元ヤンママお江の提案
高らかな名乗り口上と共に御自慢のアイパーリーゼントを櫛で撫で付け、自身のポリシーだと言わんばかりに整えると、方々から歓声が沸き起こる。
「えぇぞ、万治郎!
余所者に一発かましたれや!」
「何処ぞの馬の骨がお江さんの隣を平然と歩くなんて許せねぇよなぁ!? やっちまえ!」
あっと言う間に大観衆に囲まれ、俺はすっかり悪役に仕立て上げられてしまった。
周りの熱狂具合もそうなのだが、万治郎という男が意外と町の人達から慕われている事に驚く。
「ん? 万治郎……矢旗……当方!?
お前…まさか矢旗って…九鬼家に仕える侍って……もしかして――」
「どうしたオラァ!
ビビって声も出ねぇのか!」
白を基調とした肩掛けの特攻服には当方不敗や天下統一といった強い言葉が並び、額には角を模した鬼ぞりが深々と刻まれている。
大きく開いた胸元は彼の心意気を示し、注連縄を思わせる太いロープを襷掛けにした姿は、逞しい肉体を一層際立たせた。
万治郎の独特すぎる特徴に目を奪われていたが、よくよく目鼻立ちを観察すると…八兵衛さんにソックリだ!
顎髭や顔の傷跡はないけれど、抜きん出て堀の深い目鼻は血の繋がりを感じさせ、他人の空似とは到底思えない。
しかも、矢旗という名字に加え、初音が言っていた九鬼家に仕えている人間は八兵衛さんだけだったという事実を今更ながらに思い出す。
母親は病で既に他界し、片親で奇妙な一人称まで口にしているのであれば、もはや疑う余地はないだろう。
「取りあえず誤解を解いておきたい。
そこの茶屋でゆっくり話でもしないか?」
努めて友好的に接したつもりだったのだが…。
「あぁ!? お前と当方が出合茶屋…だと?
しかも…お江さんまで……おま……えぇ?
手前ぇ! い、意味わかってんのか!?」
何故に疑問符をつける?
茶屋とは喫茶店のことだろ?
相対した二人が揃って困り顔を浮かべていると、見かねたお江さんがそっと耳打ちをしてくれた。
「あの…ですね、出合茶屋は男女が…その……」
出合茶屋ってラブホテルなの!?
嘘やん……俺、男を誘った挙げ句、お江さんまで巻き込んで……やっべー、完全にヤラカシタ…。
誤解を解こうとして更に拗らせてしまい、周囲の男達からドヨメキが広がり、若い女性達からは黄色い歓声が上がる始末。
オイオイオイ、どうすんだこれ?
「そうかよ…。
とことん当方を虚仮にしたいらしいな…。
手前ぇはもう容赦しねぇ!
誰の目にも明白に、徹底的に叩っ潰す!」
荒ぶる闘志を漲らせて躍りかかる万治郎。
だが、彼の拳を制したのは意外な人物の一声であった。
「待ちな!
此方の若旦那さんは妹を救った恩人さ。
妙な真似しようってんなら、このアタイが相手してやろうじゃねぇか!」
清々しい程の啖呵を切ったお江さん。
袖をまくり上げて堂々と立ち塞がる姿は、先ほどまでの控え目な印象とは全く別の、万治郎と同じく任侠者にも似た侠客を感じさせた。
「お江さん!? てか、アタイって…」
「あ、いえ……これは…昔の名残というか…」
恥ずかしそうに紅潮するお江さんの傍ら、時間が止まったかのように直立不動を貫く万治郎。
なんとなく二人の関係性が見えてきた所で、僅かに冷静さを取り戻した万治郎が、額に大量の汗を浮かべながらも反論を口にする。
「ね、姐さん! そりゃあねぇっす!
このまま流れ者の好きにさせるのは示しがつかねぇ! 決着つけさせてつかぁさい!」
立ったまま両膝に手を着いて頭を下げられ、流石のお江さんも思案せざるを得ない様子。
そして、大きく溜め息をつくと、一つの案を提示した。
「万治郎…こんな時、アタイ達はどうやってゴタゴタを解決してきた? あるだろうが……たった一つだけ、残された方法が」
若者はまるで一筋の光明を受けたように顔を上げると、遂に覚悟を決めたらしい。
「姐さん…おかげさんッッしたぁ!
おう、オメェら! 久しぶりにおっ始めるぜ。
おはらい町名物、地獄のバリバリ爆走劇開催じゃあ!」
怒号すら生温い大歓声が俺達を中心に広がり、次第に町全体を巻き込んだ一大イベントにまで発展するなど、この時の俺が気づけるはずもなかった。