月夜に誘われて
「…知らない夢を……見てた――気がするんだ」
見上げた月は真円を描き、静かな夜を優しく見守る。
飯綱も俺の隣で月を眺め、穏やかな顔つきで酒器を手渡す。
「今夜はアタシが一杯奢ってやンよ。
この秘蔵の酒でな」
「初音の――だろ?
バレる前に飲んじまおう」
手にした竹筒から日本酒を注ぎ、二人で月に向かって乾杯した。
飯綱と差し向かいで飲むというのは初めての事で、彼女から誘ってくれたという事実は認められたようで嬉しかった。
「う~ン、もう少し甘口のがアタシは好みだねェ。
けど、これはこれで…悪かねェな」
「あぁ、勝利の美酒ってやつさ」
耳を済ませば階下では酒を楽しむ人々の声が届き、今日の爆走劇について大いに語りあっている様子。
とはいっても、俺にとっては数時間前の出来事だというのに、随分と昔の事みたいに感じてしまう。
「現実感がないっつーか……最近思うんだけどさ、時々考えるんだよなぁ。俺って――本当の俺じゃないっていうかさ…」
うまく言語化できない。
それでも飯綱は月を見上げ、否定する事も、笑い飛ばす事もせずに聞いてくれた。
それが…何よりも嬉しい。
「俺じゃない俺の物語…か。
お前、元の世界に還りたかったンだろ?
どうして他人の爺さんなんか探してンだ?」
コイツの方から質問してくるとは珍しい。
思えば飯綱は過度に人と関わるのを避けてきた傾向にあり、神奈備の杜という禁則地にたった一人で20年も住んでいたのだ。
「急にどうしたんだ?
質問は嫌いじゃなかったのか?」
「バッカ野郎、アタシがするのはいーんだよ」
勝手な言い分に苦笑いを浮かべ、質問の答えを酒に尋ねる。
どう答えたものか……。
「今からでも戻りたいさ。
…戻れるんならな。
けど、異世界での生活が長くなるにつれ、もう少しだけ滞在したいような…。そんな相反する気持ちも徐々に強くなってなぁ。気づいたらズルズルってなワケよ」
曖昧な答えに二人して吹き出してしまう。
しかし、この複雑な気持ちを言葉にすると、どうしても微妙なニュアンスが伝えきれない。
何よりも、八兵衛さんを巻き込んでしまったのは俺の責任だと思っている。
だとするなら、還るのは彼を探しだしてからだ。
「そうかい、そうかい。
クッソ真面目で融通の利かねェアンタらしいや」
飯綱は時々、俺への二人称が変わる。
意識して変えているのか、それとも単に気にもしていない気紛れなのかは分からない。
だが、夢の中で聞いた飯綱は確かに『アンタ』と言っていた。
夢に出てきた――俺に向かって…。
「なぁ…………月、綺麗だよな」
「あぁ? ……へっ、そうだな」
聞いても答えないだろう。
それがまるで、誰かとの契約であるかのように。
竹筒の酒を飲みきった飯綱はそれっきり何も言わず、夜の月に誘われる蝶の如く、どこかへと飛び去っていった。
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