その手を離さないで
「これは何事だ!
……は、初音? お、おおおお!!
なんたる…なんと惨い…!」
残党狩りを中断して帰還した澄隆公の前に、最愛の娘である初音が無言で横たわる。
実の父親にとって、小さな体を包む光の膜も、どうやっても触れない奇怪な現象も大した事ではない。
唯一、初音が誰の目にも分かる致命傷を負ったという事実だけが、彼の心を完膚なきまでに打ち砕く。
「アニキ、犬っころは助かりそうだ。
けどよ、お嬢は…もう…」
「分かってる…。
教えてくれ、飯綱。
俺は次に何をすればいい?」
正直、初音の為なら自分の命だって差し出すつもりだ。
俺の覚悟を察した飯綱は一本の鍵を取り出すと、別人のように優しい口調で語りかけた。
「今日までよく頑張ったなぁ…。
これはバカ野郎から預かってた最後のプログラムさ。けどな、使ったら最後、お前はこの世界に留まる事はできない。それでも使うのか?」
周囲の視線が自然と俺に集まる。
この鍵を手にすれば初音は助かるか?
…結果はどうであれ、ここまできて立ち止まるなんてできない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!
当方は頭悪いから分かんねぇけどよ、それを使ったらアニキがどっか行っちまうってのか?」
「万治郎…」
八兵衛さんや紋七、愚連隊の皆も一様に不安な顔を浮かべ、想像した事もない言葉の意味を探していた。
不穏な空気を感じ取ったのか、負傷したギンレイも足を引きずって俺のもとへ近づく。
「異世界に飛ばされた俺は独りぼっちだった。お前の存在にどれだけ救われたか…。
今までありがとうな、ギンレイ」
悲しげに鼻を鳴らす愛犬を丁寧に撫で、最後に感謝の言葉を贈る。
もう誰も、何も――充分だ…。
「鍵を渡してくれ」
飯綱は小さく頷くと細い指から金色の鍵を手渡し、ほんの少しだけ顔を紅潮させて言伝を口にした。
「その…あのバカに会ったらさ、アタシが――」
言いかけた言葉が終わらない内に、俺の意識はプッツリと途切れ、黄金の奔流が全身の細胞一個に至るまで光の渦へと押し流していく。
「どう……なって…俺は……死んだのか…?」
膨大な量の輝く粒子が収束していき、五感を通じて様々な世界を体験する。
剣と魔法の中世ファンタジー。
仲間との学園生活。
色とりどりの恋愛物。
ハードボイルド近未来アクション。
懐かしの西部劇。
それこそ、挙げ始めたらきりがない!
想像の数だけ存在する、創造された世界。
もしかして、これがゴえもんの言っていたAwazonの――Price Videoの映像なのか?
まさに、体全体で体感する無限とも言える迫真的な体験の数々。
「すごい……これが未来のネットワーク…」
素晴らしい。
未来人の殆どが肉体を捨て、仮想現実に没頭しているという話も嘘ではないのだろう。
「様々な異世界に俺みたいな人間を送り込んで、そこで起きた出来事を疑似体験するのか…」
テレビでありがちな台本などでは得られない、命懸けの行動と悲劇的な別れが生み出す感動がそこにはあった。
「俺は…どこへ向かっているんだ?」
無限に流れ続ける映像の中で、やがて見知った世界の人々が姿を現す。
幼い頃のギンレイや血気盛んな万治郎。
心から安心する微笑みを向ける女媧様。
素直になれない八兵衛さんや豪快な紋七。
お江さん、お藍さん、お鈴ちゃん、町人や愚連隊の皆。
幸せな笑顔で寄り添うゴえもんと飯綱。
そして、快晴の青空みたいに飛びっきり元気な女の子が伸ばした手を、俺は迷う事なく掴んだ――。
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