山歩きは事前準備をお忘れなく
「これで一晩くらいは持つじゃろ」
初音に言われるがままツルムシのロープを編んでいくと、日本人なら誰もが見覚えのある物だと気づく。
これは神社や鳥居でよく見掛ける注連縄と呼ばれる神祭具で、現世と隠世、あるいは人と神の領域を隔てる為の目印とも言える縄だ。
日暮れを間近に控えた雨の中、冷水で清めた注連縄を三重にして小屋の周りを囲う。
一本のロープは決して太い物ではなく、ましてや高価な物でもないが、心構えが重要なのだと鬼の巫女は説く。
「よいか、相手は異国なれど相応の徳を備えた神ぞ。本来ならこのような処置は礼を失する行いなのじゃが…お主の命が懸かっておる故、やむを得ぬからのう」
凛とした表情は降り続く冷たい雨を受け、どこか物憂げで儚い印象を受けた。
もし初音がいなければ、俺は女媧によって早々に取り殺されていたかもしれない。
思えば異世界に来て以来、女媧に付きまとわれる理由すら分からず、助かる為に僅かな希望を求めて、神奈備の杜に住むという修験者を訪ねる旅を続けていた。
「女媧には弱点とかないのか?
少なくとも伝承レベルで残ってるなら、多少の情報なり何なりが有るんだろ?」
「お主はこと信仰に関しては認識が浅いのう。
人には到底届き得ぬ高みに御座すからこそ、神と呼ばれておるのじゃぞ」
初音は見た目の幼さに似合わず、俺よりも遥かに神仏への敬意に満ちた考えを持ち、まるで説法を説く口調で神秘への畏敬を口にした。
彼女の言う事はもっともだと理解できる――できるのだが…。
「……確かに、お前の言う通りだよ」
もう少しだけ…カミサマとやらに感謝して生きるべきなのかもしれない。
今まで考えた事もなかった畏敬の念について、いつの間にか止んでいた雨が俺の内側に新たな価値観を染み込ませていく。
「夕食前にAwazonで買い物を済ませておこう」
「真か! げーむげーむ!
ワシ、最新の『ずぅいっち二号機』が欲しい!」
恐らくNINTENDU SWITCHの後継機の事なのだろうが、言うまでもなくウチにそんな贅沢をする余裕はない。
ここは何としても、駄々っ子鬼娘の興味をそらす必要がある。
「あー残念だわー。
ちょっと在庫切れみたいっすね。
それよりも渡来品の靴とかどうだ?
ほらほら、機能的で可愛くない?」
「えぇ~…『ずいっち』も可愛くないかのう?」
俺が言うもの何だが、SWITCHのどの辺りが可愛いんだよ。
それより、前々から初音が使っている履物が気になっていた。
いま使っているのは主に藺草を皮で補強した草履で、美麗な鼻緒飾りが特徴的な高級品なのだが、今後の山道を考えると履き替えておいた方が無難だと考えた訳だ。
鬼属が人と比べてどれくらい丈夫なのかは知らないけど、万が一にでも滑落しようものなら、恐らく無事では済まないだろう。
「やっぱ高貴なレディともなれば、然り気なく渡来品を着こなしてこそだよなぁ?」
「そ、そうかのう……そうかも…?
おお、よく見ればワシの可憐な足元に相応しい『てさいん』じゃのう!」
デザインな。
上手く丸め込んで乗り気にさせた内に、足のサイズを測定すると――20cm!?
ウソみたいに小さいぞ……。
流石にAwazonでもこのサイズは売ってないかもしれないと心配していたのだが、よくよく考えてみれば大人用にこだわる必要はないのだ。
つーか、初音本人が悩んだ末に選んだ物は思いっきり子供用だった。
自分で選んだんだから後からバレても怒らないだろう……多分。
「ふふーん! どうじゃ?
洗練された『てさいん』がワシという範を得て、一層の輝きを放っておるであろう?」
「アッハイ…左様で御座いますです……」
――いまさら言えねぇ。
それ、女児用のトレッキングシューズだなんて口が裂けても言えるワケがねぇ!
上機嫌で歩く初音の隣をギンレイがエスコートする傍ら、真相がいつバレるのか気が気ではない俺の動悸は早まる一方であった。
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