ゴえもんとの約束
「熊野の城だけでなく、近隣の港までもが敵の手に…。――父上!? 何処へ向かわれるのですか!」
想像以上に狭まっていた包囲網に絶句する初音を余所に、澄隆公は脇目も振らず走りだしていた。
紋付き袴という動きにくそうな服装からは考えられないスピードで高台を駆け降り、一直線に町の門を目す。
「許せぬ…! 兼宗を誑かして我が娘を亡き者にしようとしただけでなく、民にまで危害を加えようなどと断じて看過できぬ!」
先程までの穏やかな瞳に業火が宿る。
結局、初音が止めるもの聞かず、たった一人で真っ正面から切り込むだなんて、いくら鬼属が強くても無茶が過ぎるだろ!
「は、初音も…御供いたします!」
「よせ、戻ってこい!」
僅かに迷っていた初音も覚悟を決めた様子で駆け出し、止めようとした俺を振り切って澄隆公の後を追う。
こうなってしまっては策を練っている暇はない。
焦る俺の腕をゴえもんが掴む。
…正直、ゾッとした。
嫌悪感や潔癖性などではない。
彼の手が俺を掴んだ瞬間、生きている人間では有り得ない体温に驚き、思わず出そうになった悲鳴を飲み込んだ。
何故だ?
少し前、地下牢で彼を治療した時、確かに体温を感じた。
この短時間で、彼の身に何が起きたというのだ?
「…落ち着いてくだせぇ。
ここまでなら、予想の範疇でさぁ」
隈取りメイクに覆われた表情は至って普通。
その一方で、木綿の着物から露出した肌は青白く、生気というものを感じさせない血色に妙な胸騒ぎを覚えた。
「…アタシ様に抜かりはねェ。
忍者連中は鬼涙石を使って不意を突いたみてェだが、まさかテメェらが不意を突かれるなンて考えもしてなかっただろうぜ」
飯綱が指差す方向には煉瓦造りの倉庫群が点在しており、特に変わった点は見られない。
そう思われた矢先、複数の扉が一斉に開いたと同時に、見覚えのある服装の男達が勢いよく飛び出してくる!
「あれは――特攻服!?
しかも…先頭にいるのは――万治郎!」
かなり距離は離れているが、見間違えるはずがない。
ド派手な特攻服姿に自慢気なリーゼント、そして身の丈を遥かに越える木刀を軽々と振り回し、次々と敵を薙ぎ払う男なんて二人と居るもんか!
「もう片方のお連れも元気みてぇだ。
ああ、ギンレイ……また会えて嬉しいよ」
呟いたゴえもんの先には恐るべき俊足で敵の猛攻を掻い潜り、閃光と見紛う爪牙で槍衾を切り裂くタテガミギンロウの姿があった。
「ギンレイ、流石は我が弟ぞ!
一番槍は万治郎にくれてやるが、勲功第一位はワシのものじゃ!」
九鬼親子は鉄製の重厚な門に到達するや、息の合ったタイミングで強烈な蹴りを叩き込み、付近で警護する門番ごと吹き飛ばした。
町全体を揺らす程の振動と轟音が響き渡り、即座に異常を察知した兵士達と激しい乱闘を繰り広げる。
「俺もAwazonで応戦を――なんだよ、いつまで掴んでんだ!」
一刻を争う事態にも関わらず、ゴえもんの冷徹な眼差しは揺るぎなく俺を見据えている。
「旦那、さっきも言ったが予想の範疇はここまで。あっしも飯綱さんも、こっからは知らねぇ。だから……何が起きても、私か葦拿さんは最後まで初音を守る。ここで約束してください」
「そんなの当たり前――」
鋭く研ぎ澄まされた視線が雑事を払い、真に求めるべきただ一つの答えを問う。
彼が本当に聞きたいのは、創造物であるクローンが自らの意思で口にする覚悟なのだ。
だが既に、俺の答えは決まっていた。
「約束する。
最後の最後まで…初音を守る。
俺とアンタ、ついでに飯綱の三人でな!」
未来人達は一瞬だけ驚いた顔をした直後、まるで旧来の友人に向けるような温かい微笑みを向けてくれた。