鬼夜叉の正体
万治郎から告げられた言葉に俺達は驚愕で声も出せず、深淵を思わせる暗闇で互いを見つめる事しかできなかった。
何故、今まで黙っていたのか。
分かっている…分かっていたはずだ。
「…そうか」
否定してやれないのが悔しかった。
以前、神奈備の杜で聞いた八兵衛さんの話に、若い頃は宿場町で用心棒をしていたという過去を思い出す。
しかも、息子である万治郎が口にしたのだ。
これ以上ない程に正確な情報だろう。
「ここで父上は爺と出会った…」
かつて刃向かう者は全て斬り殺し、比類なき剣の腕前は遠方の國々にまで轟いた撫斬り八兵衛の異名。
ここが発祥の地であり、鬼夜叉の噂の震源地。
そんな事を言われれば、誰だって嫌な予感を抱く。
息子なら尚更だろう。
知っていたとしても言えないのは無理もない。
「…もしも、もしもの話だ!
鬼夜叉が親父殿ってんなら…そん時は…!」
木刀の柄を握る手に力が入る。
まだ八兵衛さんだと決まった訳ではないが…。
「お前がそこまでする必要なんて――」
その時、無人と思われていた町に警鐘が鳴り響く!
猛烈な勢いで繰り返されるリズムは緊張感に満ち、鐘を聞いた者は子供であっても瞬時に異常を察知する。
ギンレイは外へ向かって猛然と吠え立て、今にも飛び出してしまいそうな勢いだ。
赤ん坊の時から育ててきたギンレイがここまで取り乱すのは始めての事で、俺でも近寄り難いと感じてしまう。
「火事かや!?」
「いや、これは…」
屋外には逃げ惑う人々の足音が聞こえ、隙間だらけの壁からもハッキリと彼らの姿が見えた。
しかし、火事であれば消火の為に火元へ向かう者や、焼け焦げた木材の臭いが漂ってくるはず。
それが全くないという事は…。
『伏せ――!』
姿を消していた女媧様は警告と同時に空気の膜を展開させ、事態を把握しきっていない俺達を驚かせた。
直後、木造の壁が音もなく切り裂かれ、聞いた事のない反響音を伴って通りの両端に位置する家屋が吹き飛ぶ!
「おぉぉおお!! な、なん…!」
屋内に吹き荒れる暴風。
まるで小さな竜巻の如くあらゆる物を打ち破り、一切合切を破壊して運び去っていく。
ようやく風が収まった頃、顔を上げて何が起きたのかを知る。
「通りが…町が…!」
人々が往来する通りは巨大な溝が掘られ、付近に存在した家屋は台風に遭ったみたいに潰されていた。
突発的な異常気象――普通ならそう思う。普通なら…。
だが、俺達は見てしまった。
完全な廃墟となった宿場町でただ一人、月明かりを頼りに妖しい刀を眺める男の姿を!
「あ……そんな…嘘じゃ!
あり得ぬ! だって……いつも…」
「貴方…なにやってんですか――八兵衛さん!」
見違えたなどという生易しいモノではない。
全身を返り血で真っ赤に染め、ボロボロになった衣服に乱れ放題の髪は別人としか思えない。
時折、虚ろな瞳で刀に話しかけている様子は、見る者の背筋を凍りつかせるには十分過ぎた。
「…正気の沙汰、とは思えねぇな。
色々あったっぽいけどよ……んなこたぁ関係ねぇ!
ここで叩き潰して男を上げてやるぜ!」
恐れず踏み込み、渾身の一撃を浴びせる万治郎。
周囲の残骸を吹き飛ばす程の衝撃が走り、辺り一面は砂埃に覆われた。
ようやく叶った親子の再会が、こんな形になるだなんて…。
まともに喰らったなら、絶命しても何ら不思議ではない巨大木刀の攻撃。
しかし――。
「て、手前ぇ…!」
あり得ない光景に息を飲む。
容赦なく正中線を狙った大上段からの一刀を、八兵衛さんは柳の枝を払うように軽々といなし、地面に開いた大穴を無表情で見つめていた。
「荒波返し!
あれは…爺が得意としておった業!」
回避も防御も不可能と思われた一撃を無効化され、呆然とした万治郎に八兵衛さんが迫る!
「逃げろぉお!」
無人の廃墟に響く叫び。
そして、恐ろしく鋭い刃が無防備な胸を刺し貫く!