父として、武人として (別視点)
「初音は…我が娘はまだ見つからんのか」
九鬼 澄隆は壮健な偉丈夫として堂々たる佇まいを有していたが、しばらくは胃痛に悩まされる日々を過ごさざるを得なかった。
その心痛と言える種は、今も目の前にある。
「御下がりください、澄隆様!
我等、九鬼水軍の精鋭にお任せを!」
先程から遅々として捜索が進んでいない。
それというのも神奈備の杜に入って数日、ひっきりなしに襲ってくる熊やヘンショウヒキガエルの群れによって、少なからぬ被害が出ている為だ。
幸い、命の損失には至っていないが…なんとも情けない。
この程度の事で兵卒は狼狽え、指揮系統は混迷の極みに至る。
「…………ふぅ」
先の戦乱から200年余りの時間は、鬼属であっても腑抜けるには十分という事か…。
澄隆は次々と運ばれていく兵士達を尻目に、頬杖をつきながら溜め息を漏らす。
傍らに控える重臣達は、まさに生きたまま焼かれる思いで平伏し、少しでも主の機嫌を損ねまいと申し開きの言葉を口にする。
「申し訳ございませぬ。兵共の教練が御期待に添えず、大変御見苦しい所を……」
ここ数日で飽きるほど聞いた台詞。
既に主の心には届かず、ただ…静かに右手を振って黙らせる。
「面目も…御座いませぬっ!!」
今にも自刃しそうな重臣を、表面上は気にしていないという風に取り繕う。
こんな不毛なやり取りを、あと何日続ければいい?
考えれば考える程、胃痛の種はむくむくと芽吹き、人知れず鬼の盟主を苛む。
最早、伊勢の國中どころか堺や京にまで使いを派遣し、捜索を続けているが一向に見つかる気配がない。
しかも、並み居る家臣団の中で最も信頼していた矢旗 八兵衛でさえ、初音の捜索以降は姿を消してしまった。
重臣達は口々に出奔を疑うが、あの忠義者に限ってそれは断じてあり得ん!
恐らく、守役としての責任感から一人で神奈備の杜へ足を踏み入れたのであろう。
初音姫――我が最愛の娘…。
初音は鬼の血を引くとはいえ、まだほんの子供のような歳。
やはり婚約など早かったのだろうか、それとも既に意中の者が?
いやいやいや、考えるな!
まだだ、まだあの子だけは手元に置いておきたい。
我が妻が残した現世の忘れ形見、そうそう手離してなるものか!
また胃痛の種が疼きよる…全く忌々しい。
医学者からは止められている酒に手を伸ばし、一息に煽る。
そうする事でほんの僅かではあるが、臓腑に眠る潰瘍が大人しくなる…ほんの一瞬だけだが…。
憂さ晴らしに脇へと投げ捨てた酒瓶にすら、重臣達にとっては空からの天降石に等しいのか、周囲に気取られる程の怯えようを見せる。
「そうだ、それが苛つくのだ!」
「い、いけません! 澄隆様!
どうか、どうか自重を!どうかっ!」
目の前には一丈(3m程)の熊が儂の前に立ち塞がり、あろうことか見下ろしているではないか!
「こんな小物にいつまで手こずっておる!」
檄を飛ばすと同時に熊は右前足を振りかざし、儂の顔を撫でようとする。
「無礼者め!」
伸びきった前足に下から左手を突き上げると、肩口からあっさりと千切れ飛ぶ。
空へと舞い上がる足を受け取り、そのまま獣の頭へ八つ当たりの一撃を加えると、あたかも膨らんだハリセンボンを踏み潰したように四散した。
未だ熊共に囲まれ騒然としていた場が一瞬で静まり返り、次いで割れんばかりの歓声が上がる。
本当に…この程度の事で……。
まだまだ、胃痛の蟲は散々にのたうち回り、一向に収まる気配をみせない…。
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