頑固な老侍
「善き日なり。
最後に死に花を咲かせるとは一興の至り。
さあ、これより九鬼家の姫君に刃を向けた愚かな老骨の切腹、とくと御照覧あれ!」
…………は?
感動の涙も乾かない内に、八兵衛さんは残った右手で着物の褄を開くと膝をつき、辞世の句を口にしだしたではないか!
「忘れがたき君の名を 潮騒に乗せて――な、なにをする!」
「なにって…アホですかアンタは!
ようやく再会できた直後に死のうとするだなんて…アホか!」
体当たり同然で彼の右手を押さえつけ、意地でも切腹などという暴挙を阻止する。
相変わらず老人とは思えない力で俺を振り払おうとしていたところに、全速力の初音が突っ込む。
「ちょぉぉぉおおおいいぃぃいいい!?
待てやぁあああああコラァァアアアア!!
なんで!? なんで急に腹を切るんじゃあ!?
えらーえらー理解不能意味分からんいみふ!!
分かっとんのか!? 死ぬんじゃぞ!?」
凄まじい衝撃で俺達はまとめて吹っ飛ばされ、お陰で限界だった体力がゴッソリともってかれたが、結果として彼の手から刀を取り上げる事ができたのでヨシとしよう。
「姫様…当方は操られていたとはいえ、貴女様に刃を向けただけでなく、その御身を傷つけたので御座います。斯様な大罪を犯した以上、死をもって償うのが筋。分かってくださいませ…」
嗚呼、久しぶりの感覚だな。
――超が付く程の堅物っぷり。
彼の長所でもあり、最大の短所でもある生粋の頑固者。
ここまで意固地になったのであれば、もうあの人に任せるしかない。
「ふ…ふふっ……ははは!
実にお前らしい言い分ではないか。
それで、介錯は誰が行うというのだ?」
「大殿!
…矢旗 八兵衛、ただいま戻りまして御座いまする。
大殿におかれましても、申し開きの儀は尽きませぬ。
故に、この場においては何も聞かず、貴方様から賜る介錯を冥土の土産としとう存じ上げまする」
「そんな……主君に殺されるのが望みだなんて!」
あまりにも違う価値観に目まいがした。
恐らく彼が言っているのは妖刀 村正に操られ、初音に瀕死の重傷を負わせてしまった事なのだろう。
だが、あれは彼自身の意思で行ったのでは断じてない。
固唾を飲んで成り行きを見守る中、澄隆公は急に悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ほう、では鬼涙石に操られた者も皆、同罪よのう。
これは困った。そうなると儂は此度の謀反で全ての家来を失う事になるとは…。斯様な無能を一國の領主に据え置く訳にはゆかぬな。そうであろう、初音姫よ?」
「えぇ!? そ、そんな事は…………いやいや、全くその通りじゃ!
そうなれば世継ぎのおらぬ九鬼家は御取り潰しぞ。
困ったのう、困ったなぁ~困った~」
父の思惑を悟った初音はすぐに同調を示し、嫌らしい笑みでチラチラと八兵衛さんを横目に見る。
なるほどね、よくお似合いの親子だわ。
「な……御取り潰し…ですと!?
そ、そうでは御座いませぬ!
これは当方に限った話!
他の者達には寛大なる御処置を願いたい!」
地面に頭を擦りつけて土下座する八兵衛さん。
その左隣へ、静かに着座する者が現れる。
「…生まれて初めてだぜ、誰かに頭さげるなんざぁな。
当方からもよぉ、お頼み申し上げます。
どうか親父殿を許してやってくだせぇ!」
「ま、万治郎……お前まで…」
驚いた顔で息子を見る隣で、更に隣へ並ぶ者が現れる。
「侍頭という重責にありながら、主君に弓を引いた我も同罪なり。
これでは最早切腹も望めませぬ。
磔、打ち首、如何様な御処置も受け入れる所存!」
「紋七! お主は九鬼家の為、生きねばならぬ!
ここは当方が全ての罪を背負って死ぬべきなのだ!
全ては兼宗との縁談を大殿に薦めた当方が――」
「いい加減にしてくれ!
誰かが死ねば済むとか…そんな問題じゃないだろ!」
喧喧諤諤の水掛け論は延々と続き、次第に失血によって八兵衛さんの勢いが衰えたのを見計らった澄隆公の鶴の一声で、やっと議論は終着をみる事となった。
「まずは治療に専念してからでも遅くはない。
急ぎ、腕のよい薬師を呼べ!」
「大殿! まだ話は――な…なにをしておる!」
「ほらほら、じっとして。
すぐに治療薬を買いますから待っててください」
すっかり忘れていたが、俺は異世界では名うての薬師で通っていた。
こうして、西班牙村を舞台にした争乱は一応の治まりがついたのだった。
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