四万十 葦拿、受難の始まり
「ありゃ、やっぱ濁りが目立つな」
前日に降った雨は渓流が本来持っていた美しいエメラルドブルーの河床を一変させ、今は激しい流れを生み出して茶褐色の水で覆っていた。
渓流釣りにおいて河川の濁りはプラスにもマイナスにも成り得るのだが、ここでは基本的にルアーを使わない餌釣りが主体なので、そこまで影響はないと思いたい。
川虫を探して手早く針に掛けると、まずは一投。
「………………妙に反応が鈍いな……」
いつもなら簡単に食い付くのに、魚の動きが鈍いのか、それとも警戒されてしまっているのか…。
その後も何投か試したが結果はゼロ。
ここで粘っても釣果は出ないと判断して、仕方なしに場所を変える事にした。
川に沿って歩いていると、一つの現象が起きているのに気付く。
濁りの合間にはちゃんと魚がおり、しきりに何かを口にしている。
よく見ると雨で増水した事によって川底の小さな虫が掘り返され、それを魚が一心に食べているのだ。
「なるほどね、道理で釣れないワケだ」
魚にとってリスクのある胡散臭い餌などを口にしなくても、そこら中に安全な餌が溢れている状況。
だとすれば釣果が出ないのは当然と言える。
魚が手に入らないとすると、他に手に入る食材は…おお、そこに居たのかカワラムシャガニ君。
I Loveザリガニ。
彼らは流れの弱い所に隠れていた。
昨日からすっかり虜になった食材を8匹確保し、バッグに放り込んでホームへの帰還を果たす。
「おーい、今日も御馳走だぞ」
ほんの30分留守にしていただけだというのに、ホームの中は嵐が通り過ぎたのかと勘違いする程に荒れまくっていた。
どうやったら、ここまで散らかせるのか…。
ギンレイまで地面に座り込み、舌を出して遊び疲れた様子だ。
「……遅いのじゃあ~、もう動けん……」
『もう遊べない』の間違いだろうと、ツッコミを入れたくなったが無視する。
さっさと焚き火の準備をする為、ファイヤースターターを取り出して火を起こそうとするが中々火がつかない。
どうやら雨がホームの中まで入り込んでいたらしく、薪が濡れてしまったようだ。
「それは何じゃ? 珍妙な道具じゃのう~?」
初音が背中越しにファイヤースターターを見つめ、物珍しげな声を挙げる。
そのまま肩に顎を置いてグイグイと胸を押し付けてくるので、俺は逃げる事もできずに押し潰されていく。
「あ~ぶ~な~い~か~ら~、あっちでギンレイと遊んでなさい」
本当に危ないのは俺の腰である。
こいつ……どんな力してんだ?
全く抵抗できずに煎餅みたくペタンコにされる所だった…。
胸の柔らかさを感じる前に、死を予感するとか洒落にならん。
別のドキドキを味わいながら薪を選り分け、濡れていない物を使うとようやく火をつける事に成功した。
「おお、その長いのは燧石じゃったか!
ワシもやってみたい、やらせてやらせて!」
「腰ガァぁぁああああ!!!」
背後から不意討ち気味のタックルを決められ、俺の腰は無事に終了した。
頑張れ俺、明日はきっと今日よりも輝いているから……。