迫る追手
「困ったのう、お鈴~どこなんじゃ~?」
初音は朝からお鈴ちゃんに呼び掛けているが全く姿が見えず、無為に浪費される時間に身を焼かれる思いを噛み締めていた。
このまま別れも告げずに森田屋を後にするのでは、そう考えてしまうたびに居ても立ってもいられず、町中を探している。
そして、疑惑の目を向けられている飯綱は宿の仲居にすら行き先を告げず、未だ姿をくらませたままだ。
「俺は…どうするべきか…」
森田屋の人達に真相を伏せたままにするのか?
あれからお江さんまで姿が見えず、もう別れの言葉すら伝えられないかもしれない。
どうするべきなのか、自分の事なのに思考は絡まる糸のように乱れ、全くまとまる気配をみせない。
そもそも俺は家出少女の初音を説き伏せて、異世界の有力者である鬼属に保護されるのを目的にしていた。
だけど、昨日の女…千代女は目的の為なら人の命を奪う事すら厭わない。
そんな奴と関わる連中に、頭を下げて『助けてください』なんて絶対に言いたくないし、素直に保護してくれるとは思えない。
初音が余りにも天然というか邪気のない性格をしていたので、その親とも良好な関係を築けるかもと思っていたのだが…。
「随分とお悩みのご様子ですね。
何か…お話だけでも聞かせてください」
背後から掛けられた凛とした声に振り向くと、そこには曇りがちな表情のお藍さんが立っていた。
「え…あの、先程は申し訳ありませんでした。折角の御厚意なのに…」
謝罪の言葉を口にすると同時に、改めてこの世界で出会う事ができた人達を守りたいという気持ちが沸き起こる。
お藍さんは俺と同い年とは思えない程の包容力を持ち、短い時間ではあったが彼女との会話で少しだけ、心の奥底にあった罪悪感が軽くなったように思う。
しばらくして戻ってきた初音はいつもの元気が嘘のように消沈しており、お鈴ちゃんの存在がどれだけ大きかったのかが察せられた。
「名残惜しいけど、そろそろ…な」
森田屋のお世話になって以来、初音の口からどれだけお鈴ちゃんの話題を耳にしただろうか。
元気娘が落ち込む姿を見て、いつもより少し気を使ってしまう。
俺はガマ口から白いつば広帽子を取り出すと、今にも泣き出しそうな顔の初音に手渡した。
「ほら、お気に入りだったろ?」
「これは…失くしてしもうたと思っておったが……そうか、そうじゃな…」
がらんとした客室は空蝉を拾い上げた時のような、奇妙な寂しさで俺達を見送っている。
今日までの宿台を和紙に包んでちゃぶ台の上に置いたのは、お藍さんを始めとした森田屋の人達は代金を受け取ってくれないだろうと考えたからだ。
彼女達が喜ぶとは思えないけど…。
「さぁて、行きますか」
人目を避けながら宿を出ようとしたが、通りが妙に騒がしい。
嫌な予感がしたので入り口からそっと覗き見ると、向こうの方から馬に騎乗した代官みたいな奴を筆頭に、物々しい雰囲気の一団がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「なんだ? 初めて見るぞ……誰なんだ?」
集団を率いていると思われる男が、野太い声を張り上げて通りの人達を立ち退かせる。
「どけぇえい!
我等は伊勢國の領主 九鬼 澄隆様の使いである! ここに初音姫様がいらっしゃるとの証言が得られた。
隠し立てする者は何人たりとも許さぬ!」
そう怒鳴り付けると通行人を強引に押し退けて宿に迫ってくる!
「マズイ…どうするのじゃ?」
見れば集団の男達は全員が頭に角を生やしている。
つまり、鬼属の兵士。
戦っても絶対に勝てないのは明白!
そうこうしている間にも一団はどんどん迫ってきており、森田屋の人達も外の異様な騒動に気付いたのか、仲居さん達の間にも野火の如く動揺が広がっていく。
本当にマズイ…。
このままでは宿の人達に迷惑が!
「若旦那さん、こっちだよ!」
背後から掛けられた声に振り返ると、そこにはお江さんとお藍さん、それにお鈴ちゃんまで緊張に満ちた表情で俺の腕を掴んでいた。