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旅立ちの前夜

「貴方様のお陰で九死に一生を得る事が叶いました。私共《わたくしども》一同、改めて厚く御恩礼《ごおんれい》申し上げます」

　森田屋の女将や中居さんが全員揃って平伏する姿は壮観、と言うよりも俺にとっては針の筵《むしろ》も同然だった。

　だってそうだろう？

　俺がやった事と言えばAwazonで薬を買って渡しただけなんだから。

　そこには何の努力も存在しておらず、強いて言うなら未だ謎のままであるAwazonの技術と、薬を開発してくれた人達に贈られるべき謝辞《しゃじ》。

　そんな物が受け取れるはずもなく、まるで他人の手柄を横取りしたような、後味の悪さを噛み締めていた。

「葦拿《あしな》様のご都合さえ宜しければ、末長く森田屋に滞在して頂きたく存じ上げます。

　勿論、御代は結構です。…私の姉も貴方様の滞在を強く望んでおります故《ゆえ》」

　急に話を振られたお江さんは平伏したままで、首筋から耳まで紅潮させているのがハッキリと分かった。

　…言葉に出来ない心苦しさ。

　この人達の信頼や好意が深ければ深い程、今から言わなければならない言葉が重くのし掛かる。

「…身に余る御提案を頂き恐縮の至り。

　ですが、私達は一度国元へ帰ろうと思います。折角のお誘いを無下にしてしまい、申し訳ございません」

　水を打ったよう静まり返る人々。

　皆が驚愕と疑問に駆られ、理解できないといった表情で奇異の視線を向ける。

　それだけなら我慢できる。

　しかし、突然の告白に耐え切れず、涙を流して立ち去ってしまったお江さんの姿を見ると――正直、心が折れそうになった。

　今は――耐える時。

「すまない、あしな…。

　辛い役目を背負わせてしまったのう…」

　珍しく改まった態度を見せる初音。

　森田屋の人達を不測の事態に巻き込まない為とはいえ、『仕方がない』の一言で済ませるには……重い。

「…明日の朝食後、ここを発とう。

　お鈴ちゃんに最後の挨拶をしておきなよ」

「……分かっておる…」

　仕方がなかった。

　こうするしかなかった。

　――全てが手前勝手《てまえがって》な都合に思えてしまう。

　どれだけ言葉を重ねようとも、お江さんや森田屋の人達の厚意を反故《ほご》にしてしまったという事実は覆《くつがえ》せない。

「はぁ～～……」

　がっくりと項垂《うなだ》れたまま、スマホに目を落とすとAwazonの通知欄が目につく。

　ここにきて一気にポイントが貯まったのは嬉しい一方、特に人命に関わる事が多かったように思える。

　お藍さんや八兵衛さんとの戦いは、一つでも選択を違《たが》えれば万が一の事態に発展する可能性もあり得た。

　いや、実際には女媧《ジョカ》様が身を挺《てい》してくれたから、俺達は寸《すん》でのところで命を救われたのだ。

　クノイチの一件だけを考えても、ヒメユリトウロウの猛毒を受けたり、拳銃で撃たれたりした事は、いま思い返しても常軌《じょうき》を逸《いっ》しており、本当に俺以外の誰かが死んでいても全く不思議ではない。

「こんな生活が…いつまで続くんだ？」

　このまま初音と一緒に居れば、俺も巻き込まれていくのは必至。

　どうするべきなのか、真剣に考えなければならない時がきたようだ…。

「準備だけは…しておくべきだろうな――」

　￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣