俺は異世界の釣りキチあしな!
「それじゃ出掛けてくるから。
お前はホームで大人しく待ってろよ」
足元にまとわりついて離れない狼をどうにか引き離し、トートバッグを片手に今日も食料調達に勤しむ。
空を見上げると切れ長の雲が風に吹かれ、東の方向へと流されていた。
俺の予想が正しければ、恐らく夕方には一雨降るだろう。
「それまでに帰ってこないと……最悪、ホームに戻れなくなるかもしれん」
なにせホームと呼んでいる岩の裂け目は川の近くにあり、降雨によって川が氾濫した場合、渡河できずに取り残される可能性がある。
そうなってしまう前にホームに戻らなくてはならない。
「今回は遠出しない方が無難だな。
少し上流を攻めてみよう」
道に迷う心配のない川沿いを移動しつつ、野生動物に注意しながら歩を進めた。
相変わらず手付かずの自然が視界一杯に広がり、川の両岸を埋める森林からは様々な鳥の囀りが聞こえてくる。
もしも、遭難という状況でなければ…最高のピクニックと言って良い。
空を覆いつつある雲のお陰で日差しが遮られ、水面を滑る風が運んでくる冷気が火照った体を包み込む。
全くもって行動するには最適な環境だ。
そのまま1時間ほど歩いた所で、急に川幅が広がった場所に突き当たる。
ホームの前を流れる狭くて速い川とは全く違う、いわゆる瀞場だ。
周りの景観も驚くほど静かで、緩やかな流れと結構な水深を備えているようだった。
「物は試し。ちょいと流してみよう」
近くの林に分け入り、数匹の蜘蛛やバッタを見つけて確保する。
更に適当な竹を切り出し、バッグに入れておいた釣糸と針を取り付け、即席の釣竿を完成させて準備を整えた。
わざわざ釣竿を持ってこなかった理由は、この方法なら移動にも困らず、竿を紛失したとしても容易にリカバリーが効く為。
俺は手頃な岩に腰掛け、水流に任せて餌を運ぶ。
針に掛けられた虫は滑るように水面を流れ、ジタバタともがく絶好のアピールで獲物を誘う。
しばらくすると周囲よりも水が停滞している場所に流れ着き、水面に僅かな波紋を広げていく。
「藻や漂流物が多く流れ着いてる。
うまい具合に湾処に入ったな」
湾処とは川の流れが穏やかな部分であり、水棲生物の住み処であると同時に、様々な魚種の産卵場所でもある。
つまり、川で釣りをする上で絶好のポイントなのだ。
じっと針先を見つめていると次第に波紋が大きくなっていき、餌である虫が小さく浮き沈みを繰り返す。
この駆け引きが釣り人にとって堪らない瞬間だ!
人と魚との知恵比べであり、我慢比べの勝負。
「まだだ…まだ……まだ………ここッ!」
餌が大きく沈んでから一瞬の間、人と魚が交差する接点を嗅ぎ分けてフッキング!
完璧なタイミングで針が食い込み、竿を通してダイレクトに伝わる確かな手応え!
「いいねぇ、これが釣りの醍醐味だよ」
静まり返った水面を力強く弾き、姿を現したのはマダライワナとは別種の魚。
丸々と太った体長40cmの大物だ!
「どれどれ、『異世界の歩き方』に書かれてる名前は……マブナフナ。 生息域は極めて広く、灰褐色の逞しい魚体と――目蓋を持ってるだと!?」
そんな魚が河川に存在するのか?
釣り上げた獲物を目の前にぶら下げると、愛らしい瞳が熱烈なウィンクで俺を睨みつけていた。