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物語は人知れず水面下で――

 程なくして森田屋に到着した俺達を、笑顔のお江さんが出迎えてくれた。

 本当に、心から帰ってこれたのだと実感した瞬間に、涙が溢れそうになるのを必死にこらえる。


「あの…た、ただいま戻りました」


 それだけ伝えるのが精一杯。

 初音も同じ気持ちなのか、背中からギンレイを降ろすふりをして涙を流していた。


「あら、遅かったじゃないのさ若旦那さん。

 今日の夕食も御馳走を用意したから、たんと食べていってね」


 お江さんの明るい声を聞くとほっとする。

 だが、彼女が何気なく口にした次の言葉に、俺達の安堵はもろくも崩れ去ってしまう。


「あぁ、そうそう。若旦那さんが留守中に、黒髪で赤い差し色のすっごい美人さんが訪ねてきたのよ!

 一体どこで知り合ったんだい?

 若旦那さんも隅に置けないねぇ!」


 ――言葉では表現できない…。

 恐怖、後悔、怒り、悲嘆。

 それらがぜのグチャグチャになって、真っ暗な穴の淵に突き落とされるような――。


「そ、そうか…。ご苦労であった」


 初音が代わりに礼を述べてくれなかったら、俺は足腰も立たずに泣き崩れていたかもしれない。

 俺達が町に滞在しているのは遠からず発覚すると思ってはいた。

 資金調達や爆走劇レース、それに一連の盗賊退治では派手に立ち回ったので、バレるのは時間の問題だっただろう。

 しかし、いざ実際に千代女ちよめが森田屋を訪れ、お江さんを始めとした関係者に接触したと聞いて、俺は自分の認識が甘かったのだと痛感したのだ。


「万治郎ちゃんが部屋で待ってるわ。

 あの子ったら、少し見ない内に随分と落ち着いてねぇ。これも若旦那さんのお陰かしら」


「いえ……そんな大したことは…」


 曖昧な返事をした後に、形ばかりのお礼を言うと無言で初音と顔を見合わせる。


「あしなよ、どうするのじゃ?」


「ここだとマズい、部屋で話そう」


 宿は普段と変わらず喧騒と騒乱の極みといった具合に人混みで溢れ、誰が怪しいのか、あの女が紛れているのかも判然としない。

 なるべく人目を避けるように宿の入り口から移動し、誰も尾行していないのを確認して重い足取りで二階へと向かう。

 森田屋の人達を巻き込んでしまうかもしれないという自責の念が、ますます重いかせとなって足にまとわりつく。

 ふすまを開けた先には万治郎が座っており、渋い顔で愚連隊の面々と話をしていた。


「アニキ! ご無事で何よりです」


「ああ、お前も愚連隊もな」


 お江さんの言った通り、万治郎は一目しただけで見違えるほど落ち着いており、ヤンキー然としたやんちゃ小僧から一皮剥けた、集団をまとめるリーダーとしての風格を備えつつあった。


「おう、三平太もご苦労だった。

 当方はこれからアニキ達と話がある。

 今日の会合はこれで仕舞いだが、町の警戒だけは怠るんじゃねぇぞ」 


 万治郎はそう言って愚連隊を下がらせた。

 彼の成長を実感できて俺も素直に嬉しい。


「町で起きている事件や、森田屋を訪ねてきた女の話は聞いた。こっちも収穫があったから詳しい内容を擦り合わせよう」


「その様子だと親父殿は見つかってねぇって感じっすね。それで、肝心の盗人ぬすっとは捕まえたんで?」


「すまぬ、もう少しのところで賊を逃してしもうた。狙われておった石は無事じゃ」


 八兵衛さんの件は空振りに終わったと聞いた万治郎は落胆した様子もなく、淡々と事実を受け入れていた。

 しかし、宿を訪れた女が八兵衛さんを操っている者だと知ると、静かに怒りを爆発させる。


「あの女! やっぱ怪しいとにらんでた当方の勘に間違いはなかったみてぇだな!」


 万治郎は愚連隊と共に女の行方を追ったのだが、数十名にも及ぶ包囲網に引っ掛からず、煙のように姿を消してしまったらしい。

 二度も衝突した俺は、アイツならそれくらい簡単にやってのけるだろうと妙に納得した。


「時系列で考えると宿に現れた日の夜に二見興玉ふたみおきたま神社を襲ったんだろう。神宮が盗難に遭ったのはいつだ?」


「当方達が町を出た翌日です。

 それと……まだ確信がねぇんだが――」


 万治郎にしては珍しく言いよどむ。

 口にした言葉を最後まで出すべきか、かなり迷った末に覚悟を決めた表情で報告した。


「まだ何も確信はねぇが当方達が町を出た直後、飯綱いずなが西へ向かって飛び立つ姿が目撃されてます。その後、宿には戻ってねぇらしく…」


 言われてみれば――飯綱いずなはどこにいる?

 関宿から帰る最中さなか、彼女は『用がある』と言い残して別行動を取ったそうだ。


「そうなるとワシらが宿にらぬ間、飯綱いずなも殆ど不在だったというのか?」


 不気味な沈黙。

 不明だった彼女が、どうして関宿で都合よく姿を現したのか。

 ずっと疑問だった事柄と立て続けに起こる事件が、胸中に不穏な疑念を芽吹かせていく。

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