君に出会えて――
「あし……な……あしなぁあ!」
直前で二人の間に割り込み、全身で刃を受けた俺の体は幸運にも両断は免れ、大胸筋と皮膚が辛うじて繋ぎとめていた。
本当に幸運だったのかは分からないが…。
「妙な……手応え……!
お前……人間では……な――」
「それ以上言うなぁぁああ!!」
初音の体当たりによって八兵衛さんは猛烈な勢いで吹っ飛ばされ、軒を連ねる家屋の壁を次々と突き破る。
これで少しは時間が稼げるのかもしれないけど、根本的な解決には至らないだろう。
だとするなら――。
「初……万治…と女媧さ……連れて…逃げ…」
ギンレイの姿はどこかへと消え、付近には見当たらない。
恐らく、クノイチの時と同様に相手が自分よりも強いと判断した結果、野生の本能で戦いを放棄したのだと思う。
…それでいい。
人間同士のゴタゴタに、狼であるギンレイが関わる必要なんて無いんだから。
「あしな! もう喋るでない!
馬戯異でここを離れるんじゃ!
奴は…爺はこの程度では――」
言い終わる前に大気を揺らす反響音が轟き、圧縮された空気でつくられた幾重もの防御膜が破られていく。
不気味に響く音は和太鼓のように夜空を震わせ、周囲に存在する物は何であれ、徹底的に破壊された。
「も…う…俺は……早…く…行……」
湾曲した空間の数m向こう側。
心まで鬼となった老侍は息遣いさえ聞こえる距離にまで近づき、最後の守りを突破しようと村正を振り上げる。
「あああああああ!!」
刀よりも早く、咆哮を上げた万治郎が背後から横薙ぎに木刀を払う!
老侍は強烈な不意打ちを脇腹に受け、体をくの字に折り曲げる程の一撃が、再び彼を遥か遠方へと吹き飛ばした。
「万治…郎……初音…を……たの……む」
「ここまでされてよぉ、アニキ…。
男が黙って引っ込めるかよ!
殺るんだ……俺と…アイツでな!」
女媧様のお陰で即死を免れた万治郎だったが、胸を刺された傷は決して浅いとは言えず、荒い息をするたびに伴う吐血が深刻な状態を物語る。
一方、遠くから鋼の残響と獣の哮り立つ声が届く。
俺は即座に理解した。
ギンレイは逃げてなどいなかったのだ!
「い…ぬ……いや……タテガミ……ギンロウか…。
よいぞ……善き……強者なり……!」
空間に刻まれた無数の斬撃がギンレイを襲う!
触れれば両断されてしまう死線の数々をくぐり抜け、人間の反射神経を凌駕した速度で翻弄し、鋭い牙と爪で反撃を敢行する。
「ギンレイ!
そんな…ワシは、ワシは一体どうすれば…」
進む事も退く事も出来なくなった初音は動揺するばかりで動けず、無二の忠臣と自身の弟とまで言う狼の身を案じた。
両者の激闘に万治郎まで加わり、いつ、誰が致命傷を負っても不思議ではない緊迫した戦いが続く。
俺は足元から徐々に感覚が麻痺していき、今度こそ死を覚悟する。
だけど、これだけはやっておかなければならない!
「お前…に……これ…を」
最後の力を振り絞って初音にスマホを手渡す。
俺でさえ異世界で今日まで生きてこられたんだ。
これさえあれば、初音だけでも逃がす事は可能かもしれない。
「い、いやじゃ…『すまーほ』…はお主の物。
お主の目を盗んで買い物するのが楽しいんじゃ! ギンレイや飯綱、女媧様に万治郎の阿呆も…全部、全部! 爺や父上も……母上だって! ワシは誰にも死んで欲しくなどないんじゃ!」
やっぱり、やさしい娘だ。
君に出会えてよかった――。
「馬戯異が外に!
……あしな?
お、おい……あし……そんな…死…」