天下の御成敗!
「薄汚い塵芥が! 慌てずとも、いずれは仲良く冥土へ送ってやるつもりだったというに」
…何も、聞こえない。
体から力が抜けて立ち上がる事も…。
「待たせた、次こそはお前の番じゃ」
三度高々と掲げられた刀は血で染まり、最後の時が迫っていたが抵抗する気力すら尽きているようだ。
「どうしたんだよ?
いつものお前らしくないな。
――2度も同じこと言わせんなよ?」
「…首が…喋っ!?」
床に転がる生首が饒舌に初音を気遣う。
思いもしなかった現象を目撃した男は動きを止め、高速で自分の身に迫る何かへの対応が遅れた。
爛々とした2つの輝きは宵闇に住まうフクロウを思わせ、穴蔵へと続く急な坂道を物ともせずに、爆音を響かせて一直線に駆け上がる。
「何事!? こ…この化物は…!!」
上手い具合に石で跳ね上がった車体は最高速度で知らん奴の顔面に突き刺さり、容赦なく岩壁までブッ飛ばした!
マジに誰なのか知らないけど初音に向かって刀を振り上げてるし、なんとな~くムカつくイケメン顔をしてたんでメッチャ爽快な気分を味わう。
…我ながらサイコパスっぽい思考かなぁ。
「最近思うんだが、バギーってこういう使い方をするのは良くないと思うんだよ。
なぁ、お前はどう思う?」
「あしな? …あ、あしなぁぁあああ!!」
初音の足元には石で作られたバラバラの地蔵が転がっている。
咄嗟の事とはいえ、ゴえもんの忍術で身代わりにしてしまったのが心苦しい。
それにしても、この野郎…躊躇いなく人(地蔵)の首を切り落としやがった!
これがもしも、俺のだったら――。
やっぱ轢き逃げしといて正解だろ。
「この…虫けらがぁ!!
こうなったら残らず殺して…」
昏倒している男の隣で鬼女が息巻く。
ちょうど良いや。
初対面なのに気絶させられたツケ、ここでキッチリ払ってもらうぜ!
「そこまで。
もう……よいであろう? 兼宗よ」
いつの間に…。
そこには初音の父である九鬼 澄隆公が、酷く沈んだ目で鬼女を見つめていた。
「馬鹿が! 二度も騙されるものか!
鬼封じの縄で何重にも拘束したのだ。
どうやっても動けるはずがない!
これも幻の類いであろう!?」
「ざ~んねん。あっしの術は触った物、見た事がある物しか作れねぇんでさぁ」
兼宗は拳を振り上げて鬼属としての全力を叩き込もうとするが、澄隆は残像が残る程の速さで回避すると、まるで慈しむように相手の胸元へ手を添えた。
その瞬間、兼宗の体は目の前から消え失せ、背後の分厚い岩壁を知覚できない速度で丸々ブチ抜き、そのまま遥か遠く夜の海へと吹き飛ばしてしまった。
――たった今、何が起きたのか全く理解できなかったが、俺達はその圧倒的な力を前に呆然と立ち尽くす。
「…………」
しかし、騒動の元凶を倒したというのに、澄隆公の視線は暗い海に注がれたまま動かず、無言で心痛に耐えているように思えた。
そんな中、ただ一人ゴえもんだけが饒舌に話し掛ける。
「へへへ、あっしの術はどうでしたかい?
これで貸し借りは無しですぜ?
澄隆の旦那ぁ」
「…よくやってくれた。大義である。
二度に及ぶ忍びの襲来に備えてくれたな。
娘の発見報告が遅れた事は多めにみようぞ」
ゴえもんはバツが悪そう顔をしかめる。
襲来? 二度とはいつの事を言ってるんだ?
さっき千代女に襲われたけど、その前にもゴえもんが控えていたというのか?
もしかして、賓日館でギンレイが天井に向かって吠えていたのは…?
そんな事を考えていると、初音が覚束ない足取りで俺の元へ寄り添い、吸い寄せられるようにして顔を埋める。
「あしな……良かった…。
てっきり死んだものかと…うぅ……あぁ…」
「初音……初…ね……ばずねぇぇええ!!
内臓が! アバラが! 背骨がぁああ!!」
初音は安堵のあまり力が入り過ぎたのか、加減抜きで胴体を抱き締めると俺の意識はみる間に薄れていく。
「あらら、こりゃ酷ぇや。
そこの甲賀者は――逃げたか…。
相も変わらず、見事な手際だねぇ」
「あしな!? すまん!
つい力が入ってしもうたのじゃ~!」
こうして主人公不在のまま、伊勢の国崩し事件は幕を閉じた――かに思われた。