神秘とは神々の気まぐれ
狼は母親の乳が恋しいのか時折俺の腹辺りに鼻を擦りつけ、しきりに探し物するような仕草を見せる。
こればかりは俺にもAwazonにも、どうする事もできない。
せめてもの慰めとして銀白色のタテガミや、首周りを満足するまで撫でてやる。
そうして午後をとっくに過ぎた後は、保存食の貯蓄に勤しむ。
悪天候で朝から外へ出られない日もあると想定し、食料を探しに行けない事を考えれば、ある程度の食べ物は手元に残しておきたいからだ。
衣食住を安定させるのは生活していく上で命題である。
そして、これから作るのは昔ながらの定番シソ梅干し。
水に浸したマルハウメと茎を取り除いたミツミシソの水気を丁寧に拭いた後、本当は天日に干すのだが時短として、焚き火の熱でカラカラになるまで乾燥させた。
「焼き干しの時に分かったんだけど、炙って乾燥させる方法は味が落ちるんだよな。
けど、そこは妥協するしかないか」
次いで塩揉みしたシソの灰汁抜きを行い、キッチリと絞ってからガラス瓶に塩とウメ、その上にシソを敷き詰めて重石を乗せておく。
「かなり工程を省いたが大丈夫だろう。
多分……かなり不安だけど」
このまま梅の水分が抜けるのを待ち、状態を観察してヤバそうなら早めに食べる事にする。
たとえ今回失敗したとしても、梅干しの旬はまだ先なのでリカバリーできると考えたワケだ。
梅干しの瓶をなるべく日光の当たらない涼しい所に安置したかったので、ホームの最奥へと入った所で意外な光景に度肝を抜かれる。
「お……おぉ……なるほど、冷えるはずだ……」
そこは5月もとっくに過ぎたというのに、まるで冷凍庫のように一面が氷の世界に覆われていた。
天井から滴る湧き水が長い時間をかけて形成した氷の鍾乳洞、まさに自然が作り出した芸術を目の当たりにした俺は、その圧倒的なスケールを前に言葉を失う。
正面の通りを挟んだ両側の壁には何者をも寄せ付けない、静謐を湛える流水を表現したかのような氷柱のカーテンが列を成し、極僅かに届く日の光が様々な角度で反射する事によって、暗闇と凍結が支配する世界に眩い輝きを解き放っていた。
今日まで気付かなかったのが不思議な程の神性を帯びたオーラを肌で感じ取り、霊感など皆無を自称してきた俺の考えを改めさせるには十分に足り得た。
ここには何か、人間が触れてはならない神聖なモノが存在するのではないか、そう思わせる程に。
ホームの入り口から然程進んではいないというのに、外の雨音はどこか別世界で起きている出来事のような、刻が止まってしまったのではないかと錯覚してしまう。
荘厳で寡黙な威厳に満ちた様は、歴史を積み重ねた教会を思わせる静寂に包まれていた。
とてもではないが、ここの氷を傷付けたり冷凍庫の代わりにしようなどとは考えられない。
俺は呆けた顔でしばしの間、進む事も戻る事もできず、人間の手が届かない悠久の時が作り出した不朽の大傑作を前に身を委ねた。