第18話
アルバートはレナータを連れて、かがり火の光が届くが、他の人間に会話が聞こえない距離まで離れると、改めてレナータに向き直った。
その青い瞳からは、何も感情が読み取れない。
「それではレナータ嬢。一体何があったか話して貰おうか」
アルバートが何を考えているか分からないことに、逆に不安になりながら、レナータは躊躇いがちに口を開いた。
ナディアを連れて狩りに出たこと。
しかし途中、道から外れてしまい、グリュプスの縄張りに入ってしまったことを。
「……事故、だったんだよ。まさかグリュプスがグリン領にいるなんて、予想出来ると思うかい?」
レナータはそう締めくくった。嘘は言っていない。ただ全てを語っていないだけ。
しかし、アルバートは大きくため息をつき、
「……せめて正直に全てを語ってくれればと思ったが……残念だ」
と言葉を発したことで、レナータの顔から血の気が引いた。全てを話していないことを簡単に見抜かれ、両手が小刻みに震え出す。
アルバートはもう一つ大きくため息をつくと、部下たちが作業している方を指差した。
レナータたちが落ちてきた、急な斜面を。
「確かあの斜面の上が、いつも通る道のはず。あの道から外れてここに来ることは厳しい」
「いや、そ、それは……」
「もし馬でここに来ることが出来たなら、何故ナディアの馬だけがグリン邸に戻っていた?」
「そ、それは、グリュプスに襲われて馬が逃げて……」
「グリュプスに襲われたのは夜だろう? ナディアの馬は、陽が落ちる前に戻ってきたと聞いたが?」
嘘を重ねれば重ねるほど、アルバートが事実を突きつけて崩してくる。気づけばレナータの額には、汗がびっしりと滲みだしていた。
アルバートは腕を組むと、厳しい表情を浮かべた。
「私も全てを見抜いているわけじゃない。ただ一つ言えることは、君がナディアに何かをした結果、グリュプスの縄張りに入ってしまったのではないかということだ」
「た、確かに……あんたの奥さんと、少し口論になった! で、でも、あの女が逆上して、あ、あ、あたしを突き落とそうとしてきて……避けたら落ちて行ったんだっ‼ あたしはそれを助けようとして一緒に落ちて……そう……そうだ! あたしは悪くないっ! あたしは、あんたの奥さんを助けようとしたんだよっ‼」
頭の中が混乱していたため、事実にそくした嘘しかつけなかった。しかし、
「そうか、それが真実か。分かった」
アルバートが納得したように頷いたので、レナータは胸を撫で下ろした。しかし、彼の次の発言で、再び凍り付くことになる。
「つまり、君はナディアを突き落とそうとしたわけだな? だが君が落ちてしまい、助けようとしてナディアも一緒に落ちた」
「っ‼」
あっさり真実を言い当てられ、レナータの心臓が痛いほど大きく跳ねた。胃がキリキリと締め付けられるようだ。
そんなレナータを、アルバートが口元を歪めながら嘲笑う。
「ナディアは君の身を案じていた。突き落とそうとまでした相手に出来る態度じゃない」
そう言い返され、レナータの身を案じ、手を差し伸べてきたナディアの微笑みを思い出す。もしレナータがナディアの立場であれば、自分を突き落とそうとした相手に、あんな気遣いは出来ない。
怪我でもしていようものなら、自業自得だと嘲笑っただろうに。
これまでもそうだ。
レナータがナディアを馬鹿にしようが、嫌みを言おうが、彼女にはまるで響いていなかった。
無性に苛立った。
憎らしかった。
「……あの女が全部悪いんだ。私がアルに選ばれなかったことを認めろなんて言うからっ‼ だから、あたしは……あたしはっ‼」
一度認めると、堰き止められていた真実が言葉となって溢れた。怒りと悔しさで頭の中を一杯にしながら、アルバートを睨みつける。
「あんたもこんな回りくどいことをしないで、一体何があったのかを自分の嫁に聞けばいいだろ⁉ あたしを責めて楽しいかい⁉」
「楽しいわけがない。ただナディアは真実を言わないだろうから、君に聞くしかなかっただけだ」
「……はっ?」
レナータの怒りが止まった。
意味が分からなかった。突き落とそうとされたことを、アルバートに告げ口しないなど、考えられなかったからだ。同時に、ナディアから事情を聞けば真実がバレるのだから、嘘をついても無駄だったことにも気づいたが。
アルバートは呆れたようにため息をついた。だが厳しい表情を浮かべていた彼の表情が僅かに緩み、口元を隠す。
「恐らくナディアはただ事実だけ言うだろう。『傾斜に落ちそうになった君を助けようとし、一緒に落ちた』と。君とした口論など、もうすっかり抜け落ちているはずだ。ナディアにとって負の感情を持ち続けることは、人生で最も意味のないことだからな」
「なん、なんだよ、それ……」
奥歯を強く噛みしめる。
それほどまでに、あの女にとってレナータは、取るに足らない存在だったのか。さらにそれを好きな男から言われたことが、レナータのプライドを砕いた。
ナディアへの怒り、憎しみ、グリュプスに立ち向かう度胸と強さへの恐怖が、言葉となって迸る。
「あっ、あの女は一体何者なんだ⁉ そ、それにあんたの結婚に、ワイドルク国王とヤーブラルド皇帝が絡んでいるらしいじゃないかっ‼」
「ナディアが話したのか。秘密にしておくように言ったのに、仕方の無い人だ」
「笑ってないで、答えろよ、アルっ‼ ムゥトには全部話しているんだろっ⁉」
「……君も予想はついているだろ?」
突然アルバートの声色から温もりが失せ、鋭い視線がレナータに向けられた。口元を覆っていた手は下げられ、真っ直ぐに結ばれている。
彼の発言に、レナータは唾を飲み込んだ。
気づいていなかったわけじゃない。
ただ、認めたくなかっただけ――
「……あの女は……ギルダス族、なのか?」
「ああ、そうだ」
アルバートはあっさりと認め、さらに言葉を続けた。
「ギルダス族長の娘であり、次期族長となる立場だったのが――ナディアだ」




