第7話
ナディアは、アルバートの部下たちに挨拶をし、いつも夫が世話になっている礼をした。
それと同時に、今まで酒が入っていてほろ酔いだったこのテーブルが、一気に冷めたような雰囲気となってしまい申し訳なく思った。
だがムゥトが、ナディアの登場にも驚きつつも、どちらかというと隣に座っているレナータの様子を窺っているのが、少し気になった。
だが、ドンッという音が聞こえたことで、意識がムゥトから逸れた。
大きな音とともにナディアの目の前に置かれたのは、葡萄酒がなみなみと注がれたジョッキだった。
ジョッキを置いたのは、もちろんレナータだ。
「ま、あんたが飲むにはマズイ安酒だろうけどね。でもその辺の格式ばった店で出るような酒とは違って効くんだよねぇー」
そう言ってレナータは、自分のジョッキを持ち上げ、喉を鳴らしながら飲み干した。空になったジョッキをテーブルに叩き付けるようにして置くと、袖口でグイっと口元をぬぐい、酒をかみしめるような、くぅーっという声を漏らした。
それを見たムゥトが慌てる。
「グリン隊長? 今日は制服ではなくドレスなのですから、袖口で葡萄酒をぬぐったらシミになって……」
「ああー、ドレスだったこと、すっかり忘れてたわー」
レナータが大口を開けて笑う。その頬はすでに赤みが帯びていた。若干頭をフラフラさせながらジョッキの縁を指でなぞり、上目使いでムゥトに問いかける。
「なぁに? あんた、あたしのドレス姿が気になんの?」
「い、いやそういうわけじゃ……」
ムゥトが勢いよく首を横に振った。が、彼の反応が面白かったのか、レナータはムゥトの方に身を乗り出した。夜だからと胸元が大きく開いたドレスに着替えていて、胸の谷間が見えるようにわざと前かがみにしているようだ。
「どうだか。男って、女の見た目ですぐに目を変えたりするからさぁ。あたしだって困ったことあるよ? 親にいわれてさぁー、男友達の前でちょっと女っぽい服装や化粧をしたら、目つきを変えてきやがって。こっちはそんなつもりねーよって感じ。見た目で態度変えてくる人間なんて、こっちからお断りだよ」
胸元から目を背けているムゥトの肩を突き放すように強く叩くと、今度はナディアを横目で見ながら、
「あんたも気をつけなよ。ここにいるやつら、女のドレス姿に興奮するやつらばっかりみたいだから」
とニヤリと笑った。
レナータの発言によって、このテーブルの空気が凍り付いたのは言うまでもない。しかしナディアは、気まずくて俯いている彼らに向かって微笑みかけた。
「興奮している、というのは、この姿を素敵に思ってくださっているいうことですよね? とても嬉しいですよ。このドレスやアクセサリーは、アルバート様が贈ってくださったものですから。それらを身につけている姿を素敵に思ってくださるということは、アルバート様を素敵に思ってくださっていることと同じではないですか」
この発言に、俯いていた男性たちが一斉に顔を上げ、力いっぱい頷いた。凍り付いていた空気が和やかなものへと変わり、アルバートのセンスの良さについて部下たちが口々に褒めだした。
「そうです! いやぁ、副隊長のセンスっていいですよね!」
「今度俺も、婚約者に贈るプレゼントを副隊長に相談しようかな」
「ありがとうございます。そう言って頂いてとても嬉しいです。夫もきっと皆さんの言葉に喜ぶでしょう」
自分の夫が褒められて嬉しくないわけがない。ナディアの口元から自然と笑みがこぼれると、それを見た男性たちの頬が、酒とは違う赤みを帯びた。
一人が不安そうに尋ねる。
「でも、あの副隊長が喜びますかね? 俺なんて馬鹿なこと言うなってドヤされることが多くて……」
「ふふっ、もし褒めたとき、彼が口元に手をやったら照れてるってことです。恥ずかしがるときの癖なんで、本気で怒ってはいないはずですよ」
「あ、確かに、奥様の話をするとき、ちょっと口元に手を置いていることが多いですよね、副隊長って」
「あー、なるほど、そういうことだったのか」
「すぐに奥様のお話を切り上げられてしまうのは、照れているからだったんですね」
口々に、夫の照れ仕草について話す彼らに、ナディアは声を落してお願いする。
「あっ……でもこれは、ここだけの秘密にしておいてください。本人は気づいていないので……」
「分かってますよ。それにしてもさすが奥様。副隊長の隠れた感情もお見通しってわけですか。仲の良いご夫婦なのですね」
仲の良い夫婦。
その単語に、ナディアの胸の奥が急にこそばゆくなった気がした。何だかむずむずして、そのせいで口元が緩むのを止められない。
顔だって、酒をまだ一滴も呑んでいないのに熱くなってきて――
というところで、三杯目の酒を飲み干したレナータが、空いたジョッキをテーブルの上に叩きつけた音が響き渡った。
「はぁ? 照れたときに口元に手をやる癖? あんたよりも長い付き合いのあたしが知らないんだから、そんな癖ないでしょ? たまたまだよ、たーまーたーま‼」
「そんなことは……」
ない、と言い切ろうとしたが、レナータはガンガンとジョッキをテーブルに叩きつけて、ナディアの言葉を遮った。グレーの瞳は焦点が合っていなくて、頭もさっきよりも揺れている。かなり酔いが回ってきているのだろう。
ジトッとした目でナディアを睨みつけると、自分が身につけているドレスを不満そうに指で摘まんだ。
「なら、なんであたしの姿を見て口元に手を当ててないわけ? おかしくない?」
「えっ、あ、あの、隊長? ちょっと酔いが回ったのでは……そろそろその辺にして……」
「あたしは酔ってないよっっっ‼」
レナータが咆えた。ジョッキを奪おうと手を伸ばしたムゥトの手を払いのけると、これ見よがしに自らの手で酒を注ぐ。
「どう考えてもおかしいだろ? なんでこんなパッとしない女には照れて、あたしには何にもないわけ? あたし、あいつの幼馴染みなんだよ? ずーっと一緒にいたんだよ⁉ ちょっとは態度が変わってもおかしくないでしょ!」
「そ、そんなことないですよ! 隊長のお姿だって素敵だと思っているは――」
「あのっ……レナータ様? 一つ疑問があるのですが……」
ナディアの不思議そうな声が、二人の会話に割って入ってきた。
ムゥトの胸元に掴みかかっているレナータの瞳が、獰猛な光を宿しながらナディアを見る。
「なによ」
「どうして、アルバート様がレナータ様のドレス姿を見て照れないとおかしいのでしょうか?」
「……はぁ? アルが私のドレス姿を見て照れないのが普通だといいたいのかい、あんた……」
女性が出せるとは思えないほどの低い唸り声をあげながら、レナータが訊ね返す。
ナディアとレナータを除く、このテーブルにいる者たちがハラハラしながら見守る中、ナディアは迷うことなく大きく頷いた。
自分が言いたかったのはそれだと、強く同意するように。
ムゥトが突然立ち上がると、大きく手を叩いた。
「その話は置いておいて、グリン隊長! 今回の遠征の報告をいたします‼ 我々討伐隊は今回、一頭のグリュプスの討伐に成功いたしましたが、もう一頭は取り逃がしてしまい……」
「んなこと今はどうでもいい‼」
あからさまに話題を変えようとしたムゥトを押しのけ、レナータはナディアに詰め寄った。
「なんだい、あんた! アルがあたしに興味がないと言いたいのかい⁉」
「いいえ、それはないでしょう」
ナディアは首を横に振る。
夫がレナータに無関心ないわけはない。いや、無関心でいられるわけがない。何故なら二人は、上官部下の関係なのだから。
だが、
「しかし、アルバート様とレナータ様が幼馴染みで一緒にいた時間が長いことと、レナータ様のドレス姿を見てアルバート様が照れることが、どうしても繋がらなくて……もしかしてレナータ様……」
ナディアはここで一呼吸入れると、今までの会話を聞いていてずっと疑問だったことを口にした。
「ご自身のドレス姿をアルバート様に見て頂いて、照れて欲しかったのですか?」