと、桶を彼に差し出した。


「大丈夫ですか? 辛いならここに……」

「だ、だいじょう――うっ……」


 しかし、自分の体調不良を気づいて貰った安心感からか、彼は頬を大きく膨らませたかと思うと、ゴボッという音とともに嘔吐した。

 周りにいた騎士たちが大丈夫かと問う中、レナータは、うげっと声を出し、嫌な顔をして身を引いている。


 そんな中、ナディアは嘔吐する騎士の背中をさすりながら、彼が楽になるまで付き添っていた。


 吐き出すものがなくなったところで、ようやく騎士が弱々しく言葉を発した。


「も、申し訳ありません、ナディア様……」

「大丈夫ですか? さ、お水です。ゆっくりと飲んでください」


 ナディアが差し出した水を飲み干し、騎士はホッと息を吐き出した。顔色も若干良くなっている。

 ムゥトがナディアが持っていた桶を受け取り、処理するために席を立った時、レナータが大きくため息をついた。


「全く……お前はほんっと酒に弱いね? しらけるわー」

「す、すみません、隊長……俺の家系は皆、酒に弱くて……」

「家系のせいにするんじゃない! 酒なんてね、飲めば飲むほど強くなるんだから。次からもっと飲ませないとね!」

「そ、それは……」


 騎士の表情が青くなった。本当に酒が苦手なようだ。

 レナータの言葉を黙って聞いていたナディアが口を開く。


「レナータ様。体質的に、どうしてもお酒が合わないという方もいらっしゃいます」

「はぁ? あんたには関係ないだろ⁉ 部下ってもんはね、吐いてでも上官との飲みに付き合うもんなんだよ!」

「無理をして飲ませると、最悪命に関わります」

「いちいち大袈裟なんだよ、あんたは!」


 部下とのことに口を出されたからか、レナータはナディアに食ってかかった。嘔吐した騎士がよろけながら二人の間に割って入る。


「お、俺は大丈夫ですから! 隊長の言う通り、これからたくさん飲んで練習しますから……」

「大丈夫ではありません。まだ顔色が悪いです。今日はこれ以上お酒は飲まないでください。それにお酒が合わない体質は、どれだけお酒を飲もうが変わりません。どう頑張っても、男性であるあなたが女性になれないように」


 ナディアはそう言うと、残っているレナータの部下に視線を向けた。


「彼を休ませる場所はありますか? よければ連れて行ってあげて貰えませんか?」

「あ、あんた、勝手にっ‼」

「お願いいたします。民を守るために戦って来られた方に、こんなことで命を落として欲しくはありません」


 部下たちはお互いの顔を見合わせると席を立った。レナータが声を荒げたが、部下たちは嘔吐した騎士を立ち上がらせると、両腕を持って彼の体を支えながら建物の方へと向かって行った。


 命令を聞かなかった部下たちの背中に舌打ちをすると、安心したように表情を緩めているナディアをキツく睨みつけた。


「……一体あんた、どういうつもりだい? あたしの方針にまで口だししてきて……」

「どういうつもりも何も、体調が悪い方の介抱をしただけです。国の為に戦っているのですから、常に体調は万全でなければ無駄に命を失うことになります」


 ナディアには、何故レナータが怒っているのか分からなかった。だから淡々と自分の考えを伝えるだけだ。


 レナータは憎々しげにナディアを睨みつけていたが、すぐに不敵に笑みを浮かべたかと思うと、ナディアの前に置かれていた酒が入ったジョッキを突き出した。乱暴に突き出したため、ジョッキから零れた酒がテーブルを濡らす。


「……なら、あんたにあたしの酒の相手になって貰おうかな」


 この発言に、レナータたちに気づかれないように様子を窺っていた周囲の騎士や兵士たちが、明らかにざわつき始めた。


「グリン隊長って、酒が滅茶苦茶強いんだったよな……」

「ああ。ギルダス族って、どれだけ酒を飲んでも酔わない体質らしいからな……」


 そんな会話が耳に入ってくる。

 黙っているナディアに向かって、レナータが高笑いをあげた。


「あはははっ‼ あんたみたいな御令嬢が、あたしの酒に付き合えるわけないだろ? すぐに酔い潰れるのが関の山さ! だからさっきの発言は訂正しな。部下は隊長の酒に吐いてでも付き合う必要が――」

「かしこまりました。レナータ様にお付き合いいたしましょう」

「……はっ? あんた今、何て……」


 聞き返そうとしたレナータの言葉の続きは、ナディアが目の前のジョッキを一気に飲み干したことで永遠に失われた。


 男爵夫人の飲みっぷりに、周りがどよめく。


 音を鳴らさずにテーブルにジョッキを置き、口元をハンカチで拭うナディアに呆気にとられていたレナータだったが、空になったジョッキを見ると、みるみるうちに顔が怒りで染まった。


 ドンッ!


 レナータが飲み干したジョッキが、大きな音を立ててテーブルに置かれる。そこにほぼ同時に、レナータとナディアがお互いのジョッキに酒を注ぐと、間髪入れずに飲み干した。


 二人が酒を飲む様子を、固唾を呑んで見守る周囲。

 このテーブルから立ち上る気迫に、命を懸けて守る男たちすら声をかけられずにいた。


 そして――


「これはどういう状況だ‼」


 戻ってきたアルバートが目にしたのは、


「う゛っ、うぇぇぇっ‼」


 と桶に顔を突っ込んで嘔吐しているレナータと、


「レナータ様、大丈夫でしょうか? はい、こちらお水です。ゆっくりと一口ずつ飲んでください」

「あ、あんた、なんであんだけ飲んでへいき――うぇぇぇぇっ‼」

「ほら、無理して喋ったら喉を詰めますよ」


 同量の酒を飲んだとは思えないほど平然とした様子でレナータの背中を撫でながら介抱をしているナディア、彼女の傍で無言で両手を合わせてアルバートに謝っているムゥトの姿だった。

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