晴れやかに、空へ
「お江さん…その、お申し出は嬉しいのですが、このままだと貴方達にご迷惑が…」
彼女達が何をしようとしているのかが分かる一方、巻き込みたくない一心で精一杯の気遣いを見せるが、そんな事はお構いなしに宿の裏口へと引っ張られてしまう。
「初音ちゃん、私達のことは心配しないで!
2人の事情はもう知ってるの…あれからずっと考えてて、どうしようか考えて…。
だから、せめてこれ位は任せてよ!
だって――初音ちゃんは私のお姉ちゃんなんだもの!」
「お、お鈴……初めてワシを…お姉ちゃんと…」
お鈴ちゃん…。
気丈に話してはいるが、桜色の着物から見える足は震えている。
それでも自分を奮い立たせる為に、小さな拳を握って俺達に協力しようとしてくれているのか…。
「お鈴よ、気持ちは嬉しいがワシが…」
言いかけた所でお藍さんが初音の口を塞ぐように抱きしめる。
その光景は本当の母親と見紛う姿であった。
「それ以上はダメよ?
女はもっと素直に生きないと、どこかの誰かみたいに泣いてばかりになるんだから」
俺の腕を掴んだままのお江さんの顔が、にわかに紅潮するのを見て、どうしようもなく愛しい気持ちが沸き起こる。
「は…母う…ぇ……」
つば広帽に隠れてはいるが初音の頬を一筋の涙が伝っていく。
僅かな間ではあったが母の温もりを受け取るように、手を重ね合わせて最後の別れを告げた。
「すまぬ、だがワシらは必ず帰ってくるぞ!
この恩義は決して忘れぬ、約束じゃ!」
「さぁ! 裏口へ急ぐよ!」
お江さんが手を引いて向かった先は、宿の裏側から川沿いの道へと続いており、通りからは死角になって見えないようだ。
「早く行って!」
そう言うと同時に宿へ鬼属の一団が押し入り、一斉に家捜しを始める。
方々から物が壊れる音や悲鳴が上がり、思わず引き返してしまいそうになったが、お江さんの強い瞳がそれを許さなかった。
ここで立ち止まれたなら、どれだけ心が軽くなっただろう…。
俺達は後ろ髪を引かれる思いで森田屋を出た直後、背後の表通りから鬼属達の怒声が響く。
「なんだ!? この犬め!
我等の邪魔をするか!」
「ギンレイ!? あしな! ギンレイが…」
いつの間にか初音の背負っていたキャリーリュックの口が開いており、外へ出たギンレイのけたたましい吠え声が聞こえてくる。
野生の狼は窮地に陥った仲間の為に、自身の危険を顧みず戦うと聞いた事があるが、今まさに俺達を逃がそうと戦いを決意したのだ!
「もう戻れない…!
ギンレイを信じて走れ!」
初音の手を取って川沿いを走っていくと、遂に裏口が見つかってしまったのか、後方からお江さんの威勢の良い声が響く。
「なんだい、ここは関係者以外は立ち入り禁止さ!
いくら領主様の使いでも容赦しないよ!」
「女! そこを退かんか!」
宿から激しく抵抗する物音を耳にした瞬間、今すぐ戻りたい衝動に駆られ、足を止めてしまう。
だが、不意に発せられた勇猛な声が、折れそうだった心を鼓舞する。
「そのまんま振り返らず行ってくだせぇ!
ここは伊勢の伊達男、万治郎が引き受けた!」
「万治郎! お前まで…」
天を衝く巨大木刀を携え、裏通りの真ん中で仁王立ちする万治郎は全身に気合いを漲らせ、誰であろうと一歩も通さないという決起をもって臨戦態勢を整えていた。
鬼属はお江さんを裏通りへ突き飛ばすと、宿の壁を力任せに破って次々と姿を現す。
代官が俺達を視界に捉えた一瞬の隙を突き、万治郎は態勢の整わぬ彼ら目掛け、唸りを上げて渾身の一撃を炸裂させる!
「き、貴ィ様ァァアア!」
代官を始めとした数名の兵士は出会い頭に強烈な先制攻撃をモロに受け、五十鈴川を越えて神宮の森まで吹き飛ばされてしまった。
「はっはー! ざまぁ!!」
恐るべき腕力で鬼の一団を退けたのも束の間、即座に別の兵士達が周囲を取り囲み、赤鬼の如く顔を真っ赤に紅潮させて罵声を浴びせるが、万治郎はどこ吹く風といった態度で迎え撃つ。
「ただの人間風情が!
我等に逆らって五体満足で済――ぶぅげ!」
振り上げた大得物が容赦なく兵士を叩き潰し、圧倒的なフィジカルを有する鬼を相手に、人の範疇を外れた暴力で徹底抗戦を示す。
「聞こえねぇなぁ。お前ら本当に鬼属か?
これなら親父殿の方がよっぽど強ぇぜ!」
鬼属の面子を丸潰れにされた兵士は怒り心頭で襲い掛かり、俺達を放って万治郎と大乱闘を開始した。
「行けッ! 行けえええ!!」
軒を連ねる民家を粉砕する程の戦いに目を見張っていた俺の手を、不意に誰かが掴んで引いていく。
「兄さん! 愚連隊が外までご案内します!」
「三平太!? ……すまない、頼む!」
細い路地裏を通って裏道を抜け、町の門を目指して走る。
町の様子はどこも騒然としており、途中の路地から絶え間なく鬼属の兵士が現れるたびに、愚連隊が体を張って時間を稼いでくれた。
数十人いた愚連隊はいつしか三平太ひとりを残すのみとなり、遂に門へ辿り着いた俺達の前に、強固なバリケードと100名近い兵士を従えた武将が立ち塞ぐ。
「貴様ら、この門は姫様の捜索が済むまで封鎖すると通告しただろう! 実に怪しい……何か知っておるやもしれん。此奴を引っ捕らえよ!」
迫り来る一団。
バギーで強行突破しようにも、蟻の這い出る隙間もない。
「あしなよ、ここまでじゃ…」
観念した初音が帽子を脱ごうとした直後、背後から調子のよい声が届く。
「ここはあっしらが引き受けますよ、ヤッシャセッ!!」
声の方向を見ると町の住人が総出で集まっている!
どこから話を聞き付けたのか、俺達が走り抜けた脇道から一帯を埋め尽くす程の人達が進路を封鎖する形で間に割り込む。
「なんだ!? 貴様ら、どういうつもりだ!」
「ヒャッハー! ヤッシャセッ!!
本日の宿はお決まりですかい!?」
「うわーい! 鬼属さまだ! カッコいい!」
「是非! おいどんと相撲を取って頂きたい!」
「良い酒はいってますよ!
いかがっすか!?」
もう脇道どころか家の屋根からも、続々と人が現れては鬼属の一団に飛び掛かっていく。
あっと言う間に集まった黒山の人だかりによって、鬼の力でも身動きが取れずに飲み込まれ、終いには門の外へ押し出されてしまったようだ。
「今の内に、何処へなりとも行っちまえ」
「まさかアンタに助けられるとはな…」
集団を統率していたのは町役人だった。
俺は深々と頭を下げると、彼は煙管を吹かして笑い飛ばす。
「厄介者が出ていってくれりゃあ仕事が楽になるってもんさ。行けよ、行って……帰ってこい」
この町の人達には感謝してもしきれない。
涙が溢れそうになるのを堪え、スマホからバギーを呼び出すと門の間をすり抜けて振り返る。
「あしな! 絶対に、ここに帰ってくるぞ!」
確かに、ようやく帰りたいと思える場所に巡り会えた気分だ。
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