クノイチが逃げ込んだ先
「……いいわ……素敵よ!」
足を止めたクノイチ目掛け、大砲じみた威力の拳が遂に直撃した!
その瞬間、地面の砂埃が一斉に舞い上がった為に視界がきかなくなり、一時的に状況が掴めなくなってしまう。
「どうなった!
アイツは…クノイチを倒せたのか!?」
「分からぬ。徐々に砂煙が晴れて――これは!」
クノイチが居た場所には古びた枕木だけが残され、奴の姿はどこにもない!
隠れようにも僅かな起伏すらなく、本当に煙のように消えてしまったのだ。
そう思われた矢先、ギンレイがしきりに地面の匂いを嗅ぎ、何かを伝えようと懸命に吠えている。
「血の跡……門の外に続いてる!」
「でかしたぞ、ギンレイ!」
点々とした血痕は門を出た通りまで続き、相応のダメージを与えていたらしい。
奴には八兵衛さんの洗脳に加え、各地の鬼涙石を盗む理由を問い詰める必要がある。
俺達は全員一致でクノイチを追って走り出す。
「彼奴には借りがあるんじゃ。
途轍もなく大きな借りがのう!」
忠臣を失った悲しみが初音を駆り立て、ここぞという時に発揮されていた判断力を奪っていく。
俺はいつになく熱くなっている初音を見て、胸中の懸念を口にせずにはいられなかった。
「気負うんじゃないぞ。
危なくなったら逃げる、それでい――」
「分かっておる……元よりそのつもりじゃ!」
やはり、かなり冷静さを欠いている。
俺は初音と長く付き合う内に声のトーンや会話の呼吸から、表面的な心理を読み取れるようになっていた。
いつもの彼女なら、相手の話を途中で切ってしまうような事はしない。
年寄りみたいな口調に時折、垣間見せる幼い容姿に見合わぬ思慮深さ。
だけど、やっぱり子供っぽくて――それが初音という人物なんだ。
「今度こそ…皆を守ってみせる!」
固い決意を口にしたものの、場合によっては八兵衛さんと衝突した時の二の舞も十分にあり得る状況で、俺は彼女とギンレイを守り通せるだろうか?
「通りの先にいたぞ!
足を引きずって…どこかの建物に入った!」
海岸に沿って植えられた松林と砂浜のコントラストが美しく、月の光を受けて宝石のように輝く渚が華を添える。
その建造物はこれまでに見てきた老舗旅館や神社とは明らかに違う、門構えから別格とも言える格式の高さが漂っていた。
「あしな、この建物は…?」
「ここは確か賓日館とかいう…」
聞き込みで得た情報によると、どうやら止ん事なき一族の別邸だったが、今はその威光を伝える資料館との事。
昼間は門が開いているので誰でも中を見れるのだが、追い詰められたクノイチは入口の鍵を壊して逃げ込んだようだ。
「面白い、ここを彼奴の墓場としてくれるわ!」
「…………」
奴を追って門から建物の全容を目にしようとするが、驚いた事に大き過ぎて視界に収まらない。
館はいくつかのエリアに分かれているようで、正面から見据えただけでは中の様子は勿論、全体がどれ位の大きさなのかも測りかねる程だ。
「でっかぁ……」
思わず素直な感想が口をつくが、入ってみると想像を超える光景に絶句してしまう。
そこには古今東西の贅を尽くした調度品の数々が立ち並び、窓から差す月明かりは繊細な計算によって導かれ、豊かな彩りとなって室内に溢れだす造形の美を生む。
どこを見ても息を飲む空間が広がり、清廉な空気をまとい舞い踊るホコリすら、微細な輝きを帯びた舞台演出のように感じる。
「これは…凄いのぅ。
ワシのいた武骨な城屋敷でも遠く及ばん」
自分の家とここを比べられるだけでもスゴイと思うが…。
それにしても広い、広過ぎる。
これだけ広いと逆に不便なんじゃないかとさえ思えてくる。
「あしな、奴は2階へ向かったようじゃぞ」
丈夫な階段に突き当たって進むと、小さなカエルの置物が俺達を迎えた。
2階は仕切られた大きな和室を備え、ここから外の通りと海が見渡せる絶好のビューポイントだ。
だが、賓日館のメインはここではなかった。
秀麗において特筆すべき粋を集めた最大の見所は、通路を進んだ先で静かに、その時を待つ。