睨み合う強者
「ほんとうに…ほんとうに…ほんとうにほんとうにほんとうに……会いたかったぁ……」
訂正する。
背筋が凍りつくなんてもんじゃない。
こいつと対面する位なら、北極の氷の上で背泳ぎだってやってやる。喜んでな!
「やぁ、怪我は大丈夫なのか?
多分、昨日だったよな? 事故ったのは…」
皮肉まじりに少しでも時間を稼ぐ為の会話…だったのだが、これが完全な裏目に出た。
千代女は体調を気に掛けてもらえたとでも思ったのか、両手を頬に当てて身体をくねらせる。
「あぁ…声を掛けて…もらえた…幸せ……。
大…丈夫…まだ右腕は…折れたままよ……」
駄目だ!
コイツとは普通の会話が成立するビジョンがまるで見えない!
兎に角、兎に角! 時間を稼がなくては!
直ぐにでも爆発に気付いた警備兵が大挙して駆けつけて来るはずだ。
それまでは何とかして耐えなくてはッ!
「…来ません…」
相手にも聞こえたのではと思える鼓動。
来ない? 来ないとはどういう意味だ?
「邪魔……されたくない…から……殆んどの…鬼には…寝て……もらいまし…た……」
液体の入った小瓶を床に落とす千代女。
先手を打たれた…。
そうだ、コイツなら絶対にそうする。
賓日館の時もそうだった……畜生!
Awazonで何かを買おうにも、『ちょっと待って』が通じるような相手じゃない!
「うふふ…これで…始まりの時まで…2人っき――」
ここで初めて千代女が足を止めた。
視線の先には…。
「おやおや、随分とお熱なようで。
でも、ちょいと無作法が過ぎやしませんかい? もう少し慎み深くやらないとねぇ。男ってぇのは、そういうトコで萎えちまう生き物なんでさぁ」
「……………………誰?」
空気が一変した!
冗談や誇張抜きで張り詰めた雰囲気が目に見えて色を変え、明確な殺意を帯びてゴえもんへ一身に注がれる。
俺は膝の震えを止めるのが精一杯だ…。
「あっしですかい?
そんなこたぁど~だってイイざんしょ?
ほ~ら、これが証拠でさぁ」
いつの間にゴえもんの手にクナイが!?
さっきまで間違いなく丸腰だったのに、今は4本ものクナイをジャグリングのように操っている。
対する千代女の腰には数本の刃物が下げられており、その内4本が空の鞘という事は…。
「う、嘘だろ…」
俺には千代女がクナイを投げた動きなど全く見えなかったのに、ゴえもんは察知しただけでなく、全てキャッチしたというのか!?
こんなの、俺が出る幕なんて…。
ゆっくり後ずさろうとした俺に、ゴえもんが鋭い視線を飛ばす。
『下手に動くな』
明確な意思を受け取った俺は蛇に睨まれたカエルみたいに、その場に留まるしかなかった。
「…貴方…邪魔ね……とっても……!」
これまで殆ど感情を見せた事のない千代女が、明らかな動機を持った瞬間なのだろう。
神奈備の杜以来の明確な殺意を滾らせ、敵と認めたゴえもんとの間合いをジリジリと詰めていく。
やっぱり、コイツを撃退できたのは俺への油断と、類い稀な幸運に他ならなかったんだ…。
2人の間に生まれた明確な闘争の気配に足が竦み、割って入るなど到底不可能に思えた。