ギンレイが鳴いた夜 (万治郎視点)
正直、オレは世間って奴を甘くみてたフシがあったのは認める。
生まれ持った体格に加え、九鬼家の近侍を務める親父殿の存在。
正直、餓鬼ん頃は誇らしいと思ってたさ。
「手前ぇ! 久しぶりの顔合わせだってぇのによぉ、随分と派手にやってくれんじゃあねぇか!」
あれから吹っ飛ばした先で斬り合い、一瞬の隙を突かれて左肘から腕をもってかれた。
胴体が離れてねぇのは木刀のお陰だろうよ。
とはいえ、こうもアッサリ左腕を切り落とされてちゃ文字通り手も出ねぇ。
犬っころは最初こそガチってたものの、流石に相手が悪ぃ。
いや、悪すぎたんだ。
親父殿とは踏んだ場数がまるで違う。
それこそ目にも止まんねぇ速度で掻き乱してくれてたんだが、次第に対応されて右の前足をやられた。
殆ど切断に近い傷口は皮一枚でギリ繋がってるだけ。
けど、それでもコイツの闘志は萎えてねぇ!
ギンレイとか呼ばれてたな。
大した犬っころだ。
……今更だが、アニキの判断は正しかった。
オレの腕なんざ屁でもねぇが、血で真っ赤に染まった犬を見てるとよぉ……。
オレが腹の底から後悔するなんざなぁ、珍しい事もあるもんだ。
そういや、戦場で負傷した時の心構えってのを繰り返し繰り返し、耳にタコが出来るまで聞かされたっけなぁ…。
「なんと……かよわい……。
タテガミ…ギンロウの……足元にも……及ばず……もう……飽いたわ……」
オレが弱いだと?
そんなワケあるか…!
「当方にナマこいた奴ぁ手前ぇが初めてさ!
あの世で自慢してきやがれ!」
残った右腕で得物を振り抜くが、まるで当たる気がしねぇ。
心なしか木刀が重い…。
あぁ、そうか。
腕、一本しかねぇから重く感じるのか…。
「がぁ! ……あぁ」
袈裟懸けの一刀をモロに喰らっちまった。
鎖骨をやられると腕が上がんなくなる。
体の正面にあるから喧嘩じゃ定石の狙い所なのさ。
けど、相手が段平だとその程度じゃ済まねぇ。
「よくぞ……避けた……だが……今しがたの……手応え……」
言われなくても分かってんだよ。
紙一重でギリ致命傷だ。
避けきれなかった…。
キッチリ鎖骨の奥にある血管をバッサリ。
本気の親父殿は強ぇとは思ってたけどよ、ここまで一方的にボコされるとはな。
オレ、こんなにも――弱かったんかよ…。
「……首を……」
村正とやらを掲げて最後の一刀が迫る。
防ごうにも右腕が上がらねぇや。
お江姐さんの木刀も限界だ。
ま、ここまでもってくれたのが奇跡ってトコか。
ボロクソに負けたオレを見て、また優しく叱ってくれんのかなぁ…。
今までお袋の代わりやってくれてよ、『ありがとう』なんて言えるはずもねぇから舎弟んなって……結局、言えないまま死ぬのか。
馬鹿みてぇじゃねぇか、オレ…。
振り下ろされた太刀は不思議と緩慢に見えた。
死に際はナンヤカンヤと思い出すらしいけど、親父殿に関して憶えてる事は、いつだって家の門を出る後ろ姿だった。
懐かしい記憶に美しい白銀が滑り込む。
「……な……あ…ギンレイ!」
目の前で分断される体。
地面に転がった先でギンレイは、最後にアニキの方を向いて小さく鳴き声をあげ、静かに目を閉じた。
「お、オレを庇って……当方の…為に……」
誰も助けられねぇ。
オレが――弱いから…。