飲み水を確保しよう!
どれくらい歩いただろうか。
頭上に生い茂る枝葉は絶え間なく続き、容赦なく降り注ぐ日光を遮るのに一役買ってくれていた。
道――といっても獣道に近い直線は道幅が狭く、まるで田んぼの隙間を縫う畔道のようにも感じる。
雪山キャンプに備えて入念に準備してきた冬装備の衣服は、蒸し暑さと運動による大量の汗で肌に貼りついて酷く不快だ。
俺は焦る気持ちを抑え、一度に長距離を移動する事は避けた。
なるべく体力を温存する為に小休憩を定期的に挟み、大きな木陰を見つけては腰を降ろす。
「水…飲みたい……」
切実な問題だった。
このまま水の確保に失敗したらどうなる?
嫌な予感と胸を締め付ける不安が入り交じり、どうしようもない恐怖が脳裏を過った。
「落ち着け、落ち着けよ葦拿…。
絶対にパニックを起こすな、思考を止めるんじゃない。絶対に助かる、絶対だ!」
そういえば半年前、渓流で川下りをしていた時にカヤックの制御に失敗して岩に乗り上げてしまい、バランスを崩して激流の中に放り出された事があった。
「あの時も相当焦ったな……」
幸いにして激流の区間は思ったより短く、カヤックのデッキに備えたロープを最後まで離さなかったお陰で渦に飲まれずに済んだ。
さて、今回はどうだろうか…。
自嘲気味に笑うが正直な所、自分でもどうなるのか分からず不安に駆られていた。
空を見上げれば憎らしい程の晴天が広がっており、雨が降る様子は全くない。
とはいえ、この地域の気候が分からないので運が良ければスコールに恵まれるかもしれない。
「そうだ、雨……水!」
俺は弾かれたように起き上がり、視界に入る大きな木々を丹念に探った。
これだけ沢山の木があるんだ、必ず見つかるはず。
狙い目は過去に太い枝が折れた場所…大きな節を境に逞しい幹が伸びている。
「やった、あったぞ!」
頭上よりも少し高い位置にポッカリと口を開けた洞が見える。
ここから中の様子は分からないが、雨が降った際にはコップのように水を受けているかもしれない。
確信はないが確かめてみる価値は十分にある!
「目標まで高さ2mちょいか?」
樹木は所々に小さな節や枝があり、うまく足を引っ掛ければ登れそうだ。
木登りなんて子供時代に昆虫採集をして以来だが、そんなのは言ってられない。
少しでも楽に登ろうとゴツゴツした樹皮に顔を当てて体を押し上げる。
「確か腕よりも足を使って登るんだったな」
幼少期に祖父から教わった木登りテクを思い出し、有るのかも分からない水を求めて必死によじ登る。
両手は舵を取り、むしろ両足の太ももで幹を挟みながら少しずつ登るのがセオリー。
孤独な格闘が1ラウンドを過ぎた頃にようやく洞に辿り着く。
「中は…水は……?」
ゆっくり覗き込むと暗い穴からスズメバチに似た昆虫が顔を出していた。
そいつとガッツリ目が合ってしまい、水がなかった事よりも不用意に指を入れなかった事に心底ほっとした。
先客を刺激しないように音を立てずに戻ると、俺は地上に置いてあったダウンジャケットを引っ掴んで脱兎の如く離れた。
さっきのは餌を探していた個体だろう。
巣が近くにあれば問答無用で襲われたり、アゴを鳴らして警告を受けたはずだ。
「よく見えなかったけどデカイ虫だったな。
刺されなくて助かった…」
目当ての水は見つからなかったが、ちらりと見えた穴は湿っており、水が手に入る可能性はまだある。
さっきの場所から10m程離れた先に見つけた洞はもう少し低い所にあり、腰辺りの高さに直径20cm程の穴が開いていた。
同じ轍を踏まないよう近寄る前に、ハチや蛇などが居ない事を確認して中を覗くと……。
「水!? あった、あったああぁあ!!」
鬱蒼とした森に歓喜の声が響き渡る。
水は僅かに濁っていたが丁寧に埃を掬い上げ、ハンカチに染み込ませて少しずつ口に含める。
「なんか…甘い? これは――旨い…ッ!」
体が求めていた水、こんなにも旨い水は初めてかもしれん。
俺は夢中でハンカチを浸し、中の水で存分に喉を潤した。