夜空に掲げたキャンバス
日はすっかりと沈み、辺りは虫達が奏でるオーケストラが毎夜に渡って開催される。
人によっては耳障りだと思われるかもだが、俺は前の世界に居た時から嫌いではない。
それどころか、夜を迎えたソロキャンの一つの楽しみでもあったが、周りのキャンパーが発する花火の音や宴会の騒音で十分に堪能できずにいた。
ここでは好きなだけ聞いていられるのが救いかな。
「BGM名は小さな演奏会って感じか」
ホームの壁から突き出た岩に腰を降ろし、彼らの求愛が成す情熱的な主旋律に耳を傾けていると、薪の爆ぜる大小の副旋律が彩りを添える。
焚き火が作り出す不規則な光は不夜城に光る妖しいネオンの如く、短い生を謳歌する森の小さな住人達を照らしだしていた。
この世界に来て以来、夜は常に火を絶やさないようにしている。
その理由は森を徘徊する獣対策だ。
今朝も河原を見回っていた際、イノシシと思われる足跡を多数見つけた。
いくらアウトドア慣れしているとはいえ、自分が無防備に寝ている近辺で見知らぬ獣が彷徨いていたのでは安心できるものではない。
特に河原は貴重な水場という事もあり、森に住む動物達が集まる場所なので接点ができるのは当然ではあるが極力、野生動物との接触は避けた方が無難だと思う。
「狩りも視野に入れてかないと、ずっと魚やタケノコが食べられるとは思えんからな」
もっと技術が向上して動物に対する知識が蓄積すれば、鹿や猪を狩りの対象にできるのかもしれないが…まぁ、難しいだろう。
「――でも、罠だったら?」
その件は頭の片隅にでも置いとくとして、明日は寝床作りだ。
『衣食』も重要だが『住』の部分も力を入れて取り組む必要がある。
その中でも睡眠に関わる寝具は翌日の体調に多大な影響を与える為、一日も早く取り掛かりたいのだが如何せん手が回らないのが実情。
「いっそAwazonで買ってしまうという手も…いやいや、時間なら山ほどある。何でも道具に頼ってるばかりがキャンプじゃない」
しかしながら、ホームの中を見ればガランとした空間が広がっており、焚き火の光が届かない奥は未だに近寄り難い空気を含んだまま、とてもではないが不自由のない生活とは言えない。
「全く、働けど働けど楽にならずか…」
異世界に来てからというものの、毎日くたくたになるまで動いているが一向に光明が見える気がせず、このままでは体より先に精神が参ってしまう。
どうにか…せめて考え方を変えられれば……。
ふと目を落とすと俺の膝で丸々とした腹を夜空に向けて、何の不安もない寝顔を浮かべている森の王者(予定)が寝返りを打っていた。
何か夢でも見ているのだろうか。
時折前足をバタつかせ、頻りに匂いを嗅ぐ仕草をしている。
「お前の方がよっぽど神経太いじゃないか。
まん丸とした腹を見せてくれちゃってさ」
緊張感などとは無縁の存在に、ちょっとした悪戯心が芽生えた俺は近くにあった虫除けのハーブを狼の鼻にあてがい、軽く円を描くように動かすと豪快なくしゃみがホームに響く。
その姿が面白いやら、可愛いやらで、すっかり滅入った気分が吹き飛んでしまった。
そうだ、悩んだり不安を抱えるのは人の常。
異世界に来たんなら逆に、とことんまで楽しんでやろうじゃないか。
見上げれば天の川が肉眼でもはっきりと分かる程の絶景が広がり、夜空のキャンバスには輝く流れ星が数多のラインを描いていた。