第3話
「旦那様、またあの隊長に呼び出されたんですか?」
ナディアの侍女であるサリーの呆れ声が、帰りの馬車内に響きわたった。彼女の手が握っているスカートの布に深いシワができているのを見る限り、かなり怒っているようだ。
それを証明するかのように、いつもの明るい声とは正反対な、暗く低い声が、ナディアの鼓膜を震わせる。
「旦那様、今日は非番でしたよね? なのに呼び出してくる上官ってどうなんですか⁉︎ それも緊急事態ならまだしも、訓練で呼び出したんですよね?」
「いいのよ、サリー。これも全て、隊の結束を固める大切な仕事なのですから」
「でも奥様だって、久しぶりに旦那様と出かけられることを楽しみにしていたではありませんか!」
そう言われて、アルバートと久しぶりに出かけるからと、サリーたち侍女に、どのような格好で出かければ良いかと相談しながら身支度を整えていた今朝のことを思い出す。
どんな話をすれば、アルバートに楽しんで貰えるかと、色々と考えていたことも。
夫とのおでかけを楽しみにしていた自分の存在に、遅ればせながら気づく。
ただ一緒に食事をして店をまわるだけが楽しみだと思える心境の変化が、嬉しくもあった。
だがサリーは、ナディアが自分の心境の変化に喜んでいることなど露とも知らず、憤っている。
「それをグリン子爵令嬢が割り込んで、お二人の時間を邪魔するなんて……」
「邪魔だなんて。レナータ様は私に会いたくてあのお店にいらしたのだと言っていましたし、悪気はないと思いますよ?」
「ええー! それ、本当ですか?」
完全に疑ってかかっている侍女の発言に首を傾げながら、レナータと出会った時のことを思い出した。
予約していたレストランに着いた時、
「あれぇ? アルバートじゃないか!」
ナディアの知らない茶髪の女性の声が、夫の名を呼んだのだ。
通常は、名前ではなく家名で呼ぶ。相手が既婚者や女性なら、尚更だ。親しい関係だと誤解され、あらぬ噂を立てられる心配があるからだ。
しかし目の前の女性は、夫を名前で呼んだ。さらに呼び捨てまでしている。
つまり――かなり近しい関係であることを示していた。
今まで笑顔だった夫の顔が一瞬強張った。だがすぐさま冷静な表情になると、自分の名を呼んだ女性の前に立った。
「レナータ? なんでここに?」
その名は知っていた。確か、アルバートが所属する部隊の上官の名前で、彼が出かける理由に、その名前が良く出ていたからだ。
レナータはかけられた問いには答えず、アルバートの隣にいるナディアを見た。グレーの瞳を細くし、まるで値踏みするかのように全身に視線を走らせると、フッと小さく笑い、アルバートの問いに答えた。
「いやぁ、あんたが今日ここで食事するって小耳に挟んでね? ほら、あんたと私って付き合いが長いだろ? 幼馴染の奥さんを見てみたくてさ。結婚式だって挙げなかったし、あんたに奥さん紹介しろって言っても、忙しいって言って会わせてくれなかっただろ? だから私から会いに来てやったの。感謝しなよ? ほら、さっさと中に入って奥さん紹介しな!」
そう言ってレナータはアルバートの腕を引っ張り、店に入ろうとした。しかしアルバートはレナータの手を振りほどくと、
「ま、待て! ここは予約制で俺たちしか予約してない!」
と言って、レナータとレストランの入り口の間に割って入った。
しかしレナータは腰に手を当てながら、大声で笑ってアルバートの発言を一蹴した。
「あはははっ‼ あんたたちのテーブルに、もう一つ椅子を持ってこさせればよくない? 頭固すぎ」
「いや、店のルールというものが……」
「ほら、そんな細かいことは気にすんなよ。入った入った‼」
まるで自分が招待したかのような態度で、レナータはアルバートの脇をすり抜けてレストランに入っていってしまった。
実際、予約も無しに入ろうとしたレナータとレストラン側で一悶着があったようだが、アルバートが何とか説得し、何とか場を収めた。
そしてレナータと三人で食事をして、今に至る。
「……うん、やっぱり私に会いに来られたのね」
「いやいやいやいや‼ 邪魔する気満々じゃないですか、あの女!」
サリーが顔を真っ赤にしながら、両頬を膨らませて怒っている。ナディアが、まあまあ、と侍女を宥めるが、主人の言葉に納得がいかないのか、少し身を乗り出して声を荒げた。
「あの女、ぜーーーーーったい旦那様に気がありますよ! だから奥様たちの仲を邪魔しようとしてるんです! 普段から妙にあの女からの呼び出しが多いのも、絶対にそうですよ!」
「そう、なの?」
「もう少し危機感を持ってくださいよ、奥様! このまま旦那様をとられたらどうするんですか⁉︎」
サリーの怒り顔がすぐ目の前にあるのを不思議に思いながら、ナディアはサリーの言葉について考える。
そしてニッコリと笑った。
「大丈夫よ、サリー。アルバート様はレナータ様には大きすぎますから、取れないでしょう?」
「物理的に盗るってことじゃないですよ、奥さまぁぁぁぁーーーー‼︎」
サリー渾身のツッコミを微笑みながら受け流すと、ナディアは近づいてくるウォルレイン邸を見つめながら呟いた。
「一体何を心配すると言うの? アルバート様は何があっても、いつもここに戻って来られるというのに」
そんな満足そうな呟きは、怒り心頭のサリーの耳に入っていなかった。