初音の息抜き
万治郎達と別れた後、バギーは快音を響かせて南東にある二見興玉神社を目指す。
「心苦しいが関宿の再建は後回しじゃ。
妙な胸騒ぎがするのでのう」
「二見って伊勢の隣だよな?
急げば昼前に到着できそうだ」
鮮血を想起させる鬼涙石のせいなのか、俺の胸中にも嫌な予感は確かに芽生えつつあった。
加えて、神職である巫女の口から出た懸念ともなれば、一概に杞憂と楽観視するのは軽率すぎるだろう。
駆り立てられる焦りを抑え、街道沿いの長閑な道を軽快に飛ばす。
「これまで特に考えた事もなかったが、こうして此処彼処で人々の生活に触れるというのは大切なのじゃ。事あるごとに民の声に耳を傾けた父上の行いは、誠に正しかったのう…」
「ああ、言うほど簡単な事じゃないだろうな」
初音はしみじみとした口調で過去を振り返り、為政者である父の行いを称賛する。
万治郎もそうだったけど、最近は初音の心情にも変化が見られるようになっていた。
出会ったばかりの頃は良家の一人娘という重圧に耐えられず、こっそりと抜け出して家出してしまう御転婆だったのに、いつの間にか見違える程の成長を遂げていたようだ。
「近々、家に帰ろうかのう。
あと2年くらいしたら」
「コイツ全っ然、成長してなかったわ」
上がった評価は秒で暴落してしまい、感心してしまった事実を忘れようと先を急ぐ。
時折すれ違う旅人や田畑の世話をする人達は、バギーを見ると驚いた表情を浮かべ、指を差したり手を振る仕草で見送ってくれた。
見た事のない乗り物に珍しい洋装、更には犬まで背負っているのだから当然かもしれない。
このバギー、移動は便利なのだが如何せん目立ち過ぎるのが難点か。
「でもドライブは楽しいのう。
こう…ビューンと、鳥になった気分じゃ」
梅雨入り前の晴れ間は清々しい陽気に恵まれ、絶好のドライブ日和と言えた。
正面から受け止める初夏の風も実に気分が良く、近くを流れる川では子供達が水遊びを楽しむ光景と歓声が聞こえてくる。
「……あしなよ」
「妙な胸騒ぎはどこへいった?
着替えがないからダメです」
振り返らなくても初音の頬が不満を示すように、プクプクと膨らんでいるのが手に取るように分かる。
コイツなら『これだけ暑いなら服などすぐ乾く』とか言って、服のまま川に飛び込んでも不思議ではない。
既に近づきつつある潮風の匂いを嗅ぎとったのか、ギンレイが背中越しに嬉しそうな遠吠えを挙げると、目の前には広大な伊勢湾が手を広げ、俺達の到着を待ち望んでいるかのような光景が姿を現す。
「海じゃ! 海、海、海~♪」
初音はバギーが停車するや、一目散に浜辺を目指して駆け出す。
拘束から解放されたギンレイも、初めて見るであろう海に興奮しているようだ。
「服のまま海に入るんじゃないぞ~。
あいつ聞こえてんのかな…」
初音は町を歩く事すら許されなかった程の超箱入り娘。
当然、海になど入った経験はないはず、だからこそテンションを上げ過ぎて溺れたりでもしたら大変だ。
俺も急いで浜辺へと走り寄ろうとしたが、初音は砂煙を巻き上げて戻ってきた。
「あしな! 皆が海に入っておる!
ワシも、ワシも入りたい入りたい!」
この時代でも海水浴の習慣があるのか。
そんな思いで浜辺へ到着すると、白装束に身を包んだ人達が静かな祈りを捧げているのを目にする。
「初音さん?」
「いや、よく見るのじゃ楽しそうじゃろ?」
どんな神経してんだ…。
そこに集まった人は伊勢神宮への参拝前に穢れを祓う為、禊を行っているのだろう。
俺達が神宮での参拝前に五十鈴川で手を洗っていたのと同じだ。
「さっき川遊びを我慢したじゃろ?
こういう時にこそ、Awazonでな――言いたい事は分かるじゃろ?」
初音さんが良くない知恵をつけ始めている。
それは由々しき事態以外の何物でもなく、じきにマリオとかゼルダといったお財布に優しくない単語を口にするのは明白。
だからと言って無下に断れば、鬼のフィジカルをフル活用した初音にスマホを独占されてしまう恐れもある。
どうするのか?
もう俺に残された選択肢などなかった…。
「…ご希望はこちらのタンキニでよろしいでしょうか?」
震える手でスマホ画面を提示すると、そこには白のホルターネックとショートパンツの水着が映し出されている。
「フム…まぁ、よかろう」
ギリ妥協しましたと言いたげな態度だが、逆らえば砂地を踏む前に直行で海へ放り投げられる可能性もあり得る。
見ようによってはギリのギリギリ白装束に見えなくもない、と思う…。
「ワシの『ばでい』を包むからには相応の召し物が必要じゃろう。善き買い物であった」
Awazonから水着を購入――うわぁ、高っけぇ…。
それを受け取った初音は実に嬉しそうに、近くの空き家へ向かうと着替えを始めた。
俺は背後を向いて誰か通りかかるのではと心配してしまうが、初音は非常にノンビリとして焦った様子も見せない。
しばらくして着替え終わった初音は、水着の御披露目といった感じで姿を見せた。
初めての水着なのに随分と堂々としており、やはり鬼には恥ずかしいという感情がないのではと思わせる。
「どうじゃ! まさに圧巻であろう?」
それが水着に求める感想か?
だが、そんな事を口にできるはずもない。
なぜなら死にたくないから。
初音はクルクルと回り、全身を隈なく見せつけてくるが、俺は全力の『可愛い』と『似合ってる』を連呼してこれ以上の支出を防ぐ。
でなければ、こいつは次に『ワシに相応しいアクセサリーが欲しい』とか言い出しかねない。
ギンレイが水着姿の初音を誉めちぎるように尻尾を振っている。
お前はなんて賢い犬なんだろうなぁ。
「おぉ、ギンレイも水着のワシを誉めてくれるのか。…口だけのあしなとは違うのう」
「…お前はなんて賢い鬼っ娘なんだろうなぁ」