たった一つの願い
八兵衛さんの治療を終えた頃、それまで大人しかったギンレイが急に大声で吠え始めた。
愛犬と共に長い時間を過ごしたからこそ分かる『異変』は、言葉を話せない動物達が発する警告だ。
「…嫌な予感がするって言いたいんだな?
落ち着いて、どっちの方向か教えてくれ」
ギンレイは大きな体に見合わず甘えた声で鼻を鳴らすと、じっと倉庫群の方を向いたまま視線を外そうとしない。
あの辺りは――。
「ゴえもんと飯綱の居る場所!
初音、済まないが…」
「分かっておる、ここはワシらに任せて行くがよい」
紋七の手当てをしていた初音が了承し、事情を察した万治郎も無言でジャスチェーを送り、心配無用だと言ってくれた。
俺はバギーを呼び出して乗り込むと、左手が外側に折れ曲がり、だらしなく垂れ下がっている事に気づく。
「…右手じゃなくて助かったよ」
アクセルを回す分には問題ない。
ようやく訪れた痛みを無視すると、先行するギンレイを追って煉瓦倉庫を目指す。
飯綱の転移技術を利用した不意討ちと、愚連隊の活躍によって既に拠点は制圧されていたものの、道中は相当数の負傷者で溢れ返っていた。
武器や資材、痛ましい負傷者の間を巧みに縫って走るギンレイ。
その道すがら、胸に去来する悪い予感は徐々に大きくなり、やがて確信へと変わっていく。
「ゴえも――! ……ゴえもん…」
「どうやら一段落ついたようで。
あっしの方は……まぁ、こう見えて痛みはねぇから心配しなさんな」
酷く憔悴した様子の飯綱。
周囲には駆けつけた愚連隊の面々が立ち並び、いずれも驚愕の表情で息を飲んでいる。
それらは無理もない反応だろう。
全身の至る場所に深い刀傷を負い、正面から背中にかけて何本もの槍が突き抜けている。
左腕は肘から先が欠損しており、肝心の首ですら皮一枚で辛うじて繋がっているだけ――にも関わらず、血は一滴も流れていなかった。
「ゴえ……」
話し掛けてもよいのか、それすら判然としない。
俺と同じ不死。
死ねない体で戦い続けるという意味を体現した姿に、居合わせた全ての者が圧倒されていた。
「いやはや……なんだか気ぃ使わせちまったようで…」
「…馬鹿だよアンタ。
本当によォ、どうしようもねェ大馬鹿野郎さ…」
飯綱の空虚な声を潮風が運ぶ。
泣き腫らした瞳は涙も涸れ果て、どこか遠い風景を見るようにして語りかける。
ゴえもんは残った右手で自身の首を確かめると、僅かに迷った素振りを見せた後に、ぽつりと呟く。
「…違ぇねぇや」
一切の言い訳をしない彼へ、近くで寄り添っていた三平太が涙ながらに訴える。
「ゴえもんさんは俺達や修験者様を庇って怪我を…!
素人の俺達が忍者相手に勝てたのも、誰も死ななかったのも全部…」
言葉を詰まらせる三平太に、少しだけ照れた表情で返すゴえもん。
皆がどのような反応を示せばいいのか分からないのに、当の本人であるゴえもんだけは普段と変わらない飄々とした態度で、それこそ場の空気をまるで読まない提案を口にした。
「そんなに悪いと思ってんだったらよぉ、今夜はパーッと派手に宴会でも開いてくだせぇ。それこそ朝まで続くような大宴会をさ」
「なに…を……宴会だって?
アンタ…そんな体で何を馬鹿な事を…!」
どうか聞き間違いであって欲しい。
一縷の望みに賭けて聞き返すが、彼の返答は無情にも聞き慣れた言葉だった。
「ああ、み~んなでキャンプしようぜ!」
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