出合茶屋=ラブホの意
男はまさに火口から噴き出すマグマの如く、憤怒を爆散させようとした直前、お江さんは溌剌とした声で朝の挨拶を口にした。
「おはよう、万治郎ちゃん」
「あ、ぉ……おはよ…ぅ…ござ……ます…」
なんじゃそりゃ。
キレる寸前だった男は借りてきた猫みたいに大きな背中を丸め、聞き取れないレベルの声量で挨拶を返した。
それにしても…この格好、どう見ても俺の世界に存在していた特攻服そのものだ。
正確に言うと今も存在するらしいのだが、実物は一度も見た事はなく、東京リベンジャーズでそれっぽいのを視聴しただけで、本当に着ている人は初めて見た。
日ノ本の住人は殆どが和装で、ギリ洋装の特攻服は途轍もなく浮いて目立つ。
「なぁ、その服…どこで手に入れたんだ?
もしかして……アンタも別の世界から――」
もしかしたら、飯綱の他にも異世界に飛ばされた人がいるのかもしれない。
淡い期待を寄せて尋ねてみたのだが…。
「ああぁん!? こん娑婆僧がナメとんのか!
特攻服ば日ノ本ん魂だろぉが!」
ダメだ。
コイツは日本人だけど日本語が通じねー。
早々にコミュニケーションを諦めると、軽い挨拶を残して立ち去る。
「ちょっ!? 待てやぁあ!
どこフケこむつもりだ手前ぇ!
さては…朝から出合茶屋に行くんじゃ――」
「やだもぉ、なに言ってんのさ!」
顔を真っ赤にしたお江さんのグーパンがヤンキーの左頬を的確に捉え、頭のフランスパンをへし折る勢いで吹っ飛ばし、脇に連なる商家の塀をブチ破った。
とんでもねぇ威力の殺人パンチだ…。
確認してはいないけど、殴られた方は生きてると思う――多分、きっと…。
しかし、危うく人を殺すところだったお江さんは、恥ずかしさで尻を振ってイヤイヤを繰り返すばかり。
俺は目の前の惨劇を努めて忘れる為、敢えて安産型のお尻に意識を集中させて全てを忘却した。
否、そうするしかなかったのだ。
「…壊した塀の弁償を請求される前に行きましょう」
「あ、はい…」
こんな些細な事で必死に貯めた金銭を散財するワケにはいかない。
俺達は足早に現場を後にした。
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さっきの妙な奴は、恐らくお江さんの顔見知りなのだろう。
少しでも有益な情報に繋がればという思いで、再起不能にした相手の事を尋ねてみた。
「万治郎ちゃんは町の青年団をまとめてくれてる子で、幼い頃から知ってるんですよ」
聞けば歳は17歳。
母親は幼少期に病で亡くし、唯一の肉親である父親は九鬼家で働いているが、多忙で殆ど家には帰らないらしい。
「初…あ、いや。
九鬼家といえば伊勢國を治める澄隆公の家柄じゃないですか。そんな所で奉公しているだなんて、すごく立派なお父さんなのでしょうね」
「はい、こぉ~んな小さな時にはね、『当方も父上のような立派な侍になる!』っていつも言ってて……可愛かったなぁ。今ではアタシよりもずーっと大きくなっちゃって!」
お江さんは回想の間ずっと笑顔を絶やさず、道行く男共は誰もが振り返る程の器量を振りまく。
いやはや、本当に美人とカワイイを絶妙にバランスさせた女性なんだなぁ。
その後も商店を巡り、買い物を済ませる一方で日差しはどんどん強くなっていく。
「うわぁ、強烈ですね。
少し休んで行きませんか?」
無理をして熱中症にでもなったら大変だ。
ちょうど茶屋があったので一休みしようとすると、見覚えのある菓子が目に止まる。
元の世界でも存在した伊勢の名物、赤福。
これは食べておかなくては!
そう思い、お江さんに休憩がてら茶屋で休憩していこうと提案を持ち掛ける。
「えぇ!? ここって…あの…。
そ、そんな昼間から…その……はい…」
…日ノ本では昼に茶屋で休むのはマズいのか?
いや、待てよ…。
帰りが遅くなると、宿の仲居達にサボってると勘違いされるのを危惧してるのだろうか?
「大丈夫、宿の人達には僕から言っておきます。
それより、歩き疲れたでしょう?
ゆっくりと休んで涼を取ると良い――」
「ッぱ、シケ込んでやがったか手前ぇ!」
コイツ、初見からアホだと思ってはいたが…。
防火用水の中から水浸しで現れたのは、天を衝く勢いで折れ曲がったアイパーリーゼントを逆立てた万治郎だ。
取りあえず色々と思うとこはあるだろうけど、無事に生きてるようで一安心した。
「改めて名乗らせてもらうぜ! おはらい町の伊勢志摩愚連隊 二代目総長、矢旗 万治郎たぁ当方のことよ!」




